2021.01.27
せちわかれ
女の子の玩具のひとつだったおはじき。
世代によるかもしれませんが、幼い頃巾着袋に入った自分のおはじきを持っていて一度は遊んだことがあるのではないでしょうか。
私が持っていたには、月並みなソーダガラスにいろんな色の縞模様が入ったものでした。
今でも売っているのだろうか。
先日、新しい年になってやっとお会いできて新年のご挨拶ができた方に、大分県豆田町の花おはじきを頂いた。
小さな箱にびっしり入ったおはじきは、ひとつひとつ味わい深い花の形と色つけで、素直に
「わ!かわいい!」
と、ちょっと小躍りしてしまった。
もうすぐ節分。
節分は、「せちわかれ」ともいい、春夏秋冬、季節の分かれ目であり、個人的にはお正月よりも新しい時間に入ってゆくという意味で身が引き締まる区切りとして大事にしている。
今年は、124年ぶりに2月2日がこの日に当たるらしい。
昨年秋に住まいを変えて、じわじわと感じていて向き合っていることがある。
自分の中の変化というもの。
人は少しずつ変化してゆき、変化したことにもいずれは慣れてしまい、当たり前となる。
マスク生活がひとつの例でもある。
街中でもほぼ全員がマスクをしているという今の当たり前は、2年前には異様に見えたことだろうとしみじみ思うのである。
どんなことでもそうなのだが、
あんなに楽しかったのに、ここのところどうにも違和感を感じて魅力を感じられなくなった、そう気づきつつも無理にこれは楽しいんだと自分に言い聞かせている。
そんな自分を客観的に知る瞬間。
もう、本当はあまり楽しくないのかも知れないのかな、
慣れ親しんだ楽しさを奪われたような寂しさに、突如、虚無感が充満してきて物憂い心になる。
これまで、いろんな面で何度も経験してきたのだが、今の新しい住まいを決めた頃あたりから、複数の変化に同時に向き合っている気がある。
心の居場所。
それは、今在る場所と近い環境であることが理想である。
楽しくてたまらないと感じている時は、変化が全く必要のない時間であり、楽しいけれどもどこか異物が混じっているような感覚を認識した瞬間、新しい時間へと移動するメッセージだと思うようにしている。
諸行無常。
これまでの楽しさに卒業して、新しい学びの時間へと入学する時のようだ。
ならば、それはどの方向なのだろう?
複数起きている、自分の中の変化。
行き先が見えているようで、見えないような。
霧につつまれた気配。
ひとつだけ目安にしているのは、
何にも知らないけれども、なぜかちょっと気になる時空感。
そこへ、とりあえず歩き出してみる。
今年のせちわかれには、新しい時空間へと入学する。
そんな気がしている。