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2022.12.04

山デビューのお手伝い役

 

 

 

今年最後となる個展のため明日から大阪へ向かいます。

今年は夏からずっと追われるようなリズムで、山を始めて最も登頂の少ない一年となってしまった。

 

そんな中、ブログ効果?(笑)なのでしょうか、お客様や最近知り合った方、山を始めたいとおっしゃられる方が妙に多く個展会場やショウルームへお越しのお客様方とも自然と話題になることが増えてきました。

 

 

近くに住む方で山デビューをしたいという方の、まずはお買い物にお供しましたのが先月始め。

翌週、買った靴をならすために近くの丘のような山の遊歩道を小2時間くらい一緒に歩き、そしていよいよ山デビューということで選んだ山は糸島の富士と呼ばれる可也山。

まだキャリアの浅い私ではありますが、ナビ役ということで先週一緒に登りました。

 

山では全国の山を登られた山愛好家にたくさんお会いしますが、本州の方は九州の山は特別だとよく語ります。

何が特別なのかと言いますと、山頂からの見晴らしに海が加わるということが醍醐味らしいです。

確かに、海もセットで眺められる山は結構多い。

 

山デビューの山の選択は、個人的にとても大切だと思っているところがある。

相手がどれくらいのレベルか分からないということもありますが、あまりに苦行のようなつらさだと景色も楽しむ余裕がなくなる。

かといって物足りないのも魅力も分からずじまいでもったいない。

そこそこつらいけれども登った達成感が得られる山であること。かつ、登った頂上の見晴らしがよいこと。

低山ならばよいかといえばそうとも言えず、低山はピークが割に急でロープワークや鎖場、岩場、テクニックの必要なところもあり怪我の恐れがあるので神経が疲弊する。

自宅から登山口までの距離が遠すぎるのも下山後、車の運転に支障がでる。

加えて、天気次第で山の印象が全く変わる。

寒すぎるのも、暑すぎるのもストレスになるので、お買い物から同行してお店の方のプロフェッショナルな説明にプラス、私レベルのプチアドバイス的なことを口挟んでいるわけです。

 

また登りたいなと思う気持ちになるかどうかを左右するのが、デビューの山で感じたことの大半を占める。ような気がするのです。

今回の山デビューお手伝い役を務めさせてもらった方は、川釣りフィッシングに以前ハマっていて、アラスカひとり旅の経験もあられる予備知識も十分あられる方だったので、私としてはあまり神経をとがらせることなく私自身も暫くぶりに楽しんだハイキングでした。

 

とはいえご本人的には、前日は緊張されていたとか。

 

山の中腹にあったブランコ。

 

ブランコに腰掛けて足を伸ばして、空を見上げてゆっくりこぐと木の枝から現れる太陽がダイヤモンドのような輝きを顔に降り注ぐ。

ああ、なんて気持ち良いんだろう。

ここにブランコ作った人、最高!!

 

山の仲間が少しずつ増えてくると楽しみ方もどんどん増えそうでうきうきします。

 

翌日、様子を伺うためにメールしてみたところ

 

あちこち痛い。

でも、とっても楽しかったから、また出かけましょう!

 

よかった。山デビューのお手伝い役、とりあえず無事に完了だ。

 

年末あたり、冬恒例の凍ったくじゅうの御池をまた見に行きたいと密かに思いつつ、明日からは今年最後の個展に集中です。

 

では、行って参ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2022.11.23

過去と今の自分との再会

 

 

 

先月末、暫くぶりに東京へ仕入れに行った。

前回訪れたのは3年前、色んな方との再会も盛り込んだ予定の上京だった。

東京在住のモノ作りの友人とは7年ぶりだっただろうか。以前お世話になったギャラリーのオーナーさんとは10年ぶりだったかもしれない。

変わらぬ笑顔に会えたのは本当に嬉しくもあり、励みにもなった。

 

 

 

 

 

