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2018.11.07

微笑み顔施

 

 

 

女性の微笑む横顔の鉄板切り抜きアートを海辺で見つけた。

 

 

 

 

 

働き続けて年齢を重ねてくると、対価として頂いた金銭でただ生活をするだけでは不確かな気持ちになることが増えてくる。

自分ができることが誰かにとって少しでも何かを与えられているのだろうか。

仮に少しでも出来ていたとして、それは一体どんな種類のものなのだろうか。

そんなことを考えるようになる。

 

 

 

人が人に与えるものとしてイメージするものの多くは、金銭やモノ、名誉、地位、権限、概ねそういったところだろうか。

 

仏教用語に顔施という言葉があるらしい。

 

生まれたばかりの赤ん坊を大人たちが見守っていると、赤ん坊は泣き止み、やがて笑顔になった。

 

それを見ていた大人たちは、たちまち幸せな気持ちに満たされ、つられてみんな笑顔になった。

その一部始終を見ていて、生まれてきたばかりの何も持たない赤ん坊でさえ、人に笑顔というものを与えることができるのだと悟る。

 

そんな話だったと思う。

 

笑顔や笑い声が聞こえる所に人は集まる。

嫌なことや辛いことが重なる時にこそ、笑顔という顔施を忘れずに機嫌よくいようと努めること。

そのうち、負の気も引き払ってしまうだろう。

 

 

自分の顔は、肉眼で確認できない。

鏡を通してしか確認できない。

 

顔を他人に向けて施しているのであれば、努めて微笑む位がちょうど良いのかもしれない。

女性は特に。

 

海辺の鉄板切り抜きアートを見て、そんなことを思い出した。

 

 

 

 

 

2018.10.29

ゆらめきのバランス

 

 

 

秋から冬にかけての設えの変更は、口笛を吹きたくなるような気分だ。

事実、吹いているかもしれない。

 

 

 

 

 

カーテンやルームシューズの取り替え、寝具の交換、トイレや脱衣所にマットやラグを出したり、クッションカバーを秋色に変えて小さなひざ掛けを出したり、テーブルクロスを掛けたり、ワンシーズンに1度の家具のメンテナンス、オイル塗りも念入りに、、、

秋晴れの日を狙って、とにかく徹底的にやる。

 

全てが入れ替わった日の夜には、静かな音楽を流しながらキャンドルに火を灯す。

キャンドルの火のゆらめきは、人間の右脳と左脳のバランスを整える効果があるらしい。

 

 

 

夏中、早起きでひとり夏時間で行動していたが、秋冬はどうしても起床も遅くなり夏のように行動できない。

自分の怠心からくるものかと思っていたが、どうやらそれは責めるべきことではなく、それが身体にとっては自然であり、かつ身体が必要としていることなのだと、ヨガの講師に教わった。

 

人間の身体も秋から冬にかけては、お休みやエネルギーの蓄えの時間サイクルになるのだという。

 

人間も動物と同じ。

冬眠の時間なのか。

ならば、今年からは

思いきり秋の夜長を堪能しよう。

少しの寝坊も許し、冬ごもりを楽しもう。

 

そう思った。

 

四季のある地に生活していてよかった。

 

 

 

 

 

 

 

2018.10.22

ガラスポットたち

 

 

 

先週末をもちまして、佐賀個展が無事に終了いたしました。

 

今回は、当初、予定していなかった期間の中日にもお伺いしました所、初めてのお客様にもお会いできてとても楽しい個展でした。

 

お時間とってお越し頂きました皆様に心より感謝申し上げます。

また、お会いできる時を楽しみに致しております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて。

 

すっかり秋の気温となって参りました。

 

今年の夏はあまりにも暑すぎて、ベランダのハーブたちも瀕死の状態でしたが、この頃、再びすくすく育っております。

 

早朝ハーブたちに水やりをしながら、今夜のメニューで摘みたてのハーブを使おうと思っていても、夕方になるとすっかり忘れてしまう。

 

料理が仕上がる頃に、あああー。

と、時すでに遅し。

ならば早めに摘んでタッパーウエアに入れて冷蔵庫に入れておく、いざ調理にとりかかる。と、今度はタッパー自体を出すのを忘れる。

盛り付けも終わった頃に、わああー。

と、時すでに遅し。

 

ワタシは、おつむが弱いのかしら。

 

おつむの弱い自分のための自分による自分なりの工夫を思いついた。

 

思い立った時に摘んでしまい、蓋つきのガラスポット、キャニスターに入れて、キッチンの棚に置く。

蓋があるおかけで乾燥を防ぐ上に、蓋を開けた瞬間充満したハーブの濃密な香りを嗅ぐのも幸せ。

おまけにキッチンの棚、ここは何がなんでも目に入るでしょう。

だね。大丈夫!

