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2017.11.29

大阪個展のお知らせはひとつ戻ってね!!

 

 

今週は、小春日和が続いている。

 

大阪個展の準備もほぼひと段落ついて、気持ちの中の視野が広がってきた。

9月から駆け抜けるようにして時間が過ぎたことを、制作スケジュール張を眺めながら改めて感じる。

 

 

 

 

 

仕事がひと段落つくと、やりたくなるのが縫い物。

好きな場所で、温かい飲み物やおやつを傍に置いて、ちくちくと手縫いをしているとなんとも落ち着く。

腕の方は、並程度。

もっぱら作るものは、自分の生活の中で使うものばかり。

花ふきんや鍋つかみ、おてふき、クローゼット用サシェ、アイピローやアロマピロー、トラベルポーチなどなど。

何が楽しいって、こんなものあったらいいかも!

それを考えて、布の色合わせや形を考え、実際に自分の持ち物に合わせたサイズに仕立てられること。

 

縫い物は好きなのに、裁縫箱がどうにも手頃なもの見つからずに、ずっとお菓子の空き箱を代用していたのだが、やっとぴったりのものを見つけた。

 

富山県八尾の手漉和紙を貼り込んだ手文庫箱。

本体自体は軽く、しかも丈夫、深さもちょうどよく、サイズ感も文句なし。

何しろ、きっちりとした作りでありながら、蓋も程よく開け閉めしやすい、柄や色目も民藝の良さがセンス良くまとまっていて、見つけた瞬間はテンションが上がった。

 


裁縫具一式をひとつにまとめるとなると、引き出し付き三段箱みたいな大掛かりな代物になってしまう。

それは、好きな時に好きな場所でちくちく気分転換とはなり難い。

そんなスタイルではなくて、何かもっとしっくりくる裁縫具収納はないものかと、ちらちらと気にかけていた矢先の出会い。

 

これは、どうでしょう?

と久しぶりにモノが語りかけてきた。

 

 

用途に合わせて、小分けする事にした。

よく使う裁縫具一式の箱。

刺し子用の箱。

まだ仕上がってない途中のものをまとめておく、いつでもどこでもの小箱。

 

はあー、すっきり!

 

仕事もめどが立った事だし、お世話になっている知人への贈り物に添える、刺し子ちびおてふきをちくちくとやろうかと思案中。

何色の糸にしようか、どんな文様がいいかな、形はどれくらいがよいかな。

もうワクワクしてくる。

 

考えてみれば、仕事も気分転換もかなり目を酷使することやっている。

 

今夜は、お手製のアイピローで目に安息時間を与えてやるとするか。

 

 

 

 

2017.11.17

願い

 

 

いつの頃からだろうか、何かの報告と感謝を伝えたい時、機会があれば神社に行くようになった。

場所は決めていない。

 

行けない時には、心の中で唱える。

 

 

 

 

先月、ドライブの途中、友人が教えてくれた海の浜辺にせり出した名所にもなっているという神社を訪れてみた。

参道の両側は海で、こじんまりとした神社だった。

二礼二拍一礼。

脇の方からカサカサ、カラカラと音が聞こえる。

誘われるようにして回り込んで見た。

 

通路の頭上には、まるでトンネルのように鈴なりになった沢山の絵馬がカラカラと乾いた音を立てて揺れている。

 

その奥では、びっしりと結びつけられたおみくじが海風が吹くたびにカサカサと鳴っていた。

 

どんなことを皆、願っているのだろう。

まるで盗み見をしているような少し後ろめたい気持ちになりながら、絵馬に書いてある見ず知らずの人々の願いの文字を追った。

 

 

病気の回復を願った年配の方の文字。

受験合格を祈願した若人の文字。

家族の健康を願う母の文字。

無邪気に欲しいものを記している子供の文字。

 

人の心を占拠している願い事がひしめき合った絵馬たちが、時折たてるカラカラと乾いた音。

その奥のくくりつけられた無数のおみくじのカサカサとこすれる音。

 

その音たちは、海風が吹き、潮の香りが漂う環境の神社と溶け合い、とても心落ち着くものだった。

願いや感謝は、唱えることで心の均衡が保てるものだ。

願いが叶うことよりも、唱える場に身を置くことがたいせつな行為である気がする。

 

年の初めでない日に、神社に訪れてみるのもいいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017.11.08

手紙

 

 

手紙の中のことばという力。

 

 

 

 

 

今年のはじめ、簡単な手術で1週間ほど入院した。

私にとって手術、入院が生まれて初めての経験であることを案じた親友が、1年で最も仕事が忙しい月であるというのに、どうやって時間を捻出してくれたのか手術の前日から駆けつけてくれた。

 

成功率がほぼ100パーセントという名医の執刀と聞いていても心中、穏やかではない。

その心をお見通しの親友が私を気遣う思い。そして、その思いだけでなく思いに準じた行動が、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

 

退院後、すっかり回復した私は、彼女が好きそうなものやお気に入りのものなどを詰め合わせにして、手紙を添えて贈った。

 

出張が続くと言ってたけどタイミングよく受け取れたかなあ、そんなことを思った途端、彼女からの電話が鳴って驚いた。

 

いつものほっとする明るく元気な声だった。

 

ねえ、贈ってくれた詰め合わせの中で、何が一番嬉しかったと思う?

