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2019.07.26

バカンス特集 その1

 

 

バカンスよりただいまです!

 

出国した日から日本中がものすごい雨に見舞われたようで、帰国したら梅雨も明け一気に夏になっていた。

 

いかにも晴れ女らしく、一番ひどい雨の間を異国で過ごしたという絵に描いたような逃避行となった。

 

では、早速バカンスショットお届けしましょう。

 

 

今回は旧ユーゴスラビアから独立して約30年というスロベニアから旅がスタート。

 

日本の四国ほどの小さな国ですが、目論んだとうりとーっても素敵な国でした。

短い滞在でしたが、古くから貴族たちのリゾート地になっているブレッド湖へと訪れた。

 

 

スロベニアの首都ルビアナから高速バスで2時間弱。

途中、アルプス山脈の一部であるジュリアンアルプスを眺めながらブレッド湖に早朝着くと途端に広がるブレッド湖。

湖独特の静けさと素晴らしい景観に、未だかつて体験したことにないほどのリラクゼーションというものを身体中で体感した。

 

身体の中から緊張が抜け出る感覚。

するうっと抜け出た緊張や疲労は、たっぷりの自然が引き取ってくれる。

これが休暇の過ごし方というものだ。

適度に身体を動かしながら、呼吸がゆったりと深まる。

 

全周6キロのエメラルドグリーンのこの湖には、小さな島がありそこに教会があります。写真では陸地に建っているように見えますが、実は湖に浮かぶ島なのです。

ブレッド湖の近郊、並びに街が発展したのは、スイス医師が保養施設をこの地に建設したことが始まりであるらしい。

 

合計7カ国をまたがるヨーロッパ一のアルプス山脈。

その一部であるジュリアンアルプス山脈は、イタリア北東からスロベニアに続いているのです。

まさにその山脈を背景に、ゆーっくりとお散歩。

 

 

 

 

隣国から沢山の人々がそれぞれのアクティビティを楽しみにやってきてました。

 

 

 

 

湖際で静かにフィッシング。

 

 

 

カヤック、シュノーケル、アーチェリー、サイクリング、トレッキング、ヨガなどなど。

ただし、湖の透明度を保つためにモーターボードは禁止。

自然を愛する人々が集まっているせいか、ゴミひとつ落ちていることもなく、湖はおとぎ話に出てくるよう澄んでいた。

思わず靴をほうり投げ靴下をむしり取るように脱ぎ、湖にちゃぷちゃぷと足をつけてみた。

透明度にふさわしい冷たさで、頭上にはやわらかなうす雲をひいた青空。太陽はにこにこと笑っている。

ああ、なんて気持ちいいんだろう。

 

これを豊かと言わずになんという。

これを幸せと言わずになんという。

老若男女。それぞれに美しい自然と心地よい1日を満喫していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、ご当地スイーツ。

ブレイスカ クレムナ レズィーナ。

パイ生地の間にふわふわのクリームのようなプディング、そしてプディングの水分を含んだ薄いスポンジのケーキ。

 

甘すぎることもなく、忘れられない旅の一品となりました。

 

スロベニアの料理は、濃すぎることもなくワインも私の好きな白ワインが豊富。

スイーツもどれもホームメイドに近い味わいでなんだかほっとするものばかりでした。

 

到着早々に地元の方々に親切にされ、感激。

街の人々も皆さん感じがよく、穏やか。風紀の悪そうな所も見かけなかったような気がする。

 

 

 

ブレッド湖からルビアナの街に戻ると虹が出ていた。

旅の安全と幸運を祈り、スロベニアの最後の晩餐をおおいに楽しみながら街に別れを告げた。

明日はドイツ、ミュンヘンへと移動。

 

 

 

 

 

2019.07.13

バカンスにつきブログおやすみ

 

 

やっと仕事がひと段落しまして、

週明けからしばらくぶりのオフバカンスに行って参ります!

