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Daily blog

2016.08.11

無意識という顕在的行動

 

 

8ヶ月位になるだろうか。

 

ヨガを始めた。

外からの情報だけしか持たない時分は、なんとなく宗教的な匂いと閉鎖的なイメージを勝手に抱いていたのだが、体験初日にその無知な勘違いは払拭され、これは自分に向いている!!と直感で感じた。

事実、クラスに行くのが楽しみで週4日時間を確保して通っている。

生活も一遍した。

 

 

たんぽぽ

 

 

 

 

ヨガを始めてこれまで意識をしていなかった気付きと変化を多く得た。

他人にうまく説明ができない部分での気付きと変化だが、今日のクラスのなかで先生が引用した哲学者の言葉がそれらを言葉として伝えるのにとてもぴったりくると感じた。

 

自分の外ばかりを見る人は、夢を見る。

自分の内を見る人は、目醒める。

 

 

内を見る静の時間を得ること。

私は仕事上ひとりで制作するので静の時間は多い方だが、体の力を抜き心を解放する時間を得ることとはまた別で、できそうでこれはなかなかに難しい。

 

今日のクラス終了後の先生との雑談のなかで、日本で初めてヨガを伝えた人は、中村天風氏でこの方の本はおすすめだと話してくださった。

 

驚いた。

私は7年ほど前に中村天風氏の教えをまとめた本を一冊読んでいた。

定期的に本は売ってしまうのだが、この本は感銘を受けたので手元に置いておこうと決めているものだった。

 

呆れたことに、それがヨガの話とは当時ピンとこなかった。

しかも、始めて8ヶ月も経つ本日までヨガと接点があるなんて1ミリ足りとも感じてなかった。

 

人間が無意識で行っている行為は、すべて意味がありそれが最も自分の存在に忠実な目醒めた自分の行いであるのだろう。

 

どんな時でも軽やかに浮遊するほどに心を解き放てるようになれれば、どんなに自由を感じられることだろう。

 

それが目醒めた自由人なのかもしれない。

 

 

 

2016.08.04

フェティシズム

 

 

 

 

コレクターでもなんでもないのだが、我が家にはどうもブラシというものが多いようだ。

 

P7290007

 

 

あまりケチりたくないと自分に訳しながら集まってしまうCDや本の埃取り、キッチンや食後のテーブル用、黒い服が多いので衣類用、音楽プレイヤーやパソコン機器、家具や寝具用。

 

なんともまあ用途に応じたブラシたちがあちこちの部屋に居る。

 

一本でカバーできれば良いのだろうが、やはりそうはいかない。

実はお化粧のブラシを代用しているものもある。

 

掃除には、順番があります。

まずは上の方から順に埃をはらい落とすことからです。

 

お仕事でお付き合いしているショップのオーナーさんのこの言葉が、きっかけでした。

 

うちにはちゃんとした掃除グッズがあるのだろうか。

 

事実そこのオーナーさん始め、スッタフさん全員が、お客様がいらっしゃらない隙に常にブラシやハタキを持ち、お店の商品棚や私の作品展示台などの埃を払い落としていた。

 

なるほど。

店内がいつ伺っても澄み切った空気が流れているように感じていたのは、そういうことだったのか。

 

気の流れ。

まずは窓の開放。

上の方から順番に。

 

埃を払い落とすと、持ち物が再び呼吸を始めるような気持ちになるのです。

 

やっぱり

ブラシフェチ。

かも。

 

 

 

2016.07.29

着せ替え箱たち

 

 

簡易包装がエコであるという認識が、商売業界でもスタンダードとして浸透してきた昨今だが、とはいえそれなりの金額を払うものや壊れやすいものなどは、どんな装いで手元にやってくるのかもひとつの楽しみでもある。

 

 

hako

 

 

 

お客様の手元へと向かう包装という最後のシーン。ブランドの理念みたいなものが表れる部分でもある。商品と包装の適切なバランス、どこもさまざまなメッセージや工夫、思いが託されているのを垣間見るのはとても楽しみだ。