そして今回、一番楽しみにしていた再会は、サラリーマン時代の同僚だった。

ひょんなきっかけで電話で話すことになり、上京する予定を伝えたらぜひ会おうという流れになった。

どれくらいぶりだろう。思い返してみるとなんと30年ぶりだった。

数え間違いではないか?一瞬、30年という時間にたじろいだ。

そうか、そんなに時間が経ったのか。

旅行会社に中途採用で入社してきた彼女は、一年ちょっとで福岡支店から東京転勤になりその後退職した。それからは全く連絡もとっていなくて年賀状のやりとりもしていなかった。

 

30年間どんな時間を過ごしてきたのだろう、少しドキドキしながら予約してくれたご飯屋さんに着くとまだ到着していなかったので、お店の方に予約が入っている旨を伝えていたら、後方から

「早かったやん!ふふふ、元気?」

彼女の博多弁。

振り向くとマスク越しの目元は、まさしく同僚だった。

変わってなかった。いい意味で変わっていなかった。

嬉しかった。

 

それからはもうずっと2人とも博多弁で、お互いのその後から今に至る話しを順番に聞いた。

 

不思議なものである。

共に過ごした人とはこんなに時間が経っても違和感がないものなのかと別れ際は名残惜しい思いで、次回は福岡で会う約束をして別れた。

 

若い頃の交流のあった人とどんなにブランクがあっても、会いたいなと思ったら時間をとって再会することは、結構いいものだな。

ホテルへ戻る地下鉄の中でそう思った。

人付き合いをまめに密にする方ではないのだが、不思議と一気に時間が戻れる仲がある。

それは、長い年月が経ったからそう思えるのだろう。

そしてもうひとつ、あの頃一生懸命であったことをお互いに知っていて、かつその後もそれぞれに一生懸命生きてきたという確信を相手の話を聞きながら理解するからなのだと思った。

そうやって相手を通して、過去の自分に出会い、今の自分を知る。

何か清々しい気持ちになれた30年ぶりの再会だった。

 

迷いも腹立たしさも悔しさも苦しさも寂しさも、全て時間と共に変化する。

どんな感情もたくさん感じた方が、味わい深いものになるのだろう。

そう思える未来の自分でありたいものである。

 

 

 

 

2022.11.11

共に暮らす呼吸する家具たち

 

 

 

 

快晴の日が続いている。

暑くもなく寒くもない。文字通り爽やかな秋の午後だ。

こんな日は家具のメンテナンス日に最適である。

 

 

 

無垢材の椅子やテーブル、チェストに念入りにオイル補給。

若い頃からインテリアがめっぽう好きだった。

当時は、家具といえば高価なものばかりで福岡の街にも3店舗くらいしかなかった。休日になると家具屋を訪れこのテーブルとあの椅子で張り地はもっと明るめで、その横にあのソファで、クッションカバーは質感を変えてカーテンはどの色がいいだろう。

そんな空想をしながら買える財力がないのでお店の方になるべく接客の声を掛けられないように、かわしながらぐるぐると店内を回っていたものだった。

いわゆるちゃんとした家具をやっと買えるようになったのは随分引っ越しも重ねた後のことだった。

その頃には自分の好みも把握して住んでいる空間に対してのバランス、動線パターンなども暮らしながら理解した上で、家具屋に足を運ぶようになっていた。

気に入るものは、なぜか60年代のものが多かった。

そして、素材は圧倒的に木のもの。

一気に買える財力はあいかわらずなくて、少しずつ、少しずつ揃えていった。

 

 

 

 

そんな時間をかけたインテリア探しは、私にはとても楽しくてお気に入りの家具屋に定期的に顔を出しているうちにお店の方と親しくなった。

初歩的な質問やデザインや構造の話し、工程の話し、時には世界情勢にまつわる話し、いろんな面での詳しい情報を教えて貰いながら購入していく。

ひとつずつ増えてゆき、それらに合わせたメンテナンスをしながら生活をしているとじわじわと気づいてくることがあった。

木のものは用途を持った家具に変身しても明らかに呼吸しているのです。

生き続けている。

少し膨張していたり、きゅっと縮んでいたり、なんだかかさかさと乾いていたり。

 

