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2016.08.04

フェティシズム

 

 

 

 

コレクターでもなんでもないのだが、我が家にはどうもブラシというものが多いようだ。

 

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あまりケチりたくないと自分に訳しながら集まってしまうCDや本の埃取り、キッチンや食後のテーブル用、黒い服が多いので衣類用、音楽プレイヤーやパソコン機器、家具や寝具用。

 

なんともまあ用途に応じたブラシたちがあちこちの部屋に居る。

 

一本でカバーできれば良いのだろうが、やはりそうはいかない。

実はお化粧のブラシを代用しているものもある。

 

掃除には、順番があります。

まずは上の方から順に埃をはらい落とすことからです。

 

お仕事でお付き合いしているショップのオーナーさんのこの言葉が、きっかけでした。

 

うちにはちゃんとした掃除グッズがあるのだろうか。

 

事実そこのオーナーさん始め、スッタフさん全員が、お客様がいらっしゃらない隙に常にブラシやハタキを持ち、お店の商品棚や私の作品展示台などの埃を払い落としていた。

 

なるほど。

店内がいつ伺っても澄み切った空気が流れているように感じていたのは、そういうことだったのか。

 

気の流れ。

まずは窓の開放。

上の方から順番に。

 

埃を払い落とすと、持ち物が再び呼吸を始めるような気持ちになるのです。

 

やっぱり

ブラシフェチ。

かも。

 

 

 

2016.07.29

着せ替え箱たち

 

 

簡易包装がエコであるという認識が、商売業界でもスタンダードとして浸透してきた昨今だが、とはいえそれなりの金額を払うものや壊れやすいものなどは、どんな装いで手元にやってくるのかもひとつの楽しみでもある。

 

 

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お客様の手元へと向かう包装という最後のシーン。ブランドの理念みたいなものが表れる部分でもある。商品と包装の適切なバランス、どこもさまざまなメッセージや工夫、思いが託されているのを垣間見るのはとても楽しみだ。

そうやってなんとなく溜め込んでしまった丈夫で使い勝手の良さそうな箱たち。

 

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あちこちでついつい買い集まってしまった紙たちを貼って、着せ替え箱に変身。

 

キッチン棚の中に、スパイスや製菓材料、調味料やお茶のあれこれを収納しずらっと整列してもらうと、扉を開けた瞬間から楽しくなる。

収納のコツは隠すものと見せるもののメリハリをとることらしい。そして、統一感なのだとか。

 

ただ統一感というと、限定された嗜好になり意識しすぎて縛られて、思うようなものを探せず、結局妥協してバラバラなイメージに陥ってしまう。

過去何度も経験した。

妥協して代替品を買うくらいなら、多少の不便を強いられても理想のものと出会う日を待つ。

本当に好きなものや自分自身が落ち着く色を時間をかけてチョイスしていけば、統一されてゆくのだとやっと気づいた。

 

着せ替え箱。

桐箱をペイントしたり、革を貼ったり、布を貼ったり。

 

結構楽しいですよ、おすすめ。

 

箱文化というものは、やはりこれからも健在であって欲しいです。

 

 

 

 

 

2016.07.24

夏の蒼い時間

 

 

夏には夕方から夜へと向かう狭間な時間が存在する。

 

 

 

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厳密に言うとどの季節にもその時間は存在するのだが、西日本ではこの時間は長い。

そして、夏のこの時間はことさらに長い。

 

 

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幼少の頃、遊びに夢中になり気がつくとお店の看板や横断歩道、あちこちが赤く染まっているのを目にして、慌てて友達と別れて家路へと向かった。

夕食の時間に間に合うよう急ぎ足と駆け足を繰り返しながら、頭上の茜色に藍色が混ざり始める空を見ると、なんとも寂しい気持ちになったものだった。

今あるものたちもいずれは変化していなくなってしまう。

 

 

誰に教わったわけでもないが、そのことを既にはっきりと知っていた。

 

そして、大人になった今、現実としてはっきりと無常の意を体験し識っている。

存在だけでなく、感情さえも無常だ。

 

夏には過去と現実を行き来するそんな蒼いノスタルジックな時間がある。

黄昏時の蒼い時間。

街も空も蒼く。

 

 

 

 

 

 

2016.07.19

記憶のふるさと

 

 

 

やっと梅雨明けしたそうだ。

セミたちが絶好調なコーラスを早朝より聞かせてくれている。

 

 

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福岡県の朝倉郡に現在もしっかり役目を果たしている三連水車がある。

実は動いているところをまだ見たことがなかったので、曇り日を狙って出かけた。

 

 

