Information

2018.09.12

山口個展の様子!!

 

 

台風進路がちょっと心配な山口個展でしたが、そこは自慢の晴れ女!

 

無事に初日二日目と皆様にお会いできて楽しい時を過ごしてまいりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回は土曜日スタートでしたので、いつもなかなかお会いできなかった働いていらっしゃるお客様方にもたくさんお会いできました。

一回目展からお越しいただいておりますお客様方とは、趣味のお話を伺ったり、新しい挑戦のお話、最近感動したお話、などなどいろんな作品を試着して頂きながらおしゃべりに花が咲きました。

 

どこの展示会でも感じることですが、傍目にはとても見えないようないろんなものを抱えながら、とても頑張っていらっしゃる女性が大変に多い。

だからこそ、もっと素敵になるべき権利があると心から思います。

 

何がこの仕事でいちばん嬉しいだろうか、自分を満たすだろうか、帰りの新幹線で問うてみた。

 

笑顔。

作られたものではなく、自然と生まれてくる笑顔。

その笑顔に触れられた時。

 

笑顔が集まる場所には、心が健やかでなければ向かえないもの。

その幾多の笑顔の集合スポット。

そこに自分の作ったアクセサリーも連れて行ってほしい。

そう思う。

 

会期は14日金曜日まで。

お近くの皆さまぜひお立ち寄り頂ければ幸いです。

 

 

 

 

 

2018.09.02

山口県個展の案内はひとつ戻ってね!

 

 

 

今朝は、かすれかけた絵筆で描いたような薄く白い雲が、澄んだ青空に映えてとても綺麗だった。

 

 

 

 

 

秋の顔だ。

 

思わず両手いっぱい広げて深呼吸した。

 

深呼吸は大げさなくらいがちょうど良い。

体の隅々まで空気を呼び込み、ゆっくりと吐く。

何回か繰り返す。たったそれだけで、焦りや苛立ちが和らぎ、万事落ち着きよいことが起こりそうな気がしてくるから不思議だ。

多忙になると必ずと言ってよいほど呼吸が浅くなっている。

 

ピラティスからヨガにシフトして3年くらい経つだろうか。

やっと、体の声を聞くということが分かりかけてきた。

当初はリードをするインストラクターのその言葉の意味も、飾り文句のようにしか聞こえず、耳でストップ、ちっとも頭に入ってこなかったが、今では体から出てくる声や警告サインをキャッチできるようになり、加減することを覚えた。

 

自分の体に聞いてみる。

 

ヨガ始める前の頃ってどんな具合でした?

いや、もう、正直ギリギリでしたわ。

耳、使ってなかったでしょ!

あ、はい、ごめんなさい。

 

 

どんなことでも続けていれば、変化、進化、してゆくものだ。

クラスに行けない日は、自宅で毎日!

やればよいのだが、先生のリードがないと自宅では注意が散漫になりがち。

 

 

華やかにあれこれチャレンジするより、これなら続けられそうだというものをほんの少し、地味に続けることが自分には向いているようだと、確信する。

 

その実、あまり器用ではないという証である。

 

地味に続けて、時々、自分に聞く。

自分とのコミュニケーション。

秋深まってくると、そんな時間をじっくり持ちながら温かい飲み物を味わうのもよいものだ。

 

 

 

 

 

 

2018.08.26

山口県個展のお知らせ!!

 

 

 

山口県での個展のお知らせです!

 

 

 

 

 

 

 

 

末野美由紀アクセサリー展

 

Droguerie IKEOKA

9月8日(土)  –  14日(金)    火曜日定休

10:00 –  18:00

 

http://www.droguerie-IKEOKA.com

 

ドログリーさんでの個展も今回で8回目でしょうか。

そうやって考えますと、本当に10年あっという間です。

 

今年は大雨や台風の影響が全国的にひどく、広島県に近いドログリーさんのお客様方も再びお元気にお会いできることを願ってます!