 

答えには自信があった。以前から彼女がとってもお気に入りのものがあり、地元では買えないものを送っておいたのだ。

自信満々で答えた。

 

違うよ。

あなたの手紙がなによりもいっちばん嬉しかったんだよ。

ごめーん、贈ってくれたものの中で一番高価なものでなくて。

 

笑いながら謝る彼女の声がめずらしく涙ぐんでいるのが分かった。

 

思いもよらない答えに返す言葉を見失い、一緒になって泣き出しそうな間が流れた。

 

 

電話をきったあと思った。

イカすこと言うよなあ。

品物よりも手紙がいちばん嬉しかったという人柄の彼女と親友であることは、私の誇りだ。

 

そう、心の中でつぶやいた途端、

胸がいっぱいになって、そして、身体中がいっぱいになって、そのいっぱいになったものが、ぽたぽたとこぼれ落ちた。

 

 

文章力のある洒脱で重厚感のある手紙でなくても、肉筆でしたためる手紙のなかのことばたちには、言葉そのもの以上の力が内在しているのだろう。

 

改めて、思う。

 

誰かに感謝やお礼を伝える時、どんなに月並みの言葉であろうと、たった一言であろうと、肉筆で伝えよう。

自分が思う以上に、相手が嬉しく思うのが手紙という存在なのかもしれない。

 

 

 

 

2017.11.03

格別のハーブティー

 

 

カレンダーを見て、ふと気がついた。

あ!10月のままになっている。

怒濤のごとく過ぎ去った10月だった。

 

 

 

 

これから一気に年末まで走らなければいけない。

少し、背筋が伸びる思いだ。

 

鹿児島個展が終わったあと、親友と薩摩半島の南、指宿まで足を伸ばした。

 

 

薩摩半島の南に位置する開聞岳は、山の形がなだらかで美しい。

 

 

 

この山の南斜面は冬でも温暖で無霜地帯であるということで、今から70年ほど前に日本で初めてハーブ農園を始めた香料園があると知り、ドライブの途中に立ち寄った。

そこで飲んだハーブティーは、今まで飲んだどのハーブティーよりも香りが高く、甘みもあり、優しく体に染み込む感じでとても感激した。

 

ああ、これがほんとのハーブティーなんだ!

 

オーガニックやヘルシー、美容トピックには必ず登場するハーブティー。

体にはよいらしいが、実のところあまり美味しいと感じたことはなかった。

どこか、草っぽいというか、逆にハーブのアクやクセが先にたち、煎じた薬を飲んでいるような感覚になるときがあった。

 

あまた溢れる商品、その中で自分にぴったりのものを探し出すことはなかなかに難しい。

それだからか、見つけた時の感動はひとしおだ。

 

 

 

温かい飲み物が身体に染み渡り安らぐ季節になってきました。

霜月。

冬を楽しむ助走の月。

 

新しい発見は、幾つになっても心浮き立つものですね。

 

 

 

 

2017.10.12

鹿児島個展のお知らせはひとつ戻ってね!!

 

 

気温の変化が激しいこの頃だ。

寝具の選択に悩ましい毎夜、寝室がなんとなく落ち着かない程に軽めのブランケットや大きめのひざ掛けなどが積み上がっている。

 

 

 

 

鹿児島個展の制作もほぼめどが立ち、やっとひと息つけそうだ。

週末は、張り切ってお部屋の秋支度だ!

 

家具の素材は圧倒的に木が好きなので、我が家には木の家具が多い。

まずは、家具の手入れ。無垢材部分はオイル拭きに始まり、クッション座部分を陽に干したりラグを干している間に、本棚の掃除をしながら本の断捨離。

終わった頃には、干したものたちがふんわりとなっている。

部屋中のクッションカバーを変えて、拭き掃除、窓拭き、カーテンの交換、あらかた終わったら、秋のお花を買いに出かけて、お茶を淹れて、ふぅわあ〜と声に出して深呼吸。

 

これがなかなか気持ち良い!

 

自分にとっては、この季節の変わり目の一連のしつらえ交換はひとつの節目な行事だ。

掃除をしながら、過ぎた季節をどんなことを考えながら過ごしたかが、ふっと思い返される。

自営業なので自分なりのリズムを崩さないように心掛けているせいか、さして大きな変化がないようなつもりでいる。

それでも、しつらえ交換の時には、小さいながらも気持ちや心の変化があることに気付く。

もう、この服は着ないなあ、この食器もなかなか出番がないな、どしてかな、これはもう十分すぎるくらい使ったなあ、

そんな、細々したあれこれが意外にも自分と向き合う作業だ。

 

まとまったお休みに何をしたいかと尋ねると、断捨離と答える人が意外にも多い。

モノを捨てて片付けるのが目的ではなく、その作業の中で過去の自分を経て今の自分に大切なものを再確認する作業。この部分が真の目的なのだろう。

 

年を重ねた分、身軽でシンプルに柔軟に生きる。

こだわりは良し、執着は過ぎると見苦しい。

そんな風に思っている。

金銭への執着、若さへの執着、地位への執着、人への執着…

過ぎると行き着く場所は、あまり居心地は良さそうではない。

程よく、バランスよく。

 

 

整理整頓。

挨拶。

思いやり。

 

つまりは、人として最も大切なことは幼稚園で学んだことだなあ、としみじみ思うわけである。

 

さあ、気持ちもリセットして、来週は張り切って鹿児島に向かいます!!

 

 

 

 

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