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前日も雨が降ったので、緑がくっきりと目に心地よかった。

と書きながらモノクロ撮影をアップしている。

 

 

福岡県はとてもコンパクトだが、生活してゆくにはとてもちょうど良いサイズだ。流通の充実、交通の便の充実、美味しい食材も集まりやすい。

少し離れれば海も山も川もある。

旅をして思うのだが、先進国の知名度のある街はおおよそ福岡位の街の規模だ。

もう自分の人生の半分以上は福岡で過ごしている。

故郷と言っても良いかもしれない。

それでも、生まれの鹿児島は故郷として声高に公言したい。

 

故郷はふたつ。

そういうことにしておこう。

 

 

 

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耳納連山に低く降りてきている雲が幻想的だった。

耳納連山は若い時分にも訪れて何度も眺めているのに、年齢を重ねると景色も違って見えるものだ。

 

優しく、少し物憂げな寂しさを感じる山々に思えた。

人生で生活を営む場所、そして何度も訪れる機会のある場所。

何か縁があるのかもしれない。

やはり九州は好きだ。

 

みなさん、故郷に帰っていますか?

 

 

 

2016.07.10

音に運ばれ伝播される思い

 

 

 

週末、ベルリンフィルの12人のチェリストたちによるコンサートに行った。

来日は12回目ということだが、今回は3ヶ月前の震災により中止さえも見えていた福岡公演だったらしいが、改めて熊本復興支援のためのチャリティーコンサート企画として福岡公演を行いたいとチェリストたちが発案して下さったという。慈善公演。ドイツ語でいうところの、Benefiz Konzert  。

チェリストたちは、過去1996年にも阪神淡路大震災チャリティーコンサートを行って下さったらしい。

 

 

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パリーブエノスアイレスというテーマで演目が構成されていたが、同じ絃楽器でもバイオリンの華やかさとは異なる渋みのある音が、シャンソンやタンゴ曲に独特の哀愁を添え格別の魅力に酔いしれた。

しかも、一流楽団のチェリスト勢ぞろい。

艶やかで魅惑的な音色に包まれた時間は、まさに時間を超越した時間そのもの。

後半ではチェロの楽器の側面や弓を使った様々な音をふんだんに交えてのアストル・ピアソラの名曲が続いた。

 

プログラム終了後鳴り止まぬ拍手の後、第1ソロチェリストのルートヴィヒ・クワント氏から震災に対する丁寧なお悔やみの挨拶があった。

アンコール曲名を伝えて再び演奏が始まった。

用意されていたアンコール2曲が終わっても鳴り止まない拍手に、チェリストたちは何度もお辞儀をして、後にそれぞれの席にもう一度静かに戻り、曲目は伝えられることなく3曲目のアンコールの演奏が始まった。

スローテンポの始まり。

なんの曲だろう。

 

なんと。

滝廉太郎作曲の「荒城の月」だった。

劇場内から静かなどよめきが起こった。

 

作曲家滝廉太郎は、大分県出身だ。

九州の人間は教科書で学んだ時に、強く記憶に残ったことだろう。

私たちは、大分被災のことも忘れていません。

そんなメッセージが12人の一音一音に乗せられ、誰もが知るメロディーと共に聴衆の心に届き、静かに伝播してゆく。

劇場は静まり返り、気がつくとあちこちからすすり泣きが聞こえ始めた。

すすり泣きは、演奏の間中あちこちに飛び火し続けていた。

 

うろ覚えだが荒城の月の歌詞は、栄枯盛衰。この世の無常観を唄った内容だったような。

 

かつて輝かしかった城は、時を経て歴史を経て様変わりし、あの頃の栄光は露もなく、春夏秋冬、季節の気配を感じさせる景色と共に今も変わらぬ月だけが群青色の闇夜に蒼く光る。

その侘びた情景とさびの感情までもが見えるような演奏だった。

 

 

今、ここに在る。

そのことより大切なこと、確実なことは何もない。

そして、どんなに願っても永遠に在り続けることもできない。

 

日本にはこんなに素晴らしい名曲があるということを忘れかけていた。

 

音に乗って運ばれてきたものたちは、楽しい演奏会というくくりを越えて一気に自分自身の目線を広げさせてくれた。

 

予想しなかったアンコール曲の締めくくりに、劇場を退場する見知らぬ人々の目や鼻が赤くなっているのを目にする度に、再び涙しそうになる私でした。

心のこもった素晴らしい演奏会でした。

そして、チャリティーの言葉の意味を考えさせられるきっかけにもなりました。

 

震災は、自分の身にふりかかったかもしれない、誰にとっても決して他人事ではないことだ。

改めまして、震災被災者の皆様にお見舞い申し上げたいと思います。