2019.07.02
よこたわる孤独と沈黙
夏には、おおきな木はおおきな影をつくる。
影のなかにはいってみあげると、周囲がふいに、カーンと静まりかえるような気配にとらえられる。
おおきな木の冬もいい。
頰は冷たいが、空気は澄んでいる。
黙って、みあげる。
黒く細い枝々が、懸命になって、空を掴もうとしている。
けれども、灰色の空は、ゆっくりと旋るようにうごいている。
冷たい風がくるくると、心のへりをまわって、駆け出してゆく。
おおきな木の下に、何があるのだろう。
何もないのだ。
何もないけれど、木のおおきさとおなじだけの沈黙がある。
詩人 長田弘 「おおきな木」一部略より
日本には、ご神木という言葉があるように、立派な木を見ると多くの人が意識せずとも静かに深呼吸をするものではないだろうか。
時間や心を次々と奪われてしまうような日常。
油断すると月がどんどん変わり、季節が変わってしまったことに街ゆく人々の装いや、ショウウィンドウのディスプレイで、はたと気づかされることがある。
君には何万年時間が用意されているつもりなんだね。
人生の大先輩が、友人に言った言葉らしい。
私は、その時、お会いしたこともないのに、その方の言葉を直接耳にしたような気になったのを今でもはっきり覚えている。
樹齢何百年、何千年、木は全てを見て聞き知っている。
そんな気になるからだろうか。
おおきな木の前に立つと、時間の概念を超え、心静かに深呼吸をする。
そして、そこに横たわる孤独と沈黙に包まれる。
それは、決して寂寥の想いではない。
私にとって、海とは全く違う種類の感覚だ。