頭では知ったことでも、手入れをしながら使うと手を通してそのことを感じることができる。

そのことは、部屋を掃除することとは違った感覚で一種独特な時間なのです。

メンテナンスの途中に見つける気付かぬうちにできていた傷、どんなに気に入った家具でもそれを見つけてもさほど落ち込むわけでもなく、それがむしろ味わいや風格にさえなってゆくようで、それらを気付けば自然と受け入れている。

 

こんな風にして自分の人生も棚卸しをしながら確認作業をして、全て受け入れるようになったらどんなに楽だろう。

メンテナンスしながらそんなことを考えていると、塞いだ気持ちも晴れやかになってくる。

 

先日、長年お付き合いのある家具屋の方が納品に我が家に来られた際に、10年前に担当者から購入した椅子を見て喜んでくださいました。

え、うちの店舗のものよりいいあんばいの木の深みが出てます。

定期的にメンテナンスされてるでしょう。

 

少し、気分がよかった。

 

ものもそこに住む人と同じ時間を一緒に生きて暮らしている。

そんな気がしてならないのです。

 

 

 

 

 

2022.11.04

過去のきっかけ、勢いを経た今

 

 

 

夏からせわしく時間が過ぎてしまい、今年は10年に一度と言われるほどの山の紅葉を見逃してしまった。

 

でも、9月の末に上高地を訪れたので、悔やむ気持ちも半減に納められている。

あれは17年前だっただろうか。

ヨセミテ国立公園で出会った世界中を旅しているというご夫婦の

「ヨセミテも素晴らしいけど、上高地もなかなかいいわよ」このひと言が忘れられないでいた。

当時は登山を始めていなかったので、いずれお会いしたご夫婦くらいの年齢になったら行ってみよう。漠然と思っていた。

 

 

 

 

素晴らしい天気に恵まれた。

 

 

 

スマホで撮影してもこの美しさ。

 

 

今回は前穂高登山道から岳沢小屋までのピストン。

写真の右寄りの頂上に向かって延びている白い線の窪みの2/3辺りが岳沢小屋である。

ここで既に西日本一の高さを誇る石鎚山よりも更に高い。

そこから更に登ると前穂高、奥穂高、涸沢岳、北穂高、南岳、槍ヶ岳、知名度のある山々が右手へと続く。

途中西穂高展望所からの眺めは、すぱあんと視界が開け併せてこの好天気、登り慣れたくじゅうの何倍ものスケール感に圧倒された。

雄大を超えるほどだと伝えたいのだが、それ以上の適切な言葉を知らない己の表現力のなさにもどかしさを感じる。

甚だ陳腐だが、最大級の雄大。

超絶、雄大。

まさに神、高地。

ますます雄大さがしぼむ気配なのでこのくらいに留めておきます。

 

 

 

 

展望所では太陽の陽射しが澄んだ空気を浮遊するような心地よさで、時折り爽快な風がさああっと浄化するように吹き渡る。そして再び浮遊するような太陽の陽射し、浄化するような風。

繰り返される調和の取れた心地よさに、時間感覚を超越し自然とひとつになるような溶ける気分で景色もろとも酔いしれた。

登山道は九州の山よりも整備されて登りやすく思えた。

しかしそれも岳沢までの話であり、その先はかなりのレベル。入念な訓練を積んだとしてもこのコースで、頂上を目指すのは私の実力では無理であろう。

 

とはいえ、てっぺんをとらずとも個人的には満足だった。

元気なうちに行きたい場所として上高地を旅の予定地の候補に、こっそりいれたのは17年前。

まさかこの土地にこんなに早いタイミングでやってくるとは思わなかった。

しかも登山目的である。

ヨセミテ国立公園でお会いしたご夫婦はお元気だろうか。

 

