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2019.09.02

デジャビュなカフェ

 

 

 

初めての街。

少し雨が降りだし、身体がひんやりしてきた。

目的の場所には少しまだ時間もある。

カフェに入ることにした。

 

 

 

 

前方に趣のあるクラシカルなホテルが見える。

宿泊客がタクシーに乗り込む姿を見送ったばかりのドアマンに尋ねてみた。

 

ホテルのカフェは開いてますか。

申し訳ない、営業は11時からです。

道を挟んで向かい側あの建物はモーツァルトの生家で、中にあるカフェはザルツブルグでも人気のカフェです。

あちらだったら営業が10時からでもう開いていると思うよ。

 

親切な応対に礼を言って、雨足が少しずつ強くなったので小走りに建物に駆け込んだ。

しかし、その日は残念なことにカフェはお休みだった。

 

カフェから始まった美術、哲学、思想、オーストリアのみならず、ヨーロッパにはカフェという空間が起源という多くの叡智が生まれた。

カフェはいたるところにある。

 

すぐ先にもう一軒雰囲気の良さそうなカフェを見つけた。

きびきびと働く赤いベストをきちっと着た体格の良い男性スタッフに尋ねた。

 

開いてますか。

スタッフは、体格に反して優しそうな声ではにかみながら申し訳なさそうに

エルフ。

と一言。

こちらの英語の質問は通じていたようだが、ドイツ語の返事だった。

ここも11時から営業か。

 

完全に足先が冷えてきた。

夏の雨とはいえ、思いのほか冷える。

そのすぐ先に看板が魅力的なカフェが目に入った。

先客が入って行くのが見える。

 

あそこにしよう。

ダーウィンという名のカフェだった。

 

 

 

 

 

店内はコンテンポラリー色だけではない、博物館的な装飾品が置かれ、調度品はカウンター側以外のボックス席は少し重厚感のあるミックスインテリアで、異風だけれども洒脱な内装だった。

 

壁面には入り口から奥の方へと人間のルーツが線描画で描かれていた。

どこかエゴン・シーレのようなタッチ。

 

種の起源のダーウィン、ということか。

 

身体が思ったより冷えてしまったので、お酒の入ったコーヒーにするか迷ったが、ちょっと甘いものも欲しくなり、ホットチョコレートをオーダーした。

 

 

 

 

少し前に読んだ長編「葬送」平野啓一郎氏著 の中に画家ドラクロアのお気に入りの飲み物があり、交流のあったショパンにこの飲み物を教えるシーンがあった。

ドラクロアが寒いアトリエでこれを飲むシーンが出てくるたびに、いかにも魅力的な思いがしたものだ。

コーヒーとホットチョコレートを割った飲み物。

 

確かホットチョコレートが足りずにドラクロアはコーヒーを足したら美味しくてはまった。そんな発見の味だったような。

そんなことを思い出しながら店内を見回す。

夜はバーとなるようだ。

 

 

毛の短い脚の長い犬を連れた知的な雰囲気の男性客が入ってきて迷わず席を決め腰かけた。

犬も慣れた様子で飼い主の足元に座り、置物のようになった。

 

雨にびっしょり濡れた傘を手際よくたたんで入ってくるマダムと紳士がゆっくりと席に着く。

 

軽装で馴染みのある雰囲気の男性客がまっすぐにカウンターに向かい静かに座った。

 

隣席のカップルは地図を広げてイタリア語で楽しそうに話している。

カフェは、あっという間にお客さんでいっぱいになった。

 

なんだかこのカフェは独特の気持ちを感じる。

空間に馴染むというか。

空間と時間と自分が溶け込むように馴染むそんな感覚だ。

 

以前から知ってたお店のような気持ちにさせる。

 

どこかに似てる。

違う。

どこかで似たような気持ちになった。

そうだ!

 

プラハのカフェだった。

 

プラハのカフカというカフェ。

内装のイメージは違う。

共通しているのは、どちらも著名人の名前がついたカフェ。

 

いつか来たことがあるような、そんなカフェ。

デジャビュなカフェ、2店舗目だ。

 

密かにこれからの旅でカウントを愉しむのも面白いかも。

そして、それらをいつか再び訪れるだけの旅。

 

そんな旅も愉しいかもしれない。

 

少し冷めたホットチョコレートを飲み干し、備えてあった小さなクッキーを口に入れた。

 

どこのカフェでもついてくるこのクッキーは、少し苦くて口の中がさっぱりする。

 

 

住んでいる町でカフェに入ることは殆どなくなった。

でも、旅にカフェは必須だ。

 

いろんな経験や頭の中のものがふいにひきだしから飛び出てきて交錯する。

 

だから、カフェにあらゆる人が集まり文化を作ったのだろう。

 

