2017.11.17
願い
いつの頃からだろうか、何かの報告と感謝を伝えたい時、機会があれば神社に行くようになった。
場所は決めていない。
行けない時には、心の中で唱える。
先月、ドライブの途中、友人が教えてくれた海の浜辺にせり出した名所にもなっているという神社を訪れてみた。
参道の両側は海で、こじんまりとした神社だった。
二礼二拍一礼。
脇の方からカサカサ、カラカラと音が聞こえる。
誘われるようにして回り込んで見た。
通路の頭上には、まるでトンネルのように鈴なりになった沢山の絵馬がカラカラと乾いた音を立てて揺れている。
その奥では、びっしりと結びつけられたおみくじが海風が吹くたびにカサカサと鳴っていた。
どんなことを皆、願っているのだろう。
まるで盗み見をしているような少し後ろめたい気持ちになりながら、絵馬に書いてある見ず知らずの人々の願いの文字を追った。
病気の回復を願った年配の方の文字。
受験合格を祈願した若人の文字。
家族の健康を願う母の文字。
無邪気に欲しいものを記している子供の文字。
人の心を占拠している願い事がひしめき合った絵馬たちが、時折たてるカラカラと乾いた音。
その奥のくくりつけられた無数のおみくじのカサカサとこすれる音。
その音たちは、海風が吹き、潮の香りが漂う環境の神社と溶け合い、とても心落ち着くものだった。
願いや感謝は、唱えることで心の均衡が保てるものだ。
願いが叶うことよりも、唱える場に身を置くことがたいせつな行為である気がする。
年の初めでない日に、神社に訪れてみるのもいいものです。