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2017.09.24

秋の夜長の過ごし方

 

 

 

どことなく曇りの日が続いていたが、本日は午後から青空が広がり過ごしやすいよい気候でした。

 

 

 

秋分の日も過ぎて、日増しに日の入りも早くなり夜の過ごし方が楽しい秋の夜長となって参ります。

 

 

夜が長くなると、読書の時間が増えてくる。

読書家の友人、知人が何人かいて処分する前にそれぞれに買って読んだ本の貸し借りをやっている。このシステムはなかなか面白く、気になっていた作家の本、話題の本、何より自分では買って読まない類の本との出会いなどは本当に新鮮だ。

このシステムのおかげで、感想も含めより友人知人との会話も楽しくなる。

 

大人になると、全てにおいて自分の嗜好でチョイスして生きて行ける。

しかし、敢えて自分が求めるものだけではないものに触れることこそが、知識や思考を広げるのだとつくづく思う。

 

食や装いもそうだ。

他人が勧めるものも試してみる。

やっぱり苦手なら、確認作業ができたということだ。

そして、一歩踏み込んでそれがなぜ苦手なのか分析すると別な角度から自分を知ることができる。

勧められたものに違和感がなくもっと試したくなったなら、新しい自分の扉を開けるチャンスだ。

 

 

秋の夜長の過ごし方。

今、はまっているのが足と手のマッサージのあとお抹茶。

そして、読書。

 

いい感じに眠くなってきて、熟睡できるのです。

 

秋にはこのフラワーベースがマガジンラックに変身なのです。

本日も心地よい夜風が吹いています。

 

 

 

 

 

2017.09.16

茜で染められた四角形のラグ

 

 

 

6年前の8月31日。

その日はとても印象深い1日だった。

 

 

 

 

 

一目惚れで購入したラグが、ちょうど仕事が終わったのを見計らったかのようにして届いた。

前日、断ち切れない自分の過去の負の気持ちに、ようやく終止符を打てることがあった。

 

人が見ている現実と自分が見る現実は、異なる。

正確には、自分が見たいように見ている現実と言えば良いだろうか。

現実は、ただの事柄であり、真実は感情や時間、言葉、行動掛けることのそれにかかわる人の数の層、諸々雑多が複雑に絡み合い、所在ありげで無さげ。

いつだって正体不明だ。

 

でも、今回は、はっきりと真実を確保した。

この真実は、もう姿を変えたりしない。

まるで素手で捕まえたかのような真実を前にすると、それまでの自分が他人を演じていた役者のようにさえ思え滑稽だった。

 

 

あぁ、やっぱりこのラグ、正解だった。

そういえばあまりの決断の早さに知り合いの店主は驚いていたなあ。

 

届いたばかりのラグの中央に寝転んでまぶたを閉じた。

 

出窓の小さな窓からさわさわと入り込んできた乾いた風が、鼻先に止まり、体全体を包み込みどこかにずっと閉じ込められていて、潜り込んでいた私をすうーっと引っ張り出してくれるような心地だった。

そのことに抵抗をしない自分。

 

うわ、何?

この感覚。

 

ああ、心が解き放たれるとはこんな感覚なのかあ。

今まで経験したことのない気持ちだった。

なんて心地よいんだ。肌触りとか匂いとかそんな五感を超えたここちよさ。

このラグは、なんだか不思議だ。

これをエネルギーというのかな。

押し付けがましくない寄り添うような優しいエネルギーと言えばよいのか。

 

それから、折にふれ、力が弱ってしまっていると感じる時には、このラグの中央の正方形の図柄の上に寝転がって目を閉じる。

 

そんな風に過ごすようになった。

 

やっぱり、不思議だ。

このラグ。

 

 

中東の女性がデザインや色、全て任されて織ったものを、直接仕入れたものだと店主から聞いていた。

 

モチーフに意味がある具象的デザインがほとんどなのだが、私が求めたものは正方形のラグで、大きな正方形の中央にもうひとつ正方形が入っている珍しくシンプルなものだ。

 

店主が積み上げられて山のようになっているラグをいくつも回遊し、まるで絵本をめくるかのようにして何十枚、いや100枚近く見せてくれただろうか。

このラグの山を見て気にいるものがなければ、今日は止めておこう。

あと数枚くらいで床にたどり着くなと思った途端、突如現れたこのラグは、一瞬にして私の心を掴んだ。

 

そうやって我が家にやってきたラグ。

 

後に知ったのだが、正方形のモチーフにもちゃんと意味があるという。

窓。未来。幸福。願い。安定した豊かさ…

 

 

次に店主に会った時に聞いてみた。

 

買われたお客さんからよく似たような話、聞きますよ。

エネルギーはあると思いますよ。

だってあれ、手仕事ですよ。

機械じゃないんですよ。

僕は、そう思っていつも現地で一枚一枚セレクトして仕入れてます。

 

 

秋の始まりの風を捉えたあの日の夕刻もこんな太陽だった。

 

 

 

見知らぬ家と家の間に、すっぽり埋まったまま沈む太陽を、出張先でカメラにおさめながら思った。

 

早くおうちに帰りたい。

茜で染められた四角形のラグのあるあの部屋に。

 

 

 

 

 

 

 

 

2017.09.02

山口個展のご案内はひとつ戻ってね!