自分と会話。

 

 

食べる直前に盛り付けたいものなどを、蓋してそのままテーブルに置いておくのにも便利。

食べ残しなフルーツなど蓋をしてそのまま冷蔵庫へ。

ガラスはタッパーウエアと違って匂いがしみつかないのもよし。

しかも、これは耐熱。

メイドインジャパンのリーズナブルなスグレモノだ。

 

ガラスで中が見えることと蓋があるというのは、なかなか優秀なキッチングッズです。

特に、忘れんぼの私には最適なのです。

 

まあ、ブログで語るほどではないんですけどね…。

しょぼん。

 

でも、私みたいな忘れんぼな方には、ちょっぴり耳寄り情報でしょ。

にこっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2018.10.11

佐賀個展のご案内はふたつ戻ってね!!

 

 

 

気づいてますか。

2018年もあと2ヶ月ちょっとで終わるってことを。

 

街に出かけると、文房具屋では来年のスケジュール帳が目立つコーナーに。

デパートではおせちの注文受付始めのアナウンス。

急き立てられるような1日1日の経過に、大きく深呼吸ひとつ。

 

 

 

 

カレンダーの中の残された月をじっと見つめていると、恐ろしく的外れな過ごし方をしてきたんじゃないかと、今更ながら焦りの熱が身体にこもってくる。

 

今年、一体どんな風に過ごしたんだ。

2018年今年の1月からスケジュール帳を追ってみる。

ああ、そうだった。

そうそう、これって今年のことだったか。

過去を変えることはできないが、思い出される特別な日も、忘れさられた日も、過去はすべて今へとつながる歴史となってゆく。

明日になれば、今日でさえも歴史。

 

時に振り返る作業をすることは、大切だと思う。

 

今お付き合いをしている方々、仕事で関わる方々、そもそもどうやって始まったのだろう。

その事に立ち返る時、今と違う背景が見えてくる。

個人的な話になるが、私は不思議ときっかけとなった人や、モノ、コト、それらの先にある人やモノ、コトから劇的に世界が広がり、長くご縁が続く傾向にあるようだ。

 

その先にあるご縁に出会うには、今あるご縁をないがしろにしては出会えない。

 

 

どんなご縁も大切にしなさい。

 

年長者の言葉は、いつもシンプルで含蓄深いものだ。

 

若い頃、生意気盛りの頃には、その深みには気づきもしなかった。

その言葉を使うことで理解したつもりになり、言葉だけが上滑りして薄っぺらだった。

それも当然だろう。自分自身がまだまだ浅いのだから。

 

体験と実感がぴったりと密着してくると、やはり言葉はシンプルになってゆき、より沁み入るようになる。

 

人の興味を引くのは行為の過程であって、行為それ自体ではない。

真に重要なのは完成への過程であって、完成されたもの自体ではないのである。

 

「茶の本」岡倉天心著 より

 

明日になれば、今日という日も辿り着くどこかへの過程となる。

ならば、笑顔を携えて向かおう。

 

 

 

 

2018.10.05

佐賀個展のご案内はひとつ戻ってね!

 

 

毎週末のように台風進路が気がかりな生活だ。

 

佐賀個展の制作もあと一点で、準備完了!

来週は、秋晴れのよいお天気に恵まれることを願っております。

 

 

 

 

 

 

さて、先週近くの公園をのんびり歩いていたら秋を見つけました。

秋色づいた落ち葉。

それなのに、ちっとも秋色が分からない。

 

カメラがモノクロモードになったままだった。

ごめんあそばせ。

 

日中の陽射しの中には、涼から寒に向かうひんやりとした気温が混ざっている。

街中を歩くのも心地よい。

 

短くなりつつある春や秋。

絵に描いたような秋の日を感じたら、早めにヤスリを置いて外へ出かけよう。

そう思っているのに、連続台風で実行が難しい。

 

本日も厳しそう。

週明けには実行できるかな。

 

 

 

 

 

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