 

私は8日と9日、終日在店しております。

 

DMは、大人のボーイッシュをイメージした写真が起用されました。

他にもデイリー使いが楽しめる細めのパールを使ったネックレスやピアス、元気をチャージできそうなユニーク系のアクセサリーなどなど、新作多数準備致しております。

 

あと、も少しで準備完了です。

 

たくさんの笑顔に会えることを愉しみにしております!!

 

DM欲しい方はお知らせ下さいませ!

 

 

 

2018.08.20

文楽に親しむ

 

 

 

日本の古典芸能のひとつと言われる浄瑠璃。

遡ること室町の頃が発祥だといわれているらしい。

 

一方、文楽は、大阪の文楽座で始まった浄瑠璃人形劇を示し、厳密には別物であるという。

 

 

 

 

 

 

私にとっては未知の世界。

細かいことはさておき浄瑠璃でも文楽でもどちらでも、とにかく観劇するタイミングを見計らっていた。

ようやっと、先週末に九州唯一の観劇場博多座へ出向き、観劇して参りました。

 

此れ、めっぽう愉しい!!

 

映画やドラマ、脚本家で知られる三谷幸喜氏の三谷文楽。

6年ほど前から全国を周り、今回、福岡では初公演だったとか。

 

浄瑠璃といえば、近松門左衛門。

当時あまりにも大ヒットし、実際に心中ブームが起きてしまうほどだったという「曽根崎心中」。

内容はその曽根崎心中をベースにしたもうひとつのお話。といったところ。

 

ご存知の方には、ちょいと飛ばし読みして頂くことにして。

 

舞台はどんな感じかと申しますと、正面上部に三味線と太夫たちの座が設けてあり、幕やお話の内容によって、可動式のセットで右から三味線3人ほど、左から太夫ひとり、もしくはふたりが座ったまま現れまして中央でピタッととまり整列する。

陰翳礼讃な灯りのなか鳴り響く三味線の伴奏。

裃姿の男達の力強い三味線生演奏、渋い!渋すぎる!

太夫たちは、幕の長さによって交代しながらナレーションと台詞を独特の節をつけて話す、というより唄う。

泣くシーンでは声色だけでなく白いハンカチを出してすすり泣き、取っ組み合いのシーンでは、上半身を揺さぶりながらの芸達者な義太夫にも注目。

 

舞台の方はと言いますと、少し低めにセットされていて観客席からはちょうど人形が床に立っているように見える高さになるような衝立が施してあります。

一体の人形に対して3人の人形遣いが黒衣をつけて操る。

これは、3人の息がぴったり合わなければ、人形は不自然な動きになる。

当然だが、足音も必ずひとりだけが人形の動きに合わせてたてる。

思う以上にたやすいことではないのだろう。

 

浄瑠璃の人形は案外大きいと何かの本で知ってはいたが、百聞は一見にしかずだ。

想像以上に人形が大きかった。

 

黒衣を着た男性の人形遣いと変わらぬ背丈で、実際に人間が装うようにきちんと長襦袢に着物、帯をしめ、足袋も履かせ、髪を結い、髪かざりに至る小物、身分に合わせた着物の柄など、注目すべきところが盛りだくさんで、人形遣いの3人の姿はすぐに視界に入らなくなった。

 

三谷文楽は、太夫の詞も現代語版にしてあり、聞き取りやすく、分かりやすい、内容や小道具演出も現代ならではのものをちらりちらりと入れることで、時代のギャップを感じさせないような配慮があり、劇場内に笑いや人情に訴えかけるものであった。

入りやすく、馴染みやすい古典芸能、なるほど人気があるわけだ。

 

 

映画がない頃の大衆の娯楽。

娯楽を通して人は、其々に得るもの、留めたいものがあるものだ。

演目に現れる人の生き様や行いに潜む、心情、道徳心、教え。

人の生きる世がどんなに進化しようとも、昔も今も変わらないものたち。

そんなものが盛りこまれていた演目に満足して余韻と共に劇場を出ると、空はいつの間にか茜色に染まり、夏の夕暮れの風が身を包んだ。

その風の中で心がふんわりとほころんだ。

 