 

行き先は、スロベニアとドイツミュンヘン。

いつもひとり旅なのだが、今回は親しくさせて貰っているキャンドルアーティストの友人と一緒。

 

 

 

 

 

若い頃は、美術館巡りでクタクタになっていたが、この頃ではその日気が向いたら…そんな旅に変わってきた。

とにかく公園のスケールが日本と違い、散歩がやたらに気持ちよい。

植栽されている木や植物も気候が違うと色も違うし、種類も珍しく、

民家の庭の様子や門扉のデザイン、歩いているだけで頭の中がリフレッシュしてゆく。

日本の街は、看板やネオンサイン、音、とにかく店内では構わないが、街にはみ出しているものが多すぎて、その上道が狭く人も多い。

いや多く感じるのだろう。すれ違うだけでどこか殺気立ったピリピリ感が伝播するのか非常に喧騒がくたびれる。

まあ、地図を見れば分かるが国土面積があんなにちっこいのだから、当たり前といえば当たり前で。

むしろ、大陸つながりでもない海に囲まれたこの国が、ここまで発展していることが驚異だ。

異国へ行くと毎回他人事のようにしみじみ感じる。

 

私は、滞在中にお気に入りのカフェを決めて、朝、行動開始する前に必ず立ち寄る。

何日かすると、カフェの店員がなんとなく覚えてくれ、にこっと笑ってくれ、話しかけてくれる。

街の住人になったような気がしてちょっと嬉しい瞬間だ。

日本でも出張先で同じように決めたカフェに毎朝寄るのだが、覚えてくれてることはあっても、にこっと笑い、話しかけてくれることはほぼない。

国民性か。

コミュニケーション力の違いか。

もう、これもAIが対応するようになるのか。

世界中そうなってしまうのか。

 

 

そうやって、1日をスタートさせて地下鉄や電車を乗り継いでいろんな街に行って、宿に帰りもいちど地図を眺める。

もいちどガイドブックを読み返してみる。

 

なるほどね。

 

と。

普通ガイドブックで下勉強してから行くものだろうが、

ちょっと変な旅のスタイルかもしれない。

 

 

日没が日本より1時間以上長いので、クリエイター同士の目線で、旅を満喫し有意義に過ごしたいと思っているところだ。

 

帰国しましたら、旅の写真アップします!!!

行ってきます!!!

 

 

 

 

 

 

2019.07.08

シアワセフルーツ

 

 

 

 

古い友人が福岡に突然遊びにやってきた。

若い頃からの友人というものは不思議なもので、時間が一瞬にして戻る。

近況を何にも知らなくとも、根っこの部分を捉えているからだろうか、一から十までの経緯など何にも説明が要らない。

でも、話はどんどん進められる。

付き合いが浅いとそうはいかない。

付き合いが長くなると近況はただの通過点、出来事でしかないからなのだろう。

 

 

 

 

生活環境は、変化しても人としての根っこはそう変わらないものだ。

その変化しない部分をベースに時間など飛び越えて話が盛り上がる。

 

名残惜しそうに帰って行った彼女の背中を見ながら思った。

 

 

思考は環境とともに変化するが、人の持つ本質はそう大きくは変化しない。その安心感が若い頃からの友人との付き合いを独特の時間軸で、頻繁に会わずとも強くする。

 

先日もスーパーで実に10年ぶりの再会があった。

 

昨年あたりから古くからの友人知人との再会が頻発している。

あの頃の自分を知っている古い友人、知人は、総合的な意味で自分を客観視できるよいチャンスだ。

 

 

後日、友人の地元の有名な立派なマスクメロンが届いた。

 

いくらフルーツ好きとはいえ、こんな立派なメロンは買って食べることはできない。

頑張ってもカットメロンだ。

食べごろは2日後だという。

思わず興奮した!

好きな大きさにカットして食べれる!