 

 

 

 

 

2019.08.27

扉の向こうに

 

 

扉の向こうに。

 

 

 

 

 

確かな希望と望む未来があるならば、誰しもノックし押し開くことを迷うことはしないだろう。

 

心を決めるだけだ。

 

しかし、扉はガラス張りではない。

重く時を重ねた古めかしさと朽ちた気配は、眺めるうちに2度と抜けることのない災いを含んだもののようにも見える。

 

勇気を試されているのか。

全てを引き受ける覚悟を計られているのか。

偽りのない欲望であるか最終質問を受けているのか。

 

全てが私の中の心にこだまする。

 

人は心の中にずっと思い描いている幾つかのことがあるのだろうと思う。

 

幼い頃から描いているものが変わらないという人は希少であろうが、

ある時からそれはほぼ変化しなくなる。

それはきっと自分が真に望むことであろう。

 

今一度自分の中に変わらぬ描写があるのであれば、

扉の前まで出向き

扉の前にしっかりと立ち

握り締めたこぶしでノックし

進み入る自分の存在を示す

扉を押し開きながら

そこまで出向いた自分の足を信じて

ただ踏み入る。

 

全ての不安を捨てて。

 

時は有限である。

 

 

 

 

 

 

2019.08.19

名残を感じる頃

 

 

世間では夏休みも終わり、再始動の週明け。

一気に車の量も増えた。

 

 

 

 

街のお花屋さんに季節の動きを感じる花、吾亦紅が登場。

 

吾亦紅はどこか夏の名残を感じる。

お気に入りの山梨の作家さんの三角形をしたフラワーベースをチョイス。

吾亦紅とユーカリ、どちらも間を楽しむことができる植物なので、かなり背を高くカットして、ダイニングテーブルにどんと置きショップや飲食店のような雰囲気を楽しむのが好み。

 

 

 

 

 

もひとつ今のお気に入りは、鹿児島県の竹かご作家さんのもので、

円錐型の塩かごを利用。

 

可愛らしい大きさで、実用的に使われていた道具をモダンな感じで丈夫に作っている。

バスケットみたいな形がお気に入り。

 

素朴な植物をふんわりたっぷりと活けるか、一輪ちょこんと活けるのがなんとも味わいがあってよろし。

素材の力であるように思う。

 

来週は8月最終週。

少し頭の中もクールダウンしてくる頃、様々なパーツとしてキープしたものたちを少しずつ組み立て、整理し始めるのによい季節が始まる。

春よりも秋が始まる季節が個人的には、物事を運ぶ準備を整えやすい季節である。そんな気がしている。

 

 

 

 

 

 

2019.08.06

シャットダウンな1日

 

 

 

本日、九州は台風モード。

昨夜からベランダや玄関周りのものを片付けて備え、今日はシャットダウンな1日となりそうだ。

九州人は台風には、慣れたものだ。

 

 

 

 

本日届く予定だった荷物も、おそらく明日だろうと思っていたら早朝にインターフォンが鳴った。

いつもと変わらぬ対応で受け取りサインを求めてきた時に分かったのだが、宅配業者の方は文字通り水をかぶったような状態でびしょ濡れで頭からポタポタと雨水が落ち、制服もじっとりと濡れていたのでびっくりした。

 

しかし、受け取った荷物は一滴の雨にも濡れていなかった。

荷物に雨カバーをして持ってこられたのだ。

 

日本の企業の細やかな働きぶりには、時に頭がさがる。

仕事とはいえ、今日みたいな日にはなんだか申し訳ない気がした。

 

大半の仕事には流通が欠かせないものである。

流通の充実が販路を劇的に拡大したとも言えるだろう。

特に宅配業が発達したことで、働く人間だけでなく市民の生活もずいぶんと変化した。

 

私も仕事上かなりお世話になっていることもあり、いつも本当に有難いと思う。

何しろ私なんぞは、ドライバーライセンスすら持たず自分で運ぶという事が不可能なのでひとしおだ。

 

びしょ濡れじゃないですか。明日になるだろうと思ってましたよ。

ありがとうございます。

気をつけて、風邪引かないように。

 

言葉をかけてやることくらいしかできなかったが、

今月は休み無しですよ。と言いながらもちょっと顔がほころぶのが感じられた。

 

あっぱれ!!肉体労働!!

