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2023.09.08

琵琶湖バカンス

 

 

 

 

春から走り続けていたので今年は長めの夏休みを取りました。

行き先は日本で一番大きな湖のある滋賀県。

滞在先は草津。

そこを拠点とし近江八幡。

長浜。

彦根。

湖西エリアの北、マキノ。

近江高島。

比叡山。

と、琵琶湖を一周しました。

 

 

琵琶湖はどう見ても海。

大き過ぎる…

 

 

 

こちらは藤森照信建築、ラコリーナ。

自然と一体化しておりました。

 

 

 

 

近江高島からすぐの白髭神社。

日の出が背景の時間帯には一眼レフも持った方々が多いそう。

湖西エリアのこの界隈は、遊泳できるところが何ヶ所かあります。

 

 

 

 

 

 

 

井伊直継城主の国宝、彦根城。

琵琶湖を眼下にした立派な城でした。

城内の庭園、玄宮園は、本当に素晴らしい庭園でした。

歩いているだけで癒されました。

 

 

 

 

近江八幡の夕暮れ時の水郷。

一眼レフにて撮影チャレンジ。

 

 

 

長浜にあったお菓子屋さん。

なかなかの風格でした。

 

 

 

 

サイクリストの間では、琵琶湖を一周することをビワイチと呼びます。

滋賀県自体も力を入れています。

今回、私もビワイチチャレンジ。

一周果たしました!

ははは。電車とレンタサイクル乗り捨てでシニア流ビワイチ。

 

ルートを確認しての感想。

私には一生かかっても1日で走るのは無理でしょう。

 

滋賀では色々な学びがありました。

近江商人に関わること、歴史に関わること、信仰に関わること、

そこに立って初めて分かることやしみじみと感じることなど多くあるものですね。

 

九州から来たと話すと、みなさんとても温かく接してくれました。

わざわざ滋賀を選んでくださってありがとう。

と、何人もの方に言われました。

隣県は京都や大阪、華やかな街に囲まれているからやはりどこか謙虚でした、そして、みなさんとても感じがよかったのが印象的でした。

 

 

やっと日も短くなって参りました。

けたたましい暑さにひとつピリオドかな。

 

 

 

 

 

2023.08.24

撮影会

 

 

 

先週、無事に終わりました愛知個展。

お運び頂きました皆様、暑いなか心より感謝申し上げます。

 

さて、本日は、秋以降の山口、大阪、広島での個展に向けまして個展DMの撮影会でした。

 

 

 

お客様でもあるアマチュアカメラマンと午前中から始まった撮影会。

いろんなパターンを撮影し、最終的にはどれが選ばれるのかは、企画ギャラリー側の意図、目的、カラーということで、出来上がってくるDMも楽しみのひとつなのです。

 

個人的には、こんなボケ感のあるニュアンスのあるものが好み。

それはカメラマンも同意見なのですが、あくまでも商業用の伝達すべきためのものなので、と、モニターを2人して覗き込みながらいつかカメラマンの感性に任せて、好きなように撮影してもらいたいなとこっそり思いつつ、

 

もう少し涼しくなったらロケ撮影に出かけましょう!と提案。

 

 

 

 

 

 

いつも遠くから撮影のためにお越しいただき感謝です。

 

さあ、私はと言いますと春からずっと制作三昧の日々でしたが、明後日よりしばし夏休みです。

行き先は、ずっと行きたかった琵琶湖での滞在型バカンス。

 

やっとここまで漕ぎつけて、ほっとしております。

 

働いて、休む。そして、また働く。

幸せなことです。

 

 

 

 

 

2023.08.10

雲の上で想う

 

 

 

山に登り始めてよく見るようになった空模様がある。

その空には、特別な名前がついているということを後にカメラの本で知った。

 

日の出前と日の入り前の数十分の間だけ見ることができる幻想的な色に染まる空。

マジックアワーと呼ばれているそうだ。

 

 

先日、愛知個展に向かう朝、見たマジックアワーの空。

真夏の暑さから解放される日の出寸前の早朝、スマホに収めながら思った。

ああ、山、行きたいなあ。

山が恋しい気持ちにしばし蓋をして空港へ。

 

搭乗してしばらくすると、眼下に広がる黄金色に包まれた瀬戸内海をみていると、旅の気分を思い出した。

若い頃、いろんな国へ向かう途中よく空から陸を眺め、シートポケットの航空会社オリジナルの雑誌巻末の地図と照らし合わせるのが大好きだった。

あの川のそばには街がある、今頃朝ごはんを作っているのだろうか。

長い飛行時間の間に何度も雑誌をめくる時間も旅なのだ。

時空を超えた空想の旅。

もう、今ではシートポケットの雑誌は存在しない。

Wi-fiが使えるのだから。

味気ない旅になったものだ。

 

 

機長による機内アナウンスが始まった。

四国、紀伊半島に分厚い雨雲が発生しているので、ルート変更して山陰より名古屋へ向かうので若干到着が遅れますとのこと。

 

 

しばらくすると右手にかなりの分厚い雨雲が森のようになっているのが見えた。

 

 

 

山を登り始める前は、その日が雲ひとつない空模様であって欲しいと願っていた。

しかし、ある時、山頂で気づいた。

思い違いをしていた。

 

空が美しいと感じるのは、青いからではない。

雲の存在があるからだ。

雲の定まらない形、それらが景色と相まって情緒を産むものなのだ。

景色の中に雲は存在していた方が美しさは格別である。

 

花が美しいのも、葉の存在があるから。

雨の日があるから、晴れの日が気分が良い。

秋に実りあるのも夏があるから。

とはいえ、この暑さはもう災害に等しい。

エコバックどころの認識では間に合わないレベルだ。

 

我々は便利になった時代を逆行させることはもう無理であろう。

行き着くところまでいくのが人間のサガというもの。

ある科学者が語っていたそうです。

持続化可能はあり得ない。

ただ循環するのみである。

 

と。

万物の循環。

その環の中にいる人間という生き物。

人間の都合だけで生きているのではないことを忘れてはいけない。

 

雲の上で想った。

 

 

 

 

 

 

 

 

2023.07.31

愛知個展のご案内はひとつ戻ってね!