そうやってなんとなく溜め込んでしまった丈夫で使い勝手の良さそうな箱たち。

 

hakos

 

 

 

あちこちでついつい買い集まってしまった紙たちを貼って、着せ替え箱に変身。

 

キッチン棚の中に、スパイスや製菓材料、調味料やお茶のあれこれを収納しずらっと整列してもらうと、扉を開けた瞬間から楽しくなる。

収納のコツは隠すものと見せるもののメリハリをとることらしい。そして、統一感なのだとか。

 

ただ統一感というと、限定された嗜好になり意識しすぎて縛られて、思うようなものを探せず、結局妥協してバラバラなイメージに陥ってしまう。

過去何度も経験した。

妥協して代替品を買うくらいなら、多少の不便を強いられても理想のものと出会う日を待つ。

本当に好きなものや自分自身が落ち着く色を時間をかけてチョイスしていけば、統一されてゆくのだとやっと気づいた。

 

着せ替え箱。

桐箱をペイントしたり、革を貼ったり、布を貼ったり。

 

結構楽しいですよ、おすすめ。

 

箱文化というものは、やはりこれからも健在であって欲しいです。

 

 

 

 

 

2016.07.24

夏の蒼い時間

 

 

夏には夕方から夜へと向かう狭間な時間が存在する。

 

 

 

neon

 

 

 

厳密に言うとどの季節にもその時間は存在するのだが、西日本ではこの時間は長い。

そして、夏のこの時間はことさらに長い。

 

 

city

 

 

幼少の頃、遊びに夢中になり気がつくとお店の看板や横断歩道、あちこちが赤く染まっているのを目にして、慌てて友達と別れて家路へと向かった。

夕食の時間に間に合うよう急ぎ足と駆け足を繰り返しながら、頭上の茜色に藍色が混ざり始める空を見ると、なんとも寂しい気持ちになったものだった。

今あるものたちもいずれは変化していなくなってしまう。

 

 

誰に教わったわけでもないが、そのことを既にはっきりと知っていた。

 

そして、大人になった今、現実としてはっきりと無常の意を体験し識っている。

存在だけでなく、感情さえも無常だ。

 

夏には過去と現実を行き来するそんな蒼いノスタルジックな時間がある。

黄昏時の蒼い時間。

街も空も蒼く。

 

 

 

 

 

 

2016.07.19

記憶のふるさと

 

 

 

やっと梅雨明けしたそうだ。

セミたちが絶好調なコーラスを早朝より聞かせてくれている。

 

 

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福岡県の朝倉郡に現在もしっかり役目を果たしている三連水車がある。

実は動いているところをまだ見たことがなかったので、曇り日を狙って出かけた。

 

 

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前日も雨が降ったので、緑がくっきりと目に心地よかった。

と書きながらモノクロ撮影をアップしている。

 

 

福岡県はとてもコンパクトだが、生活してゆくにはとてもちょうど良いサイズだ。流通の充実、交通の便の充実、美味しい食材も集まりやすい。

少し離れれば海も山も川もある。

旅をして思うのだが、先進国の知名度のある街はおおよそ福岡位の街の規模だ。

もう自分の人生の半分以上は福岡で過ごしている。

故郷と言っても良いかもしれない。

それでも、生まれの鹿児島は故郷として声高に公言したい。

 

故郷はふたつ。

そういうことにしておこう。

 

 

 

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耳納連山に低く降りてきている雲が幻想的だった。

耳納連山は若い時分にも訪れて何度も眺めているのに、年齢を重ねると景色も違って見えるものだ。

 

優しく、少し物憂げな寂しさを感じる山々に思えた。

人生で生活を営む場所、そして何度も訪れる機会のある場所。

何か縁があるのかもしれない。

やはり九州は好きだ。

 

みなさん、故郷に帰っていますか?

 

 

 

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