2017.11.08
手紙
手紙の中のことばという力。
今年のはじめ、簡単な手術で1週間ほど入院した。
私にとって手術、入院が生まれて初めての経験であることを案じた親友が、1年で最も仕事が忙しい月であるというのに、どうやって時間を捻出してくれたのか手術の前日から駆けつけてくれた。
成功率がほぼ100パーセントという名医の執刀と聞いていても心中、穏やかではない。
その心をお見通しの親友が私を気遣う思い。そして、その思いだけでなく思いに準じた行動が、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
退院後、すっかり回復した私は、彼女が好きそうなものやお気に入りのものなどを詰め合わせにして、手紙を添えて贈った。
出張が続くと言ってたけどタイミングよく受け取れたかなあ、そんなことを思った途端、彼女からの電話が鳴って驚いた。
いつものほっとする明るく元気な声だった。
ねえ、贈ってくれた詰め合わせの中で、何が一番嬉しかったと思う?
答えには自信があった。以前から彼女がとってもお気に入りのものがあり、地元では買えないものを送っておいたのだ。
自信満々で答えた。
違うよ。
あなたの手紙がなによりもいっちばん嬉しかったんだよ。
ごめーん、贈ってくれたものの中で一番高価なものでなくて。
笑いながら謝る彼女の声がめずらしく涙ぐんでいるのが分かった。
思いもよらない答えに返す言葉を見失い、一緒になって泣き出しそうな間が流れた。
電話をきったあと思った。
イカすこと言うよなあ。
品物よりも手紙がいちばん嬉しかったという人柄の彼女と親友であることは、私の誇りだ。
そう、心の中でつぶやいた途端、
胸がいっぱいになって、そして、身体中がいっぱいになって、そのいっぱいになったものが、ぽたぽたとこぼれ落ちた。
文章力のある洒脱で重厚感のある手紙でなくても、肉筆でしたためる手紙のなかのことばたちには、言葉そのもの以上の力が内在しているのだろう。
改めて、思う。
誰かに感謝やお礼を伝える時、どんなに月並みの言葉であろうと、たった一言であろうと、肉筆で伝えよう。
自分が思う以上に、相手が嬉しく思うのが手紙という存在なのかもしれない。