2018.10.11
佐賀個展のご案内はふたつ戻ってね!!
気づいてますか。
2018年もあと2ヶ月ちょっとで終わるってことを。
街に出かけると、文房具屋では来年のスケジュール帳が目立つコーナーに。
デパートではおせちの注文受付始めのアナウンス。
急き立てられるような1日1日の経過に、大きく深呼吸ひとつ。
カレンダーの中の残された月をじっと見つめていると、恐ろしく的外れな過ごし方をしてきたんじゃないかと、今更ながら焦りの熱が身体にこもってくる。
今年、一体どんな風に過ごしたんだ。
2018年今年の1月からスケジュール帳を追ってみる。
ああ、そうだった。
そうそう、これって今年のことだったか。
過去を変えることはできないが、思い出される特別な日も、忘れさられた日も、過去はすべて今へとつながる歴史となってゆく。
明日になれば、今日でさえも歴史。
時に振り返る作業をすることは、大切だと思う。
今お付き合いをしている方々、仕事で関わる方々、そもそもどうやって始まったのだろう。
その事に立ち返る時、今と違う背景が見えてくる。
個人的な話になるが、私は不思議ときっかけとなった人や、モノ、コト、それらの先にある人やモノ、コトから劇的に世界が広がり、長くご縁が続く傾向にあるようだ。
その先にあるご縁に出会うには、今あるご縁をないがしろにしては出会えない。
どんなご縁も大切にしなさい。
年長者の言葉は、いつもシンプルで含蓄深いものだ。
若い頃、生意気盛りの頃には、その深みには気づきもしなかった。
その言葉を使うことで理解したつもりになり、言葉だけが上滑りして薄っぺらだった。
それも当然だろう。自分自身がまだまだ浅いのだから。
体験と実感がぴったりと密着してくると、やはり言葉はシンプルになってゆき、より沁み入るようになる。
人の興味を引くのは行為の過程であって、行為それ自体ではない。
真に重要なのは完成への過程であって、完成されたもの自体ではないのである。
「茶の本」岡倉天心著 より
明日になれば、今日という日も辿り着くどこかへの過程となる。
ならば、笑顔を携えて向かおう。