 

 

 

若い頃は、日本茶はあまり飲まなかった。

正確には美味しいと思えなかった。

 

 

 

以前もブログの中で触れましたが、日本茶が本当に美味しいと感じたのはお世話になっているギャラリーのオーナーさんが、個展中の隙間な時間に淹れてくださったいっぱいのお茶でした。

甘くてとろっとしてそれでいて後口が爽やか。

ああ、もういっぱい飲みたいな、そう思わせるお茶でした。

石田三成が茶坊主をしていた頃、秀吉に出したお茶の逸話を思い出した。

 

とっても美味しいですね、どこのお茶ですか。

と銘柄を尋ねた私にオーナーさんは、

ごめんね。お隣のお茶屋さんのものでランクはそんなに高いお茶じゃないのよ。

私は、質問をとても恥ずかしく思った。

先方が答えにくい質問をしたことへの申し訳なさも多少はあったのだが、どこのブランドが美味しいとか希少なものは味が違うとか、そんな情報集めみたいな自分のものさしが恥ずかしかったのだ。

 

お茶は銘柄よりも淹れ方で味がこんなにも違うのだ。

それが日本茶なのだ。

やっと開目した瞬間だった。

 

サラリーマン時代は、とても忙しい会社だったということもあり、コーヒーマシンのコーヒーをそれぞれが好きなタイミングで飲むという習慣で、お茶汲みを女性がするという社風ではなかった。

今思う。

美味しいお茶の一杯が淹れられずして、どのくらいの仕事ができるものだろうか。

 

ものつくりは、手を動かしながら気持ちを込めることがとても大事であるように思います。

きっと一杯のお茶を淹れることも同じであろう。

 

昭和の職場の当たり前には、やはり人として大事な教えがあったのかも知れない。

そんな風に思うことも既に化石化した考え方であろうと認知しつつも、同時に否めない真実でもあるとも言い切れる。

 

お茶、とっても美味しいです。

 

そんなひとことが言える場にたくさん出会い、そしてそんなひとことが頂けるようになりたいものです。

 

 

2023.07.09

手芸に救われるいつかのために

 

 

 

降ったり止んだりの変則的な天気に気分が引きずられ気味。

週末も警報が出ている。

気分転換に…

そうだ。

しばらくぶりに縫い物をしよう。

 

 

3年前に緊急事態宣言が福岡は全国でも早くに出ると決まった時、以前から興味のあった刺繍を始めようと手芸屋に行った。

始めると糸の色の組み合わせだけでも楽しくて、目や肩の疲労を忘れて夢中になった。

のちに今の住まいに引っ越したり、生活の時間配分も変化したこともありなかなか気持ちに余裕が出ずに向き合えてなかった。

 

 

 

私はミシンが苦手である。

きちっと真っ直ぐに丈夫に縫えるミシン作業は仕上がりも美しいのですが、

ミシンを広げる場所がないという現実的な理由もあり、気が向いたらいつでもすぐに始められる手縫いが好み。

でも一番の理由は、手縫いが持つ独特のふわっとした風合いが大好きなのです。

洋服やインテリア雑貨でも最後の仕上げのステッチが手縫いだと、それだけでグラッときてしまいます。

お気付きの方が多いかもしれないですが、フォンテスキーのアクセサリー納品袋は手縫いです。

あれは、活動を始めてからずっとこだわっている個人的な好み故のこと。

 

 

そんなわけで、我が家では刺繍や刺子、裁縫と用途別に箱やかごに分けてしまってあるので、刺繍用のかごカバーを刺子で作りました。

 

 

若い頃に読んだ本の中で印象に残った手芸にまつわる話がある。

最愛のご主人を亡くし、自身ももうあまり視力も思わしくなくなり、動作もきびきびと動けなくなったドイツのおばあちゃんが、何か自分にできることを考えた挙句、ベッドカバーを縫うことを家族に宣言し、とりかかった。

風邪をひいたり、体調が思わしくなくなったりして、遅々として進まない針の進め方に、孫は椅子のカバーになってもいいじゃないかと何度も提案したが、何年もかかってコツコツと縫い続けてついに完成させた。

完成したベッドカバーのお披露目を兼ねたお祝いには、家族や親戚中が駆けつけてパーティーをした。

 

そんな話だった。

いい話だなあ、こんな風なおばあさんになりたいな。

読み終えてそう思った。

 

年齢を重ねても手を動かし何かを生み出せることがあるということは、苦しみや辛さを置き換えたり遠ざけたりできるものではないだろうか。

 

いつの時代も女性にとって手芸ができることは、いつか自分自身の助けになる時がくる。

そんなふうに思うのです。

そして、その時、そんな風な暮らし方をしていたいと思うのです。

 

 

 

 

 

 

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