2019.07.08
シアワセフルーツ
古い友人が福岡に突然遊びにやってきた。
若い頃からの友人というものは不思議なもので、時間が一瞬にして戻る。
近況を何にも知らなくとも、根っこの部分を捉えているからだろうか、一から十までの経緯など何にも説明が要らない。
でも、話はどんどん進められる。
付き合いが浅いとそうはいかない。
付き合いが長くなると近況はただの通過点、出来事でしかないからなのだろう。
生活環境は、変化しても人としての根っこはそう変わらないものだ。
その変化しない部分をベースに時間など飛び越えて話が盛り上がる。
名残惜しそうに帰って行った彼女の背中を見ながら思った。
思考は環境とともに変化するが、人の持つ本質はそう大きくは変化しない。その安心感が若い頃からの友人との付き合いを独特の時間軸で、頻繁に会わずとも強くする。
先日もスーパーで実に10年ぶりの再会があった。
昨年あたりから古くからの友人知人との再会が頻発している。
あの頃の自分を知っている古い友人、知人は、総合的な意味で自分を客観視できるよいチャンスだ。
後日、友人の地元の有名な立派なマスクメロンが届いた。
いくらフルーツ好きとはいえ、こんな立派なメロンは買って食べることはできない。
頑張ってもカットメロンだ。
食べごろは2日後だという。
思わず興奮した!
好きな大きさにカットして食べれる!
あれをやってみよう。
ひとり、にやりとする。
お行儀はよくないが、スイカのようにかぶりついて食べてみたのだ。
したたり落ちる甘い果汁の匂いと、果肉の程よい食感。
こんな贈り物って人をかなり喜ばすなあと思った。
しかし、ふと思う。
私がフルーツ好きって知っているからこんな選択肢になったのか。
相手が喜ぶことが何かを知っている。
そのことがことさらに胸にしみた。