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2016.07.10

音に運ばれ伝播される思い

 

 

 

週末、ベルリンフィルの12人のチェリストたちによるコンサートに行った。

来日は12回目ということだが、今回は3ヶ月前の震災により中止さえも見えていた福岡公演だったらしいが、改めて熊本復興支援のためのチャリティーコンサート企画として福岡公演を行いたいとチェリストたちが発案して下さったという。慈善公演。ドイツ語でいうところの、Benefiz Konzert  。

チェリストたちは、過去1996年にも阪神淡路大震災チャリティーコンサートを行って下さったらしい。

 

 

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パリーブエノスアイレスというテーマで演目が構成されていたが、同じ絃楽器でもバイオリンの華やかさとは異なる渋みのある音が、シャンソンやタンゴ曲に独特の哀愁を添え格別の魅力に酔いしれた。

しかも、一流楽団のチェリスト勢ぞろい。

艶やかで魅惑的な音色に包まれた時間は、まさに時間を超越した時間そのもの。

後半ではチェロの楽器の側面や弓を使った様々な音をふんだんに交えてのアストル・ピアソラの名曲が続いた。

 

プログラム終了後鳴り止まぬ拍手の後、第1ソロチェリストのルートヴィヒ・クワント氏から震災に対する丁寧なお悔やみの挨拶があった。

アンコール曲名を伝えて再び演奏が始まった。

用意されていたアンコール2曲が終わっても鳴り止まない拍手に、チェリストたちは何度もお辞儀をして、後にそれぞれの席にもう一度静かに戻り、曲目は伝えられることなく3曲目のアンコールの演奏が始まった。

スローテンポの始まり。

なんの曲だろう。

 

なんと。

滝廉太郎作曲の「荒城の月」だった。

劇場内から静かなどよめきが起こった。

 

作曲家滝廉太郎は、大分県出身だ。

九州の人間は教科書で学んだ時に、強く記憶に残ったことだろう。

私たちは、大分被災のことも忘れていません。

そんなメッセージが12人の一音一音に乗せられ、誰もが知るメロディーと共に聴衆の心に届き、静かに伝播してゆく。

劇場は静まり返り、気がつくとあちこちからすすり泣きが聞こえ始めた。

すすり泣きは、演奏の間中あちこちに飛び火し続けていた。

 

うろ覚えだが荒城の月の歌詞は、栄枯盛衰。この世の無常観を唄った内容だったような。

 

かつて輝かしかった城は、時を経て歴史を経て様変わりし、あの頃の栄光は露もなく、春夏秋冬、季節の気配を感じさせる景色と共に今も変わらぬ月だけが群青色の闇夜に蒼く光る。

その侘びた情景とさびの感情までもが見えるような演奏だった。

 

 

今、ここに在る。

そのことより大切なこと、確実なことは何もない。

そして、どんなに願っても永遠に在り続けることもできない。

 

日本にはこんなに素晴らしい名曲があるということを忘れかけていた。

 

音に乗って運ばれてきたものたちは、楽しい演奏会というくくりを越えて一気に自分自身の目線を広げさせてくれた。

 

予想しなかったアンコール曲の締めくくりに、劇場を退場する見知らぬ人々の目や鼻が赤くなっているのを目にする度に、再び涙しそうになる私でした。

心のこもった素晴らしい演奏会でした。

そして、チャリティーの言葉の意味を考えさせられるきっかけにもなりました。

 

震災は、自分の身にふりかかったかもしれない、誰にとっても決して他人事ではないことだ。

改めまして、震災被災者の皆様にお見舞い申し上げたいと思います。

 

 

 

 

2016.07.04

モノに変換された贈り物

 

 

 

 

昨年のことだった。

30年以上アクセサリーの販売にずっと携わり続けた方が、業界を引退されるにあたり、ご挨拶のお電話を頂いた。

私が出会ったのは、5年前。

仕事にとても厳しく、情熱的で、有言実行、常に実績を出し、多くの経験に裏付けされた自信に溢れた女性だった。

 

 

 

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お仕事を何度か一緒にさせて頂いてとても実力のあるパワフルな方だと感じていたので、機会があればもっと沢山のことを学ばせて頂きたいそう思っていた。ご挨拶のお電話を受けながら、心中惜しい気持ちがいっぱいだったのを記憶している。

 

先週、突然贈り物が届いた。

陶器だ。

 

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丁寧に包まれた和紙を開くと内側は真っ白で、花結晶の模様がふわふわと浮かび上がり、底の方には淡い紫色が揺らめくように溜まっていた。