幾つになっても、初めての経験を通して見る新しい世界は、心に広いスペースが増えたようでわくわくする。

新しいノートを手に入れたような気持ちにも似ている。

 

次回は、もう少し知識を増やして大阪の国立文楽劇場に参りたいものだ。

 

 

画像は、床本。

本来ならば、太夫が見台に置いて語る台本のようなもので、1ページに五行くらいしかないものらしいのですが、三谷文楽は5幕構成でまともにやるとかなり長くなるらしく、まるでストーリー本兼床本といった分厚さでした。

 

 

「其礼成心中」

タイトルの意味がストーリーのキーワードとなっておりました。

 

機会がありましたら、気難しいことを考えずにお愉しみあれ!

 

 

 

 

2018.08.15

手技

 

 

 

私が所有している手作りの道具の中で、最も特別な存在のものがある。

 

種鋏だ。

 

 

 

 

 

ポルトガル船漂着による鉄砲伝来で知られる鹿児島県種子島。

砂鉄も多く取れるこの島の鍛冶職人たちは高い技術を持ちながらも、時代の流れと共に、作る物を刀から鉄砲へ、後には家庭で使う料理包丁、裁縫で使う鋏作りへと変化させてゆかざるを得なくなったという。

なかでもその鋏の見事な切れ味と美しいフォルムは、種鋏と呼ばれ多くの人々に親しまれたらしい。

 

私が手に入れたのは、8年ほど前。

今では手打ちで作り続ける職人は一軒だけとなり、後継がなく途絶える寸前であるというテレビ番組の特集を見た他県の青年が、弟子入りを願い出て受け入れられたという話を耳にした頃だった。

 

手に入れる前までは、同郷の伝統品が欲しい。

切れ味のよくない鋏はストレスがかさむ、旅のよい機会だ。

そんな軽い思いで取扱店を訪れた。

しかし、全行程がひとりの職人によるものである手打ち鋏を寸法別にズラッと並べられたのを見た瞬間、それぞれに紛れもなく宿るものを感じ心の奥が静まり返る思いがした。

 

これらはただの土産物ではない。

バッグを肩に引っ掛けたまま販売員の説明を聞くのは、不適切に思え

即座にバッグを床に置いた。

バッグを置いた途端、販売員は軽くうなづきより熱の入った説明をして下さった。

どの話も新しい知識となるとても興味深いものばかりだった。

 

包丁や鋏、刃物とは何を切るかによって使う刃の場所が違う。

薄いものを切るときには、鋏の先端を使い、分厚いものを切るときには鋏の刃の奥の方を使う。

改めて問われるならば知識としては知りつつも、いざ切るとなると無意識のうちに鋏の中央部分の刃でせかせかと切りがちだ。

 

種鋏は、かみ合わせると刃の中央部分はふんわりとカーブし少しだけ隙間があり、刃の先端は寸分の狂いもなくかみ合っている。

動きも吸い付くようななめらかさだ。

 

試し切りに渡されたティッシュペーパーを、10年使っているという種鋏を使用し、刃の先端でほんの少しだけ切ってみた。

著名な刃物メーカーの新品の鋏でも同じように試してみた。

切れ味だけではない。

音も違う。

切断面がスパッとまっすぐに切れている。

肉眼で確認できなくとも分かるのだ。

 

切り離されたものと切られたもののそれぞれの縁がピンと反れあがっている。破壊されずに切り離されている。

 

鋏で切るという行為は、実はこの感覚なのか。

静まり返った心の奥がどよめきたった。

 

 

私にとってこの素晴らしき手作りの道具を所有していることは、物言わぬ師匠を得ているに等しい。

 

 

恐れを感じるほどの見事さ。

 

手が生む特殊な技は、尊さと恐れが表裏一体である。

全く知識や情報を持たない人の心を、わし掴みにする迫力が備わっている。

 

それが、本物である証しなのだろう。

 

この鋏を見る度に私はずっしりと頭を垂れる。

 

 

 

 

Page top

Instagram