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2017.07.10

自家製の食卓

 

 

 

先週土曜日をもちまして、北九州個展が無事に終了いたしました。

北九州でもかなりの雨量だったようですがどしゃ降りの中、遠方県外よりお越し頂けたお客様もいらっしゃったということで、心より感謝申し上げます。

今回、実際にお会いできなかった方々も、いつかどこかでお会いできる日もとても楽しみに致しております。

 

 

 

 

 

 

 

 

閑話休題。

 

先月、個人的に親しくさせて頂いているギャラリーオーナーさんと、毎年恒例となってきました梅狩りに佐賀へ行き梅ジュースを漬け込み中。

この頃、自家製にはまっている。

きっかけはあるレシピ本との出会い。

新生姜のハチミツレモン漬けや昆布の佃煮、オレンジピール、季節の果物のジャムなどは、最低でも3種類は常備。

やりだしたら楽しくて、粒マスタードやケチャップ、マヨネーズ、白花豆の白餡、マグロのオイル漬けいわゆるシーチキンなどなど。

自家製というだけでおいしく感じる。

そのおいしいというのも自分基準なのだが。

まあ、それでいいのだろう。

 

週に一度3種類ほどのスープストックをまとめて作っているのだが、季節の野菜のコンビネーションと彩り、食感を考えるのが気分転換になり、八百屋さんでの食材探しが楽しくなった。

 

今は、お金を払えば、便利で珍しい輸入調味料や保存食が1年中手に入る。

美味しいのだが、何かが違う。

どこかホッとしないのだ。

おそらく微妙に自分好みの味付けでないからかもしれない。

貸し衣裳を着て生活しているような感覚といえば良いだろうか。

 

 

できる範囲で自家製を目指している。

母親がそのような食卓をつとめていたことを舌が記憶しているのだろう。

 

作ってみて驚くことが多い。

思う以上に砂糖の多さや防腐剤の存在、それらは販売するにあたってはどうしてもやむを得ないものであることも事実だ。

 

あまりに神経質になり、あれはダメ、これでなければ、というのは息がつまり長続きせず性に合わないので、

ほどほどに!

を、モットーにあれこれ自家製にチャレンジ中。

料理の過程に起きる食材の色の変化や、形の変化、盛り付けなど、作る人にしか見せてくれない食材のストーリーを味わうことが独り占めできる。これは、料理の醍醐味のひとつではないだろうか。

それら全てを愉しむ。が、何よりも身体が一番おいしいと感じてくれる。

 

そうやっていろんな保存瓶が並ぶ様を眺めながら、ひとり悦に入っているのだ。

 

漬け込み中の完熟梅のエキス、なんとも綺麗な色ですよね。

夏が終わり秋へと向かう夕刻。

沈みきった夕陽が名残惜しく空を染めているような色だ。

 

まだ、夏も来てませんが。

 

 

 

2017.06.27

北九州個展の案内は、ふたつ戻ってね!

 

 

現代は、モニターを見ることを免れる仕事はとても少ない。電磁波が体に与える負担はやはり相当なもののようで、目や肩、首のダメージを抱えた方々はとても多いようだ。

 

 

 

 

 

 

 

その証拠に私が住む街には、指圧、整体、マッサージ、ピラティス、ヨガ、スポーツジム、ストレッチ、パーソナルトレーニングジム、このような類の看板を100メートルおきくらいに目にする。

 

粉飾気味な話では決してない。

全国でも福岡は街の規模に対して圧倒的に多いと言われているコンビニ。そのコンビニより我が街にはそれらが多く点在している。

しかも、それらの看板が新しく変わることはなく、その数はむしろ増えているのだから、いかに皆さんが病んでいるのかということだ。

 

 

 

 

 

なるべく体を動かしたり、規則正しい生活をすることを心掛けているのだが、ヨガのクラスで得た豆知識を元にマッサージで滞った血流を整えているつもり。の時間が入浴後の日課なっている。

活躍しているのが、マッサージウッド。

女性の手の大きさにちょうどフィットして、かなり気持ちよい。

まるで赤ん坊のガラガラのように、片手に握ったまま本を読んだり、音楽聴いたり、温かい飲み物を飲んだり。

ころころと転がしているだけで、安心する。

先日など、持ったままうとうとしていた。

 

 

身体は素直にメッセージを送っているのです。

現代の病める皆さま、どうぞご自分に適したリラックスタイムを確保してくださいませ。

 

 

というわけで、明日明後日は、北九州個展前のしばしのリラックスタイムに充てようと思います。

そして、チャージフルにして、北九州個展に臨みます!!