不思議なことに外側はというと、全体的に白なのだが底の方へゆくにつれ内側と同じ紫ではなく砂漠の砂のような色なのだ。

そして角度を変えるとその砂漠の砂が舞い上がるかのようにして、器の全体がほんのりと薄い砂色に覆われる。

 

 

 

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清水焼の窯元の4代目の作品でした。

 

これまでお世話になった方々に、それぞれの方のイメージで器を贈ろうと思い、昨年はずっといろんな作家さんの窯元やギャラリー、作家さんのものを扱うショップを巡られたとのこと。

贈りたい方の職業や内面的なもの、発している雰囲気、容姿、ご自分が感じる限り、知る限りのいろんな情報を作り手や仲介される方にお伝えして作って貰うという時間をかけた作業だったらしい。

私のものはぴったりくる作家さんを探すのに、とても時間がかかったとやらで今になったと話して下さいました。

 

とても粋な贈り物の仕方にたいそう感激したと同時に、他人が持つ自分へのイメージを、モノに変換され贈られてきたモノそのものと対峙した時間がこのうえなく不思議な気持ちだった。

 

私は素直にこの器が好きだと感じた。

 

よく見れば、いろんな世界がある。

素敵な器だった。

 

そして、私は、こんな人間になりたいと素直に思った。

 

 

受け取られた方々は、きっと皆様気に入られたと思います。

その人のイメージに置き換えられたモノを贈る。

これはなかなかできることではないように思う。

豊富な人生経験と人を捉える広い感覚がないと難しい。

私などは、つい自分の感覚が介入してしまいそうだ。

贈り物の心、真心というものを教えて頂きました。

 

改めて全てに感謝したいと思います。

 

 

 

 

 

2016.06.10

温故知新

 

 

 

 

眼が覚めるとカーテンを開けて空を覗いてみた。

白く立ち込めた雲を通して太陽は光を射しているようだ。

梅雨独特の雨が降りきれない半端な曇り日。

 

 

 

窓

 

 

 

 

仕事が立て込んできてる割にピッチが上がっていない。

そんな理由で、友人に誘われた長崎行きをなんとなく断っていた。

 

どっちつかずの天気。

フリーランスの特権だ、よし!思い切って予定していたスケジュールを全て変更し、長崎に行こう!

 

 

 

時計

 

 

 

 

何度となく訪れているのに未だ見ていなかった、出島に行くことにした。周知の通り、今は島ではなくすっかり埋め立てられ街の一部となってしまっているが、当時の街並みを復元されてある。

なかなか見応えがあった。

思った以上に西欧人観光客が多いことにまず驚いた。

半分近くは異国の人々だった。

 

 

 

模型人

 

 

 

 

当時の出島も鎖国時代に唯一開かれた貿易と文化の拠点地として扇形に埋め立てて作られていたということだが、明治以降に埋め立てにより出島の一部がなくなり、更なる港湾改良工事により社会科で学んだあの形の出島は原形なくしてしまったらしい。

 

諸事情があってのことであろうが、多大なる文明への進歩が凝縮された場所であったろうに、なんとか残せなかったものなのかと悔やまれるばかりである。

やはりその後悔は、多くの方々から声が上がっているのだろう。

復元工事は現在、短中期復元工事を経て、長期復元工事計画へと進み、最終的には四方に水面を確保し、19世紀初めの当時の扇形をした島を完全に復元するのだとか。

 

今行うとなると、お金も時間もかかる工事だ。

当時はそれ以上の価値が、土地を埋め立てることの方にあったのだろう。

 

 

訪れていた西欧人は、古い歴史や文化遺産と共に生活をしている民族だ。度重なる戦の中で征服し、支配され、文化が混ざり合う。過去のありのままが混在した中で、多少の不便を受け入れて日々を過ごすことを理解している人々だ。

日本のこの計画を彼らはどう感じるのだろうかと思いながら、すれ違う様々な国の様々な年代の異国の人達と、出島、いや今はまだ出島エリアと呼べば良いのか。を見て回った。

 

 

 

日時計

 

 

 

 

至極シンプルな、この日時計にとても魅せられた。

生憎の曇り空ため、時間を実際に確認出来なかったのが残念だったが、この日時計を見た途端、スウェーデンの画家、カール・ラーションの言葉が頭の中で何度もリフレインしていた。

 

「正しく古いものは、永遠に新しい。」

 