あれをやってみよう。

ひとり、にやりとする。

お行儀はよくないが、スイカのようにかぶりついて食べてみたのだ。

したたり落ちる甘い果汁の匂いと、果肉の程よい食感。

こんな贈り物って人をかなり喜ばすなあと思った。

しかし、ふと思う。

私がフルーツ好きって知っているからこんな選択肢になったのか。

 

相手が喜ぶことが何かを知っている。

そのことがことさらに胸にしみた。

 

 

 

 

 

2019.07.02

よこたわる孤独と沈黙

 

 

 

 

夏には、おおきな木はおおきな影をつくる。

影のなかにはいってみあげると、周囲がふいに、カーンと静まりかえるような気配にとらえられる。

 

おおきな木の冬もいい。

頰は冷たいが、空気は澄んでいる。

黙って、みあげる。

黒く細い枝々が、懸命になって、空を掴もうとしている。

けれども、灰色の空は、ゆっくりと旋るようにうごいている。

 

冷たい風がくるくると、心のへりをまわって、駆け出してゆく。

おおきな木の下に、何があるのだろう。

何もないのだ。

何もないけれど、木のおおきさとおなじだけの沈黙がある。

 

 

詩人 長田弘 「おおきな木」一部略より

 

 

 

 

 

日本には、ご神木という言葉があるように、立派な木を見ると多くの人が意識せずとも静かに深呼吸をするものではないだろうか。

 

時間や心を次々と奪われてしまうような日常。

油断すると月がどんどん変わり、季節が変わってしまったことに街ゆく人々の装いや、ショウウィンドウのディスプレイで、はたと気づかされることがある。

 

君には何万年時間が用意されているつもりなんだね。

 

人生の大先輩が、友人に言った言葉らしい。

 

私は、その時、お会いしたこともないのに、その方の言葉を直接耳にしたような気になったのを今でもはっきり覚えている。

 

樹齢何百年、何千年、木は全てを見て聞き知っている。

そんな気になるからだろうか。

おおきな木の前に立つと、時間の概念を超え、心静かに深呼吸をする。

 

そして、そこに横たわる孤独と沈黙に包まれる。

 

それは、決して寂寥の想いではない。

 

私にとって、海とは全く違う種類の感覚だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019.06.24

静けさの中で

 

 

新緑が煌めき清潔な風が吹き渡る朝。

午前8時20分。

前方をゆく女性は、長い長い石作りの階段をゆったりとしたリズムで登っていた。

奉幣殿の鳥居の下まで登りきると一度立ち止まり、呼吸を整え背筋を伸ばし、一礼をするとひとり静けさの中に消えていった。

 

 

 

 

 

日本三大修験の霊場として栄えた通称、彦山権現、英彦山神宮。

福岡県と大分県にまたがる英彦山は、北岳、中岳、南岳に分かれていて、英彦山神宮は中岳の頂きに、そして中腹に上津宮、その下に中津宮、下津宮、その更に下に奉幣殿がある。

 

奉幣殿を通過し、登山道に入るとほどなく法螺貝の音が山に響き渡ってきた。

音のするあたりを見回す。

朝の光が木々や岩肌に反射し、光の柱を作る。

響き渡る音が、見るものに神々しさを与える。

法螺貝の音の隙間をぬうようにしてカッコーの声。

 

生まれたての空気に包まれ、心のざわつきが煙のように消えてゆく。

 

 

 

 

 

 

登山者に人気のある山は、なるほどそこに身をおけば納得するものだ。

他人の説明やレビューの情報は重要ではない。

街中で暮らす人間にしてみれば、存在すら記憶の底になってしまっている音や景色が数多ある。

それらを直接的に感じることで奥底に押し込まれた記憶が溶かされ、身体中の細胞に染み渡る。

 

こんな体験をどの山でも味わう。

 

歴史大河ドラマでしか聞いたことのなかった法螺貝の音。

修験道の法具のひとつ、法螺貝の吹き方には8種類ほどあるらしく、説法であったり、問答、集合、など吹き分けできるようになるには相当な時間がかかるのだとか。

 

そこにあるべく音。

 

 

標高1000メートル超える中岳の頂に辿り着くと、英彦山神宮のあまりの立派さに驚いてしまった。

想像以上だった。

 

まだまだ驚くべきことや知らないことが多くあるのだと、改めて己の無知さ見識の乏しさを知るのであった。

 

年齢とともに、記憶の底にぺしゃんこになってしまいそうなものが随分と溜まってきている。

新しいもののアップロードと奥底にこびりついているもの。

心の棚卸しの時間をもつべきと思った。

 

心の前に立ち、

呼吸を整え背筋をのばし、

一礼し鳥居をくぐるようにして、

 

静けさとともに心の中へ。

 

 

 

 

 

 

 

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