2016.06.10
温故知新
眼が覚めるとカーテンを開けて空を覗いてみた。
白く立ち込めた雲を通して太陽は光を射しているようだ。
梅雨独特の雨が降りきれない半端な曇り日。
仕事が立て込んできてる割にピッチが上がっていない。
そんな理由で、友人に誘われた長崎行きをなんとなく断っていた。
どっちつかずの天気。
フリーランスの特権だ、よし!思い切って予定していたスケジュールを全て変更し、長崎に行こう!
何度となく訪れているのに未だ見ていなかった、出島に行くことにした。周知の通り、今は島ではなくすっかり埋め立てられ街の一部となってしまっているが、当時の街並みを復元されてある。
なかなか見応えがあった。
思った以上に西欧人観光客が多いことにまず驚いた。
半分近くは異国の人々だった。
当時の出島も鎖国時代に唯一開かれた貿易と文化の拠点地として扇形に埋め立てて作られていたということだが、明治以降に埋め立てにより出島の一部がなくなり、更なる港湾改良工事により社会科で学んだあの形の出島は原形なくしてしまったらしい。
諸事情があってのことであろうが、多大なる文明への進歩が凝縮された場所であったろうに、なんとか残せなかったものなのかと悔やまれるばかりである。
やはりその後悔は、多くの方々から声が上がっているのだろう。
復元工事は現在、短中期復元工事を経て、長期復元工事計画へと進み、最終的には四方に水面を確保し、19世紀初めの当時の扇形をした島を完全に復元するのだとか。
今行うとなると、お金も時間もかかる工事だ。
当時はそれ以上の価値が、土地を埋め立てることの方にあったのだろう。
訪れていた西欧人は、古い歴史や文化遺産と共に生活をしている民族だ。度重なる戦の中で征服し、支配され、文化が混ざり合う。過去のありのままが混在した中で、多少の不便を受け入れて日々を過ごすことを理解している人々だ。
日本のこの計画を彼らはどう感じるのだろうかと思いながら、すれ違う様々な国の様々な年代の異国の人達と、出島、いや今はまだ出島エリアと呼べば良いのか。を見て回った。
至極シンプルな、この日時計にとても魅せられた。
生憎の曇り空ため、時間を実際に確認出来なかったのが残念だったが、この日時計を見た途端、スウェーデンの画家、カール・ラーションの言葉が頭の中で何度もリフレインしていた。
「正しく古いものは、永遠に新しい。」
九州の人はきっと修学旅行などで訪れたことがあるでしょう。
改めて訪れてみたら感じることが変化しているものですね。
温故知新。
自分の仕事もこの繰り返しで、背筋を正されるものです。