九州の人はきっと修学旅行などで訪れたことがあるでしょう。

改めて訪れてみたら感じることが変化しているものですね。

温故知新。

自分の仕事もこの繰り返しで、背筋を正されるものです。

 

 

 

 

2016.06.04

時空の旅をした、ふたつと創れないもの

 

 

陶芸家泉理恵氏のオブジェを購入させて頂いた。

長年の夢だった。

 

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初めて彼女とお仕事させてもらったのが今から16年ほど前だろうか。

拝見した作品の数々は心を奪われるものばかりで、正直自分の作品の販売に集中できなかった。

ヘンリー・ムーアやマックス・エルンストを彷彿とさせる、優しいフォルムとユニークさ。

彼女にしか創れない時空の旅をしたかたちたち。

彼女の大きなオブジェが並ぶと途端に新しい世界が生まれる。

3年前の日韓交流展、福岡アジア美術館にお越しになられた方は、彼女の作品をご覧になられたかと思います。

 

 

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長年かけて器や花器はずいぶんと集まってきた。

当時、彼女は大阪が拠点の作家活動をしていたので、大きな陶のオブジェを出展する展示会になかなか伺うことができなかったのだが、チャンスがあれば彼女の作る大きな陶のオブジェをいつか手に入れたいと密かに思い続けていた。

 

願いは通じるものだ。

ひょんなことで彼女が福岡に活動拠点を移し3年前に越してきた。

彼女らしさがダイナミックに表現できているオブジェたちを久しぶりに沢山みることができた。

庭先にこのトルソーを見つけた瞬間、鐘が鳴った。

 

自分の作ったアクセサリーを展示、撮影するものにも最適な大きさと質感、色味のトルソーオブジェを譲って貰うことにした。

全長が70センチほどある。

中は空洞とはいえ、そこそこの重さがあるので、今後の福岡展でしか実物ご覧頂けないと思います。

 

相当な時間と労力、精神的エネルギーとメンタルコンディションが必須となるため、いつでも取り組めるものではないらしい。

よく理解できる。

真の意味で二度と創れないかたちを生み出す時空の旅へと自分もそろそろとりかかりたい。

そう思っていたタイミングでの、出会い。

 

やはり、人とモノの出会うタイミングというものもあるのだと改めて感じた。

 

 

 

ちなみに、先月のバカンスに出かける折には、床に寝かせて出かけました。

やっぱり地震が起きて万が一のことがあったら、ひとたまりもないもの。

 

これから撮影に同行してもらうことが多くなることでしょう。

名前つけようかな。

 

 

 

2016.05.23

バカンスピクチャー!!ウィーン編その2!

 

 

 

 

今回の旅のメイン目的は、オペラ座ことシュタットオッパーでのバレエ鑑賞。演目は、オーストリア出身のフランツ・リスト作曲、そしてオーストリアの歴史的にも有名な悲劇の実話がベースとなったストーリー、「マイヤーリンク」。

そして世界最高峰の地位に鎮座し続けるウィーン交響楽団こと楽友協会のコンサート。

指揮は、ウィーンフィルと良い関係にあり、何度か来日したことのあるエッシェンバッハ。演目はブラームスのバイオリンコンチェルトとシューマン交響曲第3番、そしてベートーベンの序曲エグモント。

有名どころ勢ぞろいです。

 

どちらも、もう、このひとことに尽きる。

「美しすぎる」

形のない最高の審美を身体中に充填させてきました!!!!!!

写真撮影が禁止されてますので、写真はありませんが素晴らしい滞在に更なる華を飾ってくれました。

 

代わりに最終日の朝に散歩したマリアテレジア公園で、演奏してた愉快なアコーディオン弾きの写真を。

 

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あちこちにいました。

 

 

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もう十分過ぎるほどの休暇となりました。あとは、次のバカンスまでまたしっかり働くと誓って帰国に至ったのでありました。

 

 

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休暇のあとはしっかり働く、そしてめいっぱい遊ぶ。

そうやって、人生の時間を過ごすことが最高の人生になる。

その働き方や遊び方は一様ではなく、個人それぞれである。

そうであるからこそ、万人が楽しめるものが存在しているのだと思った。

 

再び、自分のやれることを自分の働き方でベストを尽くそうと思います。

長い間、お仕事のお返事お待たせしました方々には、ご理解いただいて有難うございました。

 

やっぱり、旅はやめられない!

今、ウィーンとブダペスト、チューリッヒには詳しいです。

もしも旅をご計画の方お尋ねくださいませ。

熱く語ります!!

 

 

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