 

 

 

 

2017.06.20

北九州個展の案内は、ひとつ戻ってね!

 

 

節目の年齢となったこともあり、中学、高校と同窓会の知らせが連日して届いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

転勤の多い父親の仕事の関係で縁もゆかりもない土地で、私は、中学、高校時代を過ごした。

いわゆる転校生として誰も知らない学校にやってきたのが中学2年生だった。

この年齢になると思うのだが、とっても狭い世界で生きているのが学生というものだ。

当然だ。10年ちょっとしか生きていないのだから。

そんな中でも各々の個性や人となりという根っこの部分が、仕上がってくるのがこの期間ではないだろうか。

 

案内の中に書かれた役員メンバーの中に、当時、親しくさせて貰っていた方の名前があった。

名前を見た途端、私は中学生の私に戻っていた。

笑い出したら止まらなくなり、何がそんなにおかしかったのかと思い出せないこと自体が、更に可笑しくなって、お腹がよじれる位大笑いしたことや、港近くの彼女の家へと下る坂道から見えた海、嫌なこと、落ち込んでいることを打ち明けたら、話終わるまで黙って聞いてくれ、大丈夫よ。気にしない!気にしない!

お母さんみたいな優しい言葉をかけてくれたこと。

授業中にくだらないことを書いて回したメモを、教科書の陰に隠しながらこっそり読んで、くすくす笑う彼女の横顔。

スポーツ万能で必ず優秀な成績を出していたのに、いつも控えめな態度の彼女。

 

とても懐かしく、出欠の返信ハガキの備考欄に彼女宛のメッセージを記入した。

昨日、彼女からお便りが届いた。

懐かしい彼女の文字だった。

とっても嬉しかった。

 

私は、転校生だったので、その土地にはもう帰る家がない。

小さい頃から、引越しを重ねていたので、幼なじみという存在と関係を知らない。

これまで過ごしたいろんな街で親しくさせて貰ってた人たちの顔が途端に浮かび始めた。

 

 

躾は、親、兄姉、親戚縁者によるもの。

知識は、生きている限り努力を続け得てゆく本人によるもの。

学校では大きな社会に出る前の予行演習。

コミュニティにおいてのルールの中で自分と違う他人の存在を認め、人間の尊厳というものを知る。

そして、大きな社会の中では全くの他人様を通して学校生活で得たことに更に厚みをかけ、人としての品性を養い、自他ともに認めあい社会に少しでも役立つ存在となることで、学ばせて貰った社会に恩返しをしてゆく。

なんとも偉そうなことを書いたが、

できているかどうかは別として、そんな風に思っている。

 

 

生きている時間は、どの時間も一様に大切である。

その大切さに気づくのが、いつも渦中の時を過ぎた時である。

それが、人間の脳が持ち合わせた愚かな忘却のメカニズムである反面、生きている限り何度も与えられる希望という新しい時間なのかもしれない。

誰にでも平等に与えられる優しい時間とも言えるのだろう。

 

お便りありがとう!Hさん。

でも、お返事書きたいのに住所書いてなかったよ。

 

 

 

 

 

 

2017.06.06

good morning

 

 

自分の身体に無頓着に生きてきたが、自分の身体はどんなに同じ年齢で同じ性別の似たような環境の人であろうとも他人と同じではない。

という、最も当然なことにやっと意識が至ったのは、ここ5、6年前位のことである。

 

5年ほど前にどうにも原因不明の体調不良にみまわれ、一ヶ月以上風邪のような症状が続いた。あちこちの病院をハシゴし、最後に出会った医者が適切な診療をしてくださってやっと回復することができた。

