2018.07.25
表裏一体な未知と既知
この道の先にある景色、そこで出会う変化。
この場所から動かない限りは、全て未知、未来のままだ。
向かって歩き始めると、未知は経験に、未来は現在を経て過去へと進行する。
この景色は、過去に訪れた地中海寄りのスペインの車窓から見た村のようでもあり、どこかの美術館で見入った印象派の絵のようでもあった。
どこか自分に深く関わったような場所のような錯覚に陥入り、溢れそうな郷愁の念に感傷的になった。
ここは、福岡県北部にある平尾台。
山口県の秋吉台に並ぶカルスト台地。
初めて訪れた場所だ。
でも、私はこの道を何度も何度も往復したような気がする。
未知ではなく、抹消されてしまった既知の目覚めではないだろうか。
初めて訪れた場所や時間が、懐かしくてたまらない気持ちになり、自分の中の奥深くとコンタクトが取れるような事がある。
そこには、最も重要な真実が包まれているような気がするのだ。
ひょっとして私は、あべこべな場所に生きているのではないか。
心の小さな隙間で、そんなことを思ってしまう。
極稀に飛来するこんな気持ちになる瞬間は、決して見過ごしてはならない。
堆積され続ける日常の狭間、それは、必ずどこかの景色を隠れみのに現れる。
もしも出会った未知のものが、まるで既知であるかのような強い確信を感じたならば、ためらわずにそこへ向かって歩き始める。
そんな軽やかさをずっと持ち続けていたい。
その時、例えどんなに年齢を重ねてしまっていたとしても。