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2018.08.08

善き1日

 

 

 

今月に入ってから突然慌ただしくなりあっという間の1週間。

 

来月の山口県での個展、その翌月の佐賀県での個展の準備に勤しんでおります傍ら、世の中は週末からサマーホリデイなのだと、スケジュール張で知る。

 

 

 

 

個人的には、サマーホリデイ返上の日々になりますので、済ませておくべき諸用などを整理していると、あっという間に日が暮れている。

 

もう暦の上では立秋。

私の頭の中もそろそろ夏仕様にもいささか飽きて参りまして、早く秋の支度がしたいなと奥の方へと仕舞い込んでいる秋の装いや、しつらえもののあれこれを覗いてみて、はやる気持ちついでに触ってみる。

わ!まだ暑いわ!

 

と、マヌケなことをやっております。

 

夜の日課となっているヨガのレッスンもお盆期間中は休講。

街もきっといつもより静かな1週間となるのでしょう。

昼間はしっかり働いて、夜には心地よくエアコンの効いた部屋で、3年前からはまっております落語のDVDと読書ざんまいでちょいと休日もどきのリフレッシュを愉しもうと検討中。

 

うーっむ。

 

やっぱり、くつろぎ方も既に秋だ。

 

しっかり働き、やるべきことをやり終えて、充足感のある食事を済ませ、安らぎの時を味わう

特別なことがあった日よりも、いつものようにして1日をきちんと終えられる時、

本日も善き1日だった。

 

心からそう思うのです。

 

 

2018.08.01

失われゆく貨幣

 

 

かつてヨーロッパ中の貨幣が統一されるという話にも驚いたが、今では、貨幣そのものがこの世から消えるという、過去には考えられなかった時代へと突入しつつある。

 

 

 

 

 

 

10年ほど前に訪れたオランダ、アムステルダムでのこと。

滞在ホテルの近くの結構賑わっているスーパーを昼に見つけていたので、夕刻買い出しに行ってみた。

そのスーパーは商品陳列も美しかった。

日本人と比較すると圧倒的に平均身長が高いオランダ人。

買い物カゴも日本とは違っていた。

素材は日本のものとほぼ同じなのだが、形状が縦長の箱型になっているもので、キャビンアテンダントが引いている車付きの手荷物カートタイプ。

持ち手の部分をスルッと引っ張り上げて使うスタイルだった。

 

陳列する野菜や果物を選ぶ際も、お隣の人のカゴを気にすることなく手を伸ばすことができるし、ダースで買うビールやペットボトル、自分の持っているバッグを引っ掛けるフックも付いている。これならば、カゴが重すぎて買い忘れたものを諦めるということもなく、買いたいもののコーナーに戻ることも苦にならない。

商品の品質表示もじっくり読める。

 

なるほど、所変わればだなぁ。

スーパーの買い物が新鮮に感じてウキウキした。

 

清算をしようとレジに並んだ。

レジは6カ所。

みなさん、きちんと2列に並んでいた。

大きなモニターに音と共に表示される番号のレジに順番がきたら向かう。

 

清算を済ませようとユーロ紙幣を出したら、キャッシャーの女性が私の顔を見て言った。

 

この店は、クレジットカードしか使えない。

カードは持ってないか。

 

驚いた。

 

当時、日本では現金しか使えないスーパーはあっても、クレジットカードしか使えないスーパーとは聞いたことなかったので、聞き間違いじゃないかと尋ね直した。

 

なるほど、夕方の混雑する時間帯にしてはどうりでレジがスムーズに感じたわけだ。

 

10年後の現在、同じヨーロッパ北部スウエーデンでは、今、キャッシュレスが進行しているらしい。

今思えば、もう、あの頃から、北部ヨーロッパではにわかにシフトしていたことだと、10年前の体験が線となってつながった。

 

貨幣を見ることがなくなるというのは、私にはどうにもピンとこない。

 

画像は、滞在中、アムステルダムで訪れたバッグミュージアムに展示されていた、ちっちゃなシューズの形をしたコインケース。

 

こんな可愛らしいコインケースやお財布も用事なくなるのかしら。

なんだか味気ない、そう思いません?

 

 

 

 

2018.07.25

表裏一体な未知と既知

 

 

この道の先にある景色、そこで出会う変化。

この場所から動かない限りは、全て未知、未来のままだ。

向かって歩き始めると、未知は経験に、未来は現在を経て過去へと進行する。

 

 

 

 

 

この景色は、過去に訪れた地中海寄りのスペインの車窓から見た村のようでもあり、どこかの美術館で見入った印象派の絵のようでもあった。

 

どこか自分に深く関わったような場所のような錯覚に陥入り、溢れそうな郷愁の念に感傷的になった。

 

ここは、福岡県北部にある平尾台。

山口県の秋吉台に並ぶカルスト台地。

初めて訪れた場所だ。

 

でも、私はこの道を何度も何度も往復したような気がする。

未知ではなく、抹消されてしまった既知の目覚めではないだろうか。

 