 

 

 

無花果。

 

 

 

 

 

漢字を見ていると、花の咲かない実なのだろうかと思ってしまうが、我々が食べているいちじくは、実は花の部分であるらしい。

 

 

無花果は大人の果実だ。

 

若い頃にはあまり好んで食したいとは思わなかった。

でも、当時から憧れの大人の女性たちは、無花果が好きだとよく耳にしていたので、季節になるとちら見して果物売り場を素通りしていた。

果物たるもの、滴り落ちるような果汁がなければ。

そんな風に思っていたのかもしれない。

自分そのものが、青い果実だった。

 

 

皮は薄く必要以上に触っていると痛みやすい、食すと決めたときにふわっと握り、さっとナイフを入れる。

中から深い秋色の抽象画が現れる。

 

自己主張の過ぎないほんのりした香り、器をまとったときのサマ、舌触りと甘さのバランス。

他の果物にはなかなかないバランスだ。

今は、そんな風に思う。

 

 

 

どんなに遠いところにあなたはいるの、果実よ。

わたしはあなたの心のなかにひそんでいます、花よ。

 

インドの詩人、タゴールの詩より

 

 

ああ、秋だなあ。

 

どうかこのまま、おとなしく秋に突入してほしいものだ。

 

 

 

 

2017.08.20

よろずお洗濯屋

 

 

お盆も過ぎて、朝には爽やかな風が吹いて空にも秋の気配が見え隠れしてきました。

 

 

 

 

 

次回、詳細ご案内致しますが9月8日より山口県にて個展の予定です。

そして10月には鹿児島にて個展、12月が大阪にて。

来年が京都展に始まり、次が愛知県・・・

うーっむ。

実は、ちょっと張り詰めたスケジュールです。

 

こういう時は、自分のペースをなるべく崩さないように、気持ちだけ先行する焦りに少しブレーキを踏むくらいの感覚で過ごすようにしてます。

できれば、ひとりサマータイムもこのまま習慣にしたいと思っている。

何と言っても、早朝のベランダはたまらなく気持ちよいのだ。

朝を独り占めしているような静けさも好き。

 

1日2回お洗濯できるのも、あとも少し。

これからやってくる秋、冬に向けて、ただいま何でもかんでもお洗濯に日々余念がないよろずお洗濯屋と化しています。

 

画像はアルゼンチンニット作家さんの指人形。

パリの小さなニットのお店で見つけたのだが、お店の壁一面が動物の指人形がびっしりという初めて見る光景に一気にテンションがあがった。

同じものづくりとして作品への感激と敬意を表し、(と立派な言い訳で取り繕ってます我が家に連れて帰りたい!という一心。)絞りに絞って5匹ほどの動物を買ってしまった。

 

 

 

アルゼンチンらしい配色の鳥。

 

 

 

いたずら好きそうな犬。

 

羊が自分の干支。

画像はないが、親友の干支のサルと愛嬌のあるゾウの計5匹をアルゼンチンからフランス経由で地球を半周して日本へ入国させました。

 

これを一体何に使ってるのかって?

よもや指人形ひとり芝居をやっていまい。

まさか?

 

ブッブブー。

全く別な使い方をしてます。

ふふふ。

 

 

指人形たちも洗濯してスッキリしました。

 

 

 

 

2017.08.09

平和な現代

 

 

 

迷走台風の影響で本日は少しばかり涼しい日だった。

 

 

 

秋からの連続個展の準備に日々、全力疾走でややバテ気味。

どことなく街が静かな雰囲気。

今年のお盆休みは、企業によっては10連休だとか、ゴールデンウィークを上回る休暇をなんと名付けよう、まさしく夏のバケーション。

この頃思うのだが、日本も随分欧米化してきたなとしみじみ感じることが非常に多い。

少し前に、すべてを欧米化というひと言でツッコむお笑い芸人がいましたが、何かにつけてひとりツッコミをしている次第だ。

 

かつてはなかった、昼からアルコールを飲める昼呑みの飲食店。

イタリアのバル?

コンビニのコーヒーのクオリティが上がり、いつでもどこでも歩きコーヒーや歩きドーナツ。

ニューヨーク?

おやつ感覚のチキンナゲット。

ロサンゼルス?

喫煙者の居場所がなくなり、ビルの外の灰皿近辺でタバコ。

ロンドン?

 

以前、アムステルダムのスーパーで、現金を一切取り扱わないお店があった。

クレジット決済のみ。

初めて出くわした8年前は、その潔さに驚いたものだったが、都心部という立地ではかなり合理的でスピーディー。なるほどありだなと感心したものだったが、今はストックホルムなどでは、キャッシュレスが急速に進んでいるとか。

 

日本はいろんなものを取り入れる民族であるといわれている、いちばん核心をついている例えとしてあがるのが、神道と仏教が共存し今も日本の行事や生活に違和感なく溶け込んでいることだろうか。

 

畳の生活から、椅子の生活。

コーヒー紅茶の嗜好品から世界中の郷土料理が、食卓にあがることも珍しくもない。

ろうそくや月明かりを頼りに生活していた時代から、スイッチ1つで部屋全体が明るくなるシーリングライトの普及。そして更に進んで今は雰囲気を楽しむ間接照明だけの生活。

 

そのような異国の生活の真似事も、個人的には楽しかったりして日本の何はともあれ平和なイマに日々感謝をしている。

これもかつて日本に生きた方々の苦労と努力、夢の礎あってのこと。

 

夏の終戦記念日間近には、決まってそのようなことを思うのである。

 

平和な現代を生きていることに、今年も感謝の念を。

 

 

 

 

 

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