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2018.12.27

ありがとう2018年!!

 

 

 

本年のお仕事無事に終わりまして、明日から一年の諸々整理整頓。

来年のあらかたのチャレンジしたいことや今年試みたがうまく軌道に乗せられなかったことなどを、ザクッとまとめつつ新しい年にも備えたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日、書類の整理をしながら、案外今年も頑張ったじゃないかという思いともっと角度を変えググッと踏み込み臨めたのではないかという拮抗した思いを抱えながら、1年を振り返ることができました。

毎年、この最後の1週間は、大まかな確定申告の準備含め1年間を振り返る内省の時間に充てているのだが、自分なりに気持ちを締めくくるルーティンになっていてすっきりする。

 

どんなことも目前にフォーカスしひとつひとつクリアーにしてゆくと、全体の高さは気にならないものだ。

 

新しい出会いの多い1年だった。

人にモノに芸に、そして自分自身に。

 

個人的に、進化変化する全てを受け入れることに少し時間を要するところがあるのだが、一旦受け入れると、なんだ、まだまだアクセル踏めるじゃなか。

そんな自分に出会ったりもした。

 

 

 

来る年が皆様にとっても、健やかで穏やかな1年となりますようにと願うばかりです。

 

 

平成最後の本年、あちらこちらで本当に楽しくお仕事させて頂きました。

厚くお礼申し上げます。そして

来年も変わらぬご愛顧賜りますようどうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

感謝。

合掌。

 

 

 

 

 

2018.12.18

 

 

 

16日、日曜日をもちまして無事に大阪個展終了致しました。

 

今年も元気にお会いできた皆様、やっとお会いできたお客様、初めてお会いしましたお客様、本当に楽しく嬉しいお時間でした。

全てに心より感謝申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こうやって、1年、あちらこちらで個展に伺うのも自分自身の身体が自由に動き、且つ関わって下さる皆様も健やかであり、身体が自由に動ける故のこと。

表には出ないがかなり重要な存在の資材屋さんや業者さん、流通会社、交通機関、宿泊先、数え挙げたらきりがない位に、沢山の方々に支えられている。

もちろん親しい友人たちの存在も大きい。

家族も健康でなければ動きに制限が出る。

 

全てがかみ合わないとひとつを終えることは出来ない。

 

日常のようであるが、実は仕事を終えるということは奇跡的な絡み合いだ。

 

大きく捉えるならば、これが社会の成り立ちである。

 

仕事を通して社会に参加出来ることは、その規模に関係なく喜びである。

優劣もなく、ただただ誰かの喜ぶ顔を見れる我が仕事は、日々励みとなる。

 

私の仕事は、皆さんがおそらくイメージされるより、かなり地味でこつこつ進める作業である。

準備を進めている間は、日々、これで良いのかと自問自答だ。

そんな時、

お世話になるギャラリーや店舗さんのオーナーから、個展の前に言われる魔法の一言がある。

その言葉は、どんなにクッタクタでもみるみるエネルギーを満タンにしてくれる言葉だ。

 

「皆さん、とても楽しみに待っていらっしゃいますよ。」

 

自分の仕事を楽しみに待っていて下さる方がいる!

どんなに励みになることか。

お客様から直接この言葉を頂くこともある。

 

自分が誰かに必要とされていると感じられる瞬間が、人の心を最も満たすのではないだろうか。

 

金銭やモノが、人の心を満たす事には限界があるように思う。

とはいえ、私はその限界のある銀のアクセサリーというモノを作っているのだが、私は、自分が作ったモノを待って下さっている皆さんに会うために行っている。

正確にはこれが正しいような気がしている。

 

作ったモノを介して時間を共有する場。

それがあちらこちらでお世話になっているギャラリーや店舗さん。

これら全ては、時間のつながり、人のつながり、モノのつながり。

全ての礎となっている不思議な力が存在する。

 

縁。

である。

 

ご縁。

 

日本語の中でも特に好きな言葉であると、しみじみ思う年の暮れ迫るこの頃である。

 

袖触れ合うも他生の縁。

 

来年もどこかで会えるまだお会いしていない誰かに会えることを楽しみにしたいと思う。

 

なんだか、今年の締めくくり的なブログになりましたが、まだ終わらない!よ。

 

 

 

 

 

 

2018.11.26

浮かび上がる光の中で

 

 

 

明るき時には、隅々まで見渡せる光を。

暗き時には、不便のない、程よい明るさで。

 

 

 

 

 

灯りは頭で思うより大切であるように思う。

 

ある頃まで、暗くなったら何も考えずに決まりごとのように電気をつけていた。

しかし、異国へ旅をしながら、どの街も街全体や生活の中に適度な明るさというものが溶け込んでいることに気づき始めた。

本来、夜につける照明とは昼の太陽に近いくらい明るくするためのものではなく、もっと時間の過ごし方、共に過ごす相手によって灯りを使い分けるためのもの。

このさじ加減で、心身共に心地よくいられる。

そのために存在しているのかもしれない。

 

夜に通っているヨガのクラスでも、講師は1時間のクラスの中で少しずつ照明の明るさを変化させてゆく。

たったそれだけで、筋肉が少し頑張ったり、緩みリラックスしたり。

明るさは心だけでなく身体にも与える影響は確かだ。

 

