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2017.02.05

千変万化の居場所

 

 

この陽だまりの中をうごめくわずかな風。

 

季節が変わろうとしている。

時間が変わろうとしている。

 

 

 

 

周囲が変わると、心の有り様も変化する。

心が変われば新しい自分になれるのか。

無意識下で居場所をずいぶんと探し求め続けてきた。

 

この街、かの土地、あの国、方々探し回った安寧なる居場所は、現実にはどこにもないという声が明確に聞こえ出す。

けれども、まだ訪れていない場所が一か所ある。

そこへ向かうためには、手段を会得しなければならない。

 

彷徨い続け、気分屋で、疑り深い、それでいて影響を受けやすい、流れゆく、訪れるのが難しい場所。

 

不安定なものの全てが集合している全く見えないその場所に、居場所を築けという言葉が体中に響く。

 

ここは、私の理想の居場所だ。

決断することで、たちまちにしてその土地は見え始めるという。

 

今、

この陽だまりの中にうごめく風の中に、居場所があった。

 

千変万化する居場所は、いつどこへ。

 

万事この場所に。

不動のここに。

常に共に。

 

 

 

 

2017.01.22

エアメールバランス

 

 

親しくしている人から昨年のクリスマスに届いた贈り物。

 

思いがけず届いた贈り物の包みを開けると、以前から気になっていて欲しかったものだった。

 

 

 

 

 

 

一緒に買い物をしていた時に反応を示してた私の様子を記憶していてくれたようだ。自分自身は日々の煩雑さに紛れすっかり忘れていた。

それだけにとっても嬉しかった。

電子メールで全てを澄ませるよりは、少しだけアナログなスペースを残しておきたいと、自筆にはさっぱり自信ないが、何かと切手を貼って送る機会を持つようにしている。

 

 

 

時には、お礼の心付けにチョコレートを同封したり、写真やポストカードを同封したり。

そんな時の為に目盛りも見やすく、デスクのすぐそばに置いていてもサマになる。

 

封をした後、切手を貼る前の測量。

たったそれだけの刹那。

これから、その刹那が楽しい時に変身する。

 

頓挫しているペン字も、また始めようかと思わせてくれる。

 

文房具には、夢がある。

アナログだからこその夢が、ふわふわと広がっている。

便利でスピーディなものが持つ夢の広がりとは、また異なり。

 

 

 

 

2017.01.11

工程の中に潜むものたち

 

 

彫金。

俗に我々の仕事をそう呼んでいる。

金属を彫るという、本来はもっと緻密で高度な技術作業を示していたと思う。しかし、便利で画期的な道具が増えた現代では、緩やかで広範な意味において金属を加工することをも含んでそう呼んでいることだろう。

 

 

 

 

 

月日だけはそれなりに積み重ねてきた今、思うことがある。

 

彫金工程で絶対的に必要となる技術はふたつに絞られるように思う。

ひとつは、のこ刀を操れること。

もうひとつは、ロウ付けができること。

逆に言えば、このふたつさえ出来れば、教わることなくしても作りたいものへの情熱さえあれば、数多くの制作訓練の中で他の技術は自ずと進化し、会得できてゆくものではないだろうか。

 

のこ刀を操る。

力加減と呼吸、そしてそこに気持ちをそっとバランスよく沿わせることがとても大切である。

三位一体のバランスを習得することが、操るへの到達地点。

力加減と呼吸は、のこ刀を沢山無駄にしながらコツをつかめるようになる、これは訓練の域。

しかし、そこに気持ちを沿わせる事は、恥ずかしながら未だにコントロールを誤ることがある。

つまり、力加減と呼吸バランスよりも気持ちが暴走すると、切断完了間近でのこ刀を折ってしまうのだ。

再び三位一体のバランスの舵取りやらなければならない。

その度に思い出す言葉がある。

過酷な砂漠を旅するキャラバン隊の格言。

人は、オアシスを見て死ぬ。

 

大袈裟だか、少し通じているように思う。

 

ロウ付けをこなす。

銀の融点は1000度弱。この温度を超えない範囲で接着させたいもの同士の温度が同じになった時に、銀よりも低い温度で溶ける銀ロウで接着を促す作業。これがいわゆるロウ付けである。

