2016.07.04
モノに変換された贈り物
昨年のことだった。
30年以上アクセサリーの販売にずっと携わり続けた方が、業界を引退されるにあたり、ご挨拶のお電話を頂いた。
私が出会ったのは、5年前。
仕事にとても厳しく、情熱的で、有言実行、常に実績を出し、多くの経験に裏付けされた自信に溢れた女性だった。
お仕事を何度か一緒にさせて頂いてとても実力のあるパワフルな方だと感じていたので、機会があればもっと沢山のことを学ばせて頂きたいそう思っていた。ご挨拶のお電話を受けながら、心中惜しい気持ちがいっぱいだったのを記憶している。
先週、突然贈り物が届いた。
陶器だ。
丁寧に包まれた和紙を開くと内側は真っ白で、花結晶の模様がふわふわと浮かび上がり、底の方には淡い紫色が揺らめくように溜まっていた。
不思議なことに外側はというと、全体的に白なのだが底の方へゆくにつれ内側と同じ紫ではなく砂漠の砂のような色なのだ。
そして角度を変えるとその砂漠の砂が舞い上がるかのようにして、器の全体がほんのりと薄い砂色に覆われる。
清水焼の窯元の4代目の作品でした。
これまでお世話になった方々に、それぞれの方のイメージで器を贈ろうと思い、昨年はずっといろんな作家さんの窯元やギャラリー、作家さんのものを扱うショップを巡られたとのこと。
贈りたい方の職業や内面的なもの、発している雰囲気、容姿、ご自分が感じる限り、知る限りのいろんな情報を作り手や仲介される方にお伝えして作って貰うという時間をかけた作業だったらしい。
私のものはぴったりくる作家さんを探すのに、とても時間がかかったとやらで今になったと話して下さいました。
とても粋な贈り物の仕方にたいそう感激したと同時に、他人が持つ自分へのイメージを、モノに変換され贈られてきたモノそのものと対峙した時間がこのうえなく不思議な気持ちだった。
私は素直にこの器が好きだと感じた。
よく見れば、いろんな世界がある。
素敵な器だった。
そして、私は、こんな人間になりたいと素直に思った。
受け取られた方々は、きっと皆様気に入られたと思います。
その人のイメージに置き換えられたモノを贈る。
これはなかなかできることではないように思う。
豊富な人生経験と人を捉える広い感覚がないと難しい。
私などは、つい自分の感覚が介入してしまいそうだ。
贈り物の心、真心というものを教えて頂きました。
改めて全てに感謝したいと思います。