異国の街やホテルのロビー、旅先でふっと沸き起こるあの独特の心地よさ。

あれ。

そう、この感覚。

いつか体験したものだ。

記憶を辿ろうとしばし逡巡する。

 

度々そう感じていたものは、その土地に感じていたのではなく、自分の身体感覚が求めているものと正しく噛み合った瞬間であったのではないのかとこの頃思う。

自分の目や脳が求める安らぎの明るさ。

それは身体にも直結している。

 

テレビを持たない生活を始めて10年くらいだろうか。

パソコンやタブレットも夜に見る事が随分と減った。

 

苛立つ、腹立つという感情の逆立ちが、私の中から以前より遠ざかったような気がするのは、年齢故のことではないように思っている。

 

空間にあるものたちがふわっと浮かび上がる光の中で、心の静寂とバランスを保つ。

 

夜は、自分にとってそんな時間帯であるよう明るさを意識し、生活を変えた。

聴き入る音楽。

文字を追う読書。

愉しむ食事。

全てが深く味わえるようになった。

それは、私にとって思いがけないほどの効果をもたらせてくれた。

 

インテリアを変える前に、明るさを見直してみること、これはとてもよいことだと思う。

人の心にも身体にも。

 

 

 

 

 

 

 

2018.11.17

秋の午后

 

 

 

息をひそめるような青空を背景に、赤く色づいたもみじがさえずるように揺れる。

 

葉の先端まできちきちに開き、透けるほどに光を浴び、さえずるさまは生の証し。

 

 

 

もうひとつ。

遠くさえずるような音が、足元から聞こえてきた。

 

 

 

 

音の先に見えるは、水分が抜けきってしまったシルエットの重なり。

木々が手放したもみじの葉っぱたちは、路上にて声は違えど再びさえずる。

 

頭上では、今まさに生を謳歌するさえずり、地上ではかつての記憶を辿るようなさえずり。

ふたつの音階の違う音は溶け合い、鎮魂歌さながら秋の午后を鳥のように舞う。

 

 

 

 

 

 

2018.11.11

登山の世界

 

 

 

本は読んだら手元に置いておきたいと思うもの以外は、好みそうな友人や知人に譲るか売却している。

 

しかし、本を開くとどこで生まれたのかちっちゃなちっちゃな謎の本の虫?が現れる程、薄汚れてしまっていてもどうしても手放す気になれないのが山岳小説たちだ。

 

 

 

 

あの苦しさを味わおうとする人間が知る独特の世界観は、実に魅力的に思えてならなかった。

ずっと心の端の方に潜り込んだまま、扉は開かない。

そんな囲われた登山の魅力は、小説を読み進める時に開くもので、実生活とはどこか無縁であると思っていた。

 

先月のこと。

天災の多い昨今、九州も今年は雨や台風の被害が多かった。

避難用のためのリュックをひとつ買っておこうと思い、登山店に出向いたら、そこには山岳小説で馴染みのある道具やウエアがびっしり並んでいた。

 

自分の体験していない世界を知っている人たちがこんなにいるのだ。

しかも、福岡の中心地にもあちこち専門店がある。

これだけの市場があり、需要があるということ。

まずそのことに心が浮き立った。

 

ザックを背負った自分を鏡越しに見た。

 

よし!登ろう!

始めよう!!

突如、扉が開いた。

 

そして、5年前に山を始めた山先輩に頼み込み、トレッキングシューズを新調し山デビューを先週果たした。

 

めっぽう楽しかった。

初回は、ハイキングレベル。

 

明日はお天気良さそうだね。水かお茶を持ってきてね。

前日に届いた山先輩からのメール。

当日は、これ以上にない絶好の山日和。

 

山先輩が温かいお茶、行動食の甘いもの、おむすびや果物、すべて準備して下さっていた。

 

山を始めた時に、自分も山先輩にして貰ったのよ。

だから初めての人と登る時には、いつも2人分用意するようにしてるの。

にこにこしながら青空の下で手早く広げたおむすびランチのおいしかったこと。

格別だった。

 

 

 

 

そして、本日。

仕事を早めに片付けて、先週登った山を復習のつもりで今度はカメラ片手にひとりで登ってみた。

 

ファッションだと思い込んでいたものにも、全て意味があるのだと気づくことが多々あった。

ザックひとつにしても、両手をフリーにしてスマホをする為のタウンリュックとは全然仕様が異なっている。

 

身体感覚の個人差。

登るペース。

選ぶ道、コース。

見える景色。

 

楽しみ方はそれぞれだ。

 

私は、今日、光を沢山感じることができた。

光が当たる場所と当たらない場所。

陰影コントラストが、カメラの露出をいじらなくてもただシャッターを押すだけでこんなにナチュラルに撮影できることに、ときめいた。

街中では感じることのできない、いや見ることのできない光の世界だ。

 

 

今回、山先輩にして貰ったことへの感謝の印として、いつか初めて山を登る方と一緒になることがあれば、自分がして貰ったことを同じようにしてその方に回そうと思った。

 

それが、山を始める礼儀なのではないかと思った。

 

月末は、縦走にチャレンジの予定。

次は、何を感じることができるか今から楽しみだ。

 

 

 

 

 

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