 

そんなことを思いながら、本日は写真をメインに飾っている壁の写真の差し替えとフレームの位置を調整した。

以前ブログでも話題にした墨象アート、みのはらみすずさんの作品「雫」を囲むようにして、先月満喫した旅の写真に差し替え。

写真と墨象アート、デッサン、案外混ぜて飾っても違和感がない。

 

写真はいつも旅先で自分で撮った写真を飾り、次の旅まで楽しむ。

腕がなかなか上がらないのだが、寝室でこっそり楽しむにはちょうどよい。

 

私が撮った旅の写真は、他人が見ると面白くないものばかり。

旅行の写真見せて、と言われると、私の写真あんまり面白くないよ。と、つい前置きしてしまう。

どこにも人物が映っていなくて、本当にそこにいたのかどうかも怪しい写真ばかり。

一人旅が多いとどこか素材集めという観点になってしまう。

でも今回は2人旅だったのになあ…

 

シャットダウンな1日、今夜はヨガも休講になるだろう。

何種類かスープストック作りでもしようかな。

 

こんな日も悪くないね。

 

 

 

 

2019.07.26

バカンス特集 その2

 

 

ミュンヘンへと到着したのは、夜9時過ぎ。

ようやく暗くなってくる時間帯。

夏のヨーロッパは、得した気分になる。なんとも1日が長いのだ。

 

ミュンヘン中央駅は、一気に大都会の雑踏。

とはいえ駅構内はかなりの広さなので、沢山の人々が大きな身体でキャリーバッグをぞろぞろと引いていても、さほど混雑しているように見えない。

行き交う人々の言葉が、バラエティに富んでいる。

さあ、ミュンヘンではどんなわくわくが待ってるか。

 

到着した翌日は、日曜日。

日曜日は、美術館以外はほとんど閉まる。

美術館な気分ではないこともあり、ふと思い立ちお隣国のオーストリア、ザルツブルクに日帰りすることにした。

早起きしてなるべく早い列車のチケットを購入。

あまりの安さに何度も往復なのか、間違いないか訪ねたほど。

片道2時間の高速列車が1人往復17ユーロ。

2000円ちょっと。

あり得ない。

バスの値段だよ。

日本、新幹線、高すぎっ!!

ドイツから国境越えのオーストリア、ザルツブルクへ。

 

 

 

 

 

モーツァルトの故郷、カラヤンの故郷、ザルツブルク。

 

石畳の小さな街はとても、ロマンティックな雰囲気に溢れていました。

同じオーストリアとはいえ、2年前に訪れたウィーンとは全く違う街並みである。

何しろ両サイドに並ぶお店のサインの楽しいこと。

夢中になって写真を撮っていたら、ちょっとした資料提供できそうなほどになってしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ヨーロッパに行くといつも思うのだが、都市計画の中で街の統一感なるものが揺るぎないものであり、代々引き継がれて守られていることである。

政権が変わろうと、老朽が進もうと、脈々と流れゆく時間を握りしめながら、街を大切にしているのだ。

 

古くからそこにあるものは、異国の人間にしてみれば最大の魅力なのである。新しいものが魅力なのは、ほんの一瞬であるということに何故気付かないのかと、日本の街をふと思い出して寂しい思いが広がった。

 

 

 

 

お昼は、初めて食すインドのほっそーいインド米のカレーとアペロール。

しっかりお昼をとった後、ザルツブルク南に位置するホーエンザルツブルク城に登ってみることにした。

城の上にはフニクラ、いわゆるケーブルカーでも登れたのだが、ここはビギナーとはいえトレッカーのはしくれとして、歩いて登ることにした。

 

城の上にはパノラマカフェがあり、あまりの眺望に吸い込まれるようにして着席した。

 

ここは、ドイツからオーストリアにまたがるベルヒテスガーデンアルプス。

その一部であるウンターベルク大山塊をぐるりと見渡すようにカフェ席が用意されている。

山側の席は、ずらりと先客あり。

それでもなんとも心地よいカフェタイムだったこと。

 

スロベニアもそうだったが、とにかく湿度がなく最高に心地よい気温なのです。

 

ああああ、気持ちいいなあ。

 

なんどつぶやいたことだろう。

 

 

 

 

そうやってミュンヘンへと再びもどり、翌日は大都会ミュンヘンをぷらぷらと歩き回った。

 

 

旅はよいなあ。

いろんな親切にも出会う。

いろんなモノや景色、味覚にも出会う。

そしていろんな自分にも出会う。

 

出会いの数、経験の数がクリエイションにつながることを信じている。

クリエイションという作業を行う場所はさほど関係なく、詰め込んだ出会いのシーンや思考が折り重なってある瞬間にすぽっと生まれてくるのではないかと思う。

突然ある場所に泉が湧き出すように。

屋号にしたfonteskeyは、ラテン語のfontis 泉、創造という語源からの造語である。

この旅が、いつしか制作活動に自分にとって、より良いイマジネーションをもたらされることを期待しながら、帰国してきたのであった。

 

 

7月もあと1週間となった。

また、コツコツと制作活動に励みたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

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