その医者に言われた。

 

 

 

 

あなたは血圧が低いです。実は血圧を下げる薬はあっても、上げる薬はないんですよ。だから、自分は血圧が低いんだと意識をして日々の生活をすることです。

世の中高血圧を抑えるのを売りにした食品が多いですが、あなたは逆です。無視して食事も塩分をとって下さい、肉も沢山食べなさい。

朝もガバッと起きて、すぐに動き出してはいけませんよ。

それと貧血気味ですから、献血はしていけませんよ、ま、どのみち断られますけどね。

同じ姿勢から、急に立ち上がったり、方向転換するとクラクラして倒れて怪我したりします。動作はゆっくり。気をつけて下さい。

熱いお風呂もダメです。朝風呂もダメですよ。

 

 

え!

愕然とした。

献血以外、いけないことを全て完璧にやっていたのだ。

 

自分の身体と生まれた時から付き合っているのに、全く何にも分かってなかったんだと驚いた。

周囲の情報が自分に当てはまると決め込んでいた。

 

自分の心とのやりとりは多少なりとも意識するが、身体とのやりとりやコミュケーションなんて考えもせず、動いて当たり前と思っていた。

まるで機械のように能力以上に酷使していたのかもと、自分の身体に対して急に申し訳ない気持ちになった。

 

それから、少しずつ周囲と自分は違うのだと意識を持つようにした。

朝は、これまでより仕事に取り掛かるのを起床から時間をあけるようにした。

朝食はゆっくり。支度もゆったり。自分に言い聞かせている。

 

しかし、長年のクセでせかせかとやってしまうので、なんとかゆったりした気分に導く方法はないかと考えた。

で、定着してきたのが、

朝起きた時の体調で朝食のメニューとテーブルをセットしてゆく。

その時間を楽しむことを盛り込むことで、自ずと動作がこれまでよりゆったりとなった。

 

朝食に使うマットをいろんな色を作ってみた。

今日は何色がいいかなと、まず選ぶ時間。

スプーンは、カラフルなプラスティックにするか、漆にするか、ステンレスのものか。

パン皿はどれにするかな。じゃあ、カップはこれだ。

今朝はコーヒーストレートは重いから、メランジェにしよう。

今日は、パンはやめておかゆにしよう。

 

それらをゆっくり選んでも、思うほど大して時間はかかっていなかった。

なんだ。何をあんなにバタバタ、せかせかと動いてたんだろう。

 

 

 

結局、我が家には朝食用のマットが7枚。

全てツートンスタイルに作っている。

形を変えてお昼用が3枚。

夜は大きめで3枚。

 

と、なんともマットだらけ。

 

これに来客用が3種類もあるから、自分でも笑っちゃう数だ。

一体、何人家族なんだ!とツッコミたくなる。

 

明日の朝は、何色を選ぶかな。

明日の朝、決めるのさ。

 

もしも、もしも、私みたいなタイプの方がいらっしゃったら、お試しあれ。

 

1日を気持ちよくゆったりとスタートさせられます。

 

明日も、good morning !

 

 

 

 

2017.05.30

ツルの葉の進む道

 

 

空間に緩やかなリズムを与えるツルの葉。

 

 

 

 

 

 

お部屋の中でツルの葉先の向きを変えると、やんわりとした間仕切りにもなるし、日頃使っているグラスコップに挿すだけでサマになる。

このにょろにょろと伸びるツルの描く曲線は、自然美そのもの。

バランスを取りながら、しっかり伸びてゆく様を日々、観察するのが実に面白い。新芽の淡い色も磨かれた翡翠のように少し透き通って見える。

 

産まれたてとはどんなものでも、そうなのだろうか。

今月は、誕生月でもあった。

節目の年齢。

 

やっぱり、自分の生まれた月はなんとなくひいき目で一年で最も好きな月となってしまう。

 

明日でハッピーマンス、五月が終わる。

 

このツルの葉のように、振り返ればどんなににょろにょろしていようとも、愛着を持てるように、軽やかにバランスとりながら道を進もう。

と、思うのである。

 

 

 

 

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