人生は、きっかけと勢い。

心を動かした言葉や感覚を大切に生きることで、人は拡張できるのだと思う。

年齢や言い訳は捨てるべきだ。

17年前にきっかけを得た自分が、勢いを経て岳沢に立っていた。

紛れもなく歩いてそこまでやってきたのだ。

 

 

 

 

2022.10.16

おおきな椅子の上の空想

 

 

 

週末からの個展の準備もほぼ整い、昨日は、秋の好天気を狙ってしばらくぶりのロードバイクライドに出掛けた。

 

前回、仕事が推して前日に取りやめた行橋方面の京筑ルートの周遊コースの42キロ。

早朝出発し、自宅から2時間近く車移動しスタートしたのは犀川の駅。

清々しい朝の空気とひんやりした秋の空気。

漕ぎ始めた途端、そうそう、この感覚。

記憶を確認し、ひとり心躍る瞬間である。

昨日は、どこを走っていてもずーっと金木犀の香りがしていました。

まるで、金木犀の香水を自分自身がつけているかのように町中どこを走ってもずっと薫ってくるのです。

この時期、通りがかりのどこかのお家の庭先から薫ってくることは誰にでも経験のあることだろうと思うのですが、40キロ以上いろんな場所を常に移動しているというのに、町のどこに居ても四六時中薫っているという経験は全く初めてで、車では得られない自転車ならではの体感だと思うと、自転車を始めてよかったと再び心躍った。

以前訪れた場所で、似たような印象深い経験をした街がある。

あれは、5月のベルリンだった。

どこを歩いてもポプラの白い綿毛が雪のようにようにふわふわと舞っているのです。電車で隣町に移動しても朝からずっと舞い続けている。

金木犀の薫りを鼻先に携えてペダルを漕ぎながら、ふとポプラの綿毛が舞うあの幻想的で美しいベルリンの街景色を思い起こしていた。

 

お湯を沸かして川縁の風に吹かれてコーヒーブレイクをした後、スタート地点に戻りバイクを車に乗せると、どうしても行ってみたかった場所があり車にて移動することにした。

 

 

 

向かったのは、豊前の繁華街から離れた丘の上に忽然とある木製のおおきな椅子。

誰が何のために?

山々を正面にしたおおきな椅子には、よく見ると後ろの左脚の部分から登れる仕組みになっている。

椅子好きな私としては、ぜひこの椅子に座ってみたいじゃないか!

いつもは登ると言えば山だが、このおおきな椅子によじ登ってみた。

 

 

 

 

思わず笑顔になる。

ついでにこんなポーズも。

 

 

一寸法師の気分。

 

訪れて分かったのですが、この建物三階建てほどはゆうにあろうと思われる椅子が鎮座している敷地の中には、いろんな種類のオリーブの苗が等間隔で沢山植えられていました。

敷地の入口には、手書きで「森の学校」という看板を見かけた。

沢山のオリーブの苗が大きくなった頃、このおおきな椅子を中心に森の学校ができてゆく。

素敵な計画だなあ。夢がある。

どんな方が実行されたのだろう。

お会いして色んな想いを聞いてみたくなった。

 

椅子に座って景色を眺めていると、前方の山々に近づく落日の光が辺りの稲穂たちを撫でるような角度で照らし、まるで黄金色の絨毯を眺めているようで、そこは地球というリビングルームであるような錯覚に陥った。

地面から足を離す。

大人になると、あまりしないことだ。

そんな場所に腰掛けて見ると、不思議と雑念が溶けてゆく。

 

童心が産む独特の想像力と世界。

あの頃、創り出せた忘れてしまったものたち。

そこに近づくための学校。

この学校は、大人が必要とする学校になるのかもしれない。

 

ぜひ、再び訪れてみたいと思った。

 

 

 

 

 

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