金属は熱をどんどん吸収する一方で、油断するとすぐに冷めてゆく。

火を常に与えながら、まんべんなく温度を上げてゆくと接着の準備がお互い整った頃、お互いが浮き上がるようにしてそれぞれ離れる。

そのあと、ベストなタイミングで銀ロウがするっとお互いを一緒に包み込むようにして回りこむと、少しの距離と空間保っていたお互いが、お互いを吸い込むようにしてすうっと接着する。

ぴったりと接着したその最後の瞬間、ロウが星のようにきらっと光を出すのです。

この光を見届けた時、私の中に澄み切った落ち着きが爽快な風のように駆け抜け、すぐに温かい安堵感がふわふわと充満してゆく。

そのささやかな光は、とても美しい。

 

ロウ付けは、人と人の関係にも似ているように思う。

 

のこ刀を操るコツは、人の生きゆく進む様のようであり、ロウ付けは人と人が深く関わる様のようである。

 

と、そのようなことを密やかに感じているのである。

 

おそらくどんな仕事の手慣れた工程の中にも、そんな密やかなものたちがふんだんに潜んでいることだろう。

長く続けてゆけば、シンプルなことが深く感じるようになってゆく。とは、よく耳にする言葉だ。

人にやるべき仕事が与えられていることは、なんと有難いことであろうか。

 

 

 

 

 

 

2017.01.07

2017年、初めまして!!

 

 

新しい年が始まりました。

皆様あけましておめでとうございます。

 

 

 

穏やかな天気に恵まれた新年でした。

気がつくと既に1週間が経ってしまった2017年、新年のご挨拶も今更になり遅れてしまいました。

個人的には、今年は少し静の時間を意識して、じっくりと内を見つめつつ新しい形を丁寧に生み出せたら。

そんな気持ちで臨みたいと思っております。

 

今年1年が、皆様にとりましてもキラキラと輝く素敵でメモリアルな1年となりますように!!

そして、たっくさんの笑顔と喜びに包まれますように!!

 

今年もかわらぬご愛顧、ご尽力賜りますよう、どうぞよろしくお付き合いくださいませ。

 

さあ、今年も楽しみましょう!!

 

 

 

2016.12.21

手が語るもうひとつの言葉

 

 

 

過去にも話題にしたかと思うが、私の最も好きなアクセサリーアイテムは、手元のものたちだ。

 

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このホームページのアイテムのカテゴリー分けも、どこの場所につけるものなのかその部位をポイントにページ振り分けの構成をしたのは、私のアクセサリーに対するコンセプトが含蓄されている。

身支度の最後に装着するアクセサリーという位置付けの起点を、少しでも意識してもらえたら、そんなメッセージと同時にご自身のチャームポイントをどこにどう捉えていて、尚且つ楽しめるのか。改めて気づいて頂くお手伝いが自分の作ったものを媒介としてできるならば。

 

手は、いろんな場所に動く。

自分の身体のあらゆるところに動き、そして多くの方の目に触れることが多い。何より、自分自身が実際に見ることのできるアクセサリーだ。他のものたちは鏡を通してしか確認できない。

どちらかというと外向けなイメージだ。

 

しかし、手に対するコンプレックスを抱いていらっしゃる方がなんと多いことか。

 

コンプレックスを隠す。

その感覚は、私には正当だとは思えない。

若さが持つビジュアルとしての美だけではこなせないものたちが、この世には数多あるということ。

 

そのことにもっと誇りをもって頂きたい。

 

 

画像は、私の今の手。

関節が男性のようでゴツゴツしているのだが、こんな自分の手にも似合うアクセサリーがある。

逆に、この特徴がよりマイナスイメージとして浮き彫りにされるアクセサリーもある。

 

そこの違いを適確に沢山の方に助言ができたなら。

もっと、もっと積み重ねた時間の重みを楽しめると思う。

 

そんな思いで、今年も沢山の方々にお会いできました。

 

いやはや今年もあと10日となりました。

 

信じられないスピードの一年でした!

改めまして、多くの感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

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