2021.02.16
佐賀個展の案内はひとつ戻ってね!
制作を始めて26年が経とうとしている。
6年前のこと。
節目となる20年を記念して、作品を売るという感覚からいっさい切り離したメモリアルなイベントを企画した。
作品のデザインソースに近いシーンの写真と、その作品そのものをストーリー仕立てに順路展示し、文章を添えるという記念イベントだった。
まずは、プロのカメラマンに趣旨を説明し、シーンに合わせてあちこちでのロケ撮影を希望していること、その間、個展や展覧会が何回か予定されているので撮影は足かけ2年くらいを要するということ。
カメラマンも今までに受けたことがないというこの無茶な依頼に、意外にも興味を持って頂けてかなりの奉仕的な協力を得て写真展を行うことができた。
カメラマンには、今でもとても感謝している。
余談だが私が今、トレッキングにハマっているのも、この時ロケ撮影として登った山がきっかけである。
先日、書類の整理をしていたらそのイベントの記念に作成したブックレットが出てきた。
ぱらぱらとめくりながら、ふと、その中のシャドウというタイトルのブローチのシーン写真と影をテーマにした文章のページを読み返してみた。
そこに実在する姿はときに虚像。
深く呼吸を続け、幾重にも折り重なり、積み上げられた沈黙の堆積。
虚像の背景にある巨大な影は、このまたたきにさえも堆積を休まない。
虚像が吐露するきらびやかさは、真価に値しない。
実在に付着した影がなければ、無の存在だ。
沈黙の堆積。
肉厚の影こそが、存在の証し。
存在するものであれば必ず影がある。
光が当てられると浮かび上がる影。
しかし四方八方からとあまりにも過剰な光が当てられると影は消えてしまう。
影が消える。
それは、無に等しい。
それなのにそれを見た我々は、この世にはごく稀に影のない選ばれた存在があるのだ。
そんなふうに誤解してしまう。
違う。
見る側がただひたすらに幻想を見ているだけなのだ。
存在と影は表裏一体。
影こそが存在の証しである。
濃厚な影。
その愛すべき影が付着してこその存在だ。
触れないモノ。
体感しない痛み。喜び。
漂わない空気。気配。
他人の目や手、感覚と自分がいつのまにか同化し、一方向からの点の視線で見ている。
それを虚像というのではないか。
そんな視線や視力では、生きたくない。
たとえ稚拙で不器用であっても自分の目や手、感覚を使って生きてゆきたい。
そこで6年前と変わりはない自分に再び会い、相槌をうちながらブックレットを閉じた。