初めて訪れた場所や時間が、懐かしくてたまらない気持ちになり、自分の中の奥深くとコンタクトが取れるような事がある。

そこには、最も重要な真実が包まれているような気がするのだ。

ひょっとして私は、あべこべな場所に生きているのではないか。

心の小さな隙間で、そんなことを思ってしまう。

 

 

極稀に飛来するこんな気持ちになる瞬間は、決して見過ごしてはならない。

堆積され続ける日常の狭間、それは、必ずどこかの景色を隠れみのに現れる。

 

もしも出会った未知のものが、まるで既知であるかのような強い確信を感じたならば、ためらわずにそこへ向かって歩き始める。

そんな軽やかさをずっと持ち続けていたい。

その時、例えどんなに年齢を重ねてしまっていたとしても。

 

 

 

 

 

2018.07.16

朝の静けさに

 

 

 

メモリアルなイベント写真展のために、カメラマンと朝陽の光を利用して作品撮影をすることになり登頂したことがあった。

山頂での朝陽と登り慣れていない私の速度を逆算し、登り始めたのは早朝5時だった。

とても寒い頃で、1メートル先も見えないほどの闇に包まれた山。

過去に登った人々の足で作られた、道というには心細いほどの道を登り始めた。

ヘッドライトと足元を照らす懐中電灯。

先を行く何度も登り慣れたカメラマンの後を登る。

 

人間の目は暗い場所でもしばらくすると慣れてくるものだ。

しかし、それはある程度周囲に明かりが残っている環境での話であり、月のない夜の山、大自然の中にあっては、そんな楽観的なものではなかった。

 

 

 

 

登りながら登頂という行為を生きることに照らし合わせ、感じ入ることがあった。

 

先が見えないとは、こんなに恐ろしく疲れるものなのか。

暗闇が恐ろしいのではなく、進むべき道がどこにあるか全く見えない。捉えられない。

これは、想像以上に神経が疲弊する。

 

我々は生きてゆく上で、先に生きた多くの年長者という道標を持っている。道標となる方に、直接教えを請うこともできる。

そして、希望や憧れ、モデルとなるもの目標を通して、イメージというものを持つことができる、それらは、暗闇を照らす明かりになる。

もしも、それらが一切なければ…

その中でたったひとりで歩まなければいけないのであれば…

自分が日頃いかに沢山の明かりに包まれて生きているか、明かりを頼りに生きているかを感じた。

 

懐中電灯を照らし、変則的にうねる冬の枯葉や朽ちた枝で埋もれた土の道を探りながら、ゆっくりと一歩一歩確実に。

道は真っ直ぐだろうと勝手に判断して、勢いよく踏み出した先が思わぬ誤算で傾斜になっていて転げおちかけたことが何度もあった。

気が緩んだ頃に、足元をすくわれる。

まさに人生教訓に満ちた登山だった。

 

三合目あたりで、ようやく空が白ばみ始めた時には、どれだけ楽に歩けたことか、速度も一気に上がった。

暗闇を知れば、明るさがあることがどんなに有難いことであるかを知る。

 

明けない夜はない。

 

どんなに天候が悪くとも、朝には光がもたらされる。

 

夏至の候、1日がとても長い。

いつもより少し早く起きて、今日という1日が始まる朝の神秘、輝きを眺めるのもなかなかに良いものです。

 

 

 

 

 

2018.07.07

ありですよ?ね?

 

 

 

今週は九州にとっては悪天候の極みのような週だった。

台風一過した途端に信じられないくらいの大雨、被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。

且つ、前線は北上しており、再び勢力の強い台風が北上中で進路が気になる週明けとなりそうです。

 

予定に固執せず、安全第一で行動した方がよいようです。

 

 

 

 

 

 

さて。

外出ができない天候になり、予定を大幅に変更した1週間。

 

さあ、何を!

 

気がつけば下半期にあっという間に突入していると改めてカレンダーで気づく。

引き出しの中の書類や郵便物の整理整頓のつもりが、仕事関係の倉庫としているロッカールームの整理整頓に発展。

 

なるべく機能的で探し物の時間がないようにストック、収納を心がけてちょっとした模様替えになってしまった。

あっちで使っているチェストを空にし、こっちに移動し、このカゴにこれを入れれば、この箱は処分でスッキリする。

この引き出しは一段とってしまって、このファイルケースを入れるか。

途中、喉が渇いてきたり、お腹がすいてきたりで、あっという間の時間経過。

おかげで雨によるブルーな気分もしばし忘れられた。

 

 

部屋に新聞や読みかけの本やこれから読む本があちこちにあると、なんとなく散らかった感がある。

急な来客時にタブレットや読みかけの本などをザクザクっと入れると、あまり見苦しくないのでは?と思いつき、木工作家さんの大きなウッドボウルを使うことにした。

 

なかなか便利。

 

調子に乗ってうちわや食べかけのお菓子、なんでもかんでも入れ始めないように気をつけます。

ほほほ。

 

しかし、このウッドボウル、作家さんは何を入れることを目的に作ったとおっしゃってたかなあ。

 

大きいのよ。

文庫本が10冊近くご覧のとうり、ほんとにザクザク入ります。

 

確か、観葉植物の鉢カバーだったような…

 

ご、めんなさい。

でも、ありですよ?ね?

 

 

 

 

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