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2018.07.07

ありですよ?ね?

 

 

 

今週は九州にとっては悪天候の極みのような週だった。

台風一過した途端に信じられないくらいの大雨、被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。

且つ、前線は北上しており、再び勢力の強い台風が北上中で進路が気になる週明けとなりそうです。

 

予定に固執せず、安全第一で行動した方がよいようです。

 

 

 

 

 

 

さて。

外出ができない天候になり、予定を大幅に変更した1週間。

 

さあ、何を!

 

気がつけば下半期にあっという間に突入していると改めてカレンダーで気づく。

引き出しの中の書類や郵便物の整理整頓のつもりが、仕事関係の倉庫としているロッカールームの整理整頓に発展。

 

なるべく機能的で探し物の時間がないようにストック、収納を心がけてちょっとした模様替えになってしまった。

あっちで使っているチェストを空にし、こっちに移動し、このカゴにこれを入れれば、この箱は処分でスッキリする。

この引き出しは一段とってしまって、このファイルケースを入れるか。

途中、喉が渇いてきたり、お腹がすいてきたりで、あっという間の時間経過。

おかげで雨によるブルーな気分もしばし忘れられた。

 

 

部屋に新聞や読みかけの本やこれから読む本があちこちにあると、なんとなく散らかった感がある。

急な来客時にタブレットや読みかけの本などをザクザクっと入れると、あまり見苦しくないのでは?と思いつき、木工作家さんの大きなウッドボウルを使うことにした。

 

なかなか便利。

 

調子に乗ってうちわや食べかけのお菓子、なんでもかんでも入れ始めないように気をつけます。

ほほほ。

 

しかし、このウッドボウル、作家さんは何を入れることを目的に作ったとおっしゃってたかなあ。

 

大きいのよ。

文庫本が10冊近くご覧のとうり、ほんとにザクザク入ります。

 

確か、観葉植物の鉢カバーだったような…

 

ご、めんなさい。

でも、ありですよ?ね?

 

 

 

 

2018.07.02

美味しいお茶

 

 

朝礼後、給湯室でお湯を沸かし社員全員の日本茶を淹れて、カップを間違えずにお茶を配る。

お昼時、休憩時。

新入社員の第一歩。いわゆる、お茶汲み。

私が入社した会社は急成長している頃で、昭和の女性社員にはほぼ必須とされた、このお茶汲みの慣習が全くない会社だった。

日本茶を飲む社員は所長はじめ誰もおらず、コーヒーマシーンで落としたコーヒーをそれぞれが飲みたいタイミングで飲む。

そんな社風だった。

社風というよりは、始業から終業まで一日中、電話が鳴り止まない会社だったので、むしろそんなタイミングを取ることが難しかったのだ。

 

 

 

 

 

 

そして、後に全く畑違いで全く環境、時間の流れも違う今の仕事を始めた。

今から10年ほど前のこと。

あるギャラリーでの個展の折、お客様が引けたタイミングでギャラリーのオーナーさんが、お茶を淹れましょうねとにっこり笑って手を洗い始めた。

 

接客でずっと話し続けていて喉が渇いていたので、とてもありがたい頃合いだった。

 

やかんを火にかける音がした。

湯冷ましに移し替える音。

急須から器に注ぐ音。

ゆっくりと時間をかけて。

 

おまたせしました、どうぞ。

 

静かに出された日本茶。

程よい温かさがカップを通じて心の芯まで届くようだった。

 

ひとくち。

 

そのお茶の美味しかったこと。

日本茶がこんなに美味しいと心底感じたのは、実はこの時が生まれて初めてだった。

あまりにも美味しかったので、おかわりをお願いして、茶葉の銘柄を尋ねてみた。

 

にこにこしながらギャラリーのオーナーさんが答えて下さった。

実はね、隣のお茶屋さんの並のものなのよ。ごめんなさいね。

 

ああ、失礼な質問をしてしまった。

茶葉の違いじゃない。

お茶の淹れ方が素晴らしいのだ。

 

私には、こんなお茶は淹れられない。

 

その日、私は若い頃の自分を思い出していた。

 

美味しいお茶の淹れ方は、みんな、一体いつどこで学ぶものなんだろう。

美味しい日本茶の一杯も淹れられずに、こんな年齢になってしまった自分が急に恥ずかしくなった。

 

コーヒー、紅茶、とにかくちゃんとしたお茶の淹れ方をまず知ろう。

豆や茶葉を買っても、せっかく親切に書かれている美味しい淹れ方の案内もまともに読んだこともない。

知ったふりして飲んでいた嗜好品のあれこれ。

 

 

煎茶だけではなくコーヒー、紅茶、どんな飲み物にも温度管理や蒸らしのための待ちの時間が大切だと分かり、砂時計を買ったのもその頃だ。

 

その日の気温、季節、気分などで淹れられるように、それまで砂時計を使ってお茶を淹れる時間感覚が身につきますように。

 

中でも一番難しく、味の変化が楽しめ、かつ味わい深いのは、煎茶のように感じる。

私は幸か不幸かお茶汲みがない会社に勤めていたが、当時、別な会社に勤めていた友人が、お茶汲みばっかりで嫌だ。もっと仕事がしたい。と羨望まじりな愚痴を言っていた。

今、思う。

友人は、あの時もう既にきちんとしたお茶の淹れ方を学べていたのだ。

 

若い頃に経験しておくべきことが身につかないまま大人になってしまうと、自分の不甲斐なさに恥じ入りたくなるような思いに突如、直面することがある。

たとえ周囲は気にも留めないようなことであっても、これは、自分にはかなり堪える。

 

 

それでも気付いた時から、学ぶことはできる。

真似ることもできる。

詳しい方に教えを請うこともできる。

 

年を重ねるごとに、知らないことが多いことに気付かされる。

 

むしろ、知っていることの方が極々僅かなのだ。

そう思うことで、新しい知識を取り入れることも楽しむゆとりとして切り替えられる。

それに関しては、年を重ねることで得てきた生きるテクニックと言えるかもしれない。

 

美味しいお茶を、誰かのために。

一杯。

そして、いつか銘柄を尋ねられるようになる日まで。

 

 

 

 

2018.06.25

季節の花を愛でて

 

 

 

この時期は花の種類がちょいとさみしい。

たまには地味目な花も悪くない。

 

 

 

 

 

元々、来客時のためにと用意していた花も枯れかかると部屋の中が殺風景に感じてしまい、まあ、毎日晩酌をするわけでもないしと自分にもっともな言い訳をしながら、作業部屋以外の部屋やコーナーに飾るようになった。

 

飾る場所だが、どんなお家の中でもどことなく寂しげな空気を感じる場所やコーナーがあると思う。

そこに生きている花や、ベランダで育てているハーブなどを一輪挿しや使い切った香水瓶や、小さなグラスなどに挿すだけで、いきいきした空気が流れるような気がする。

そして、夜はその辺りに照明が当たるようにすると、昼間の顔と照明の光が当たった夜の顔、そして植物が床や壁に生み出すシルエットがなかなかに落ち着く。

 

一本の花でも、蕾も付いているし、葉もついている。

百合の花などは、葉脈もストライプが浮き出た模様のようで、一枚一枚の葉がくるっと捻れた表情があり、葉だけをまとめるとかなりサマになる。

一本買った百合でも二箇所に飾れるというわけだ。

せこい?

 

この時期に出回る紫陽花などは、密集している花の一部分を切って、小さなグラスに入れて洗面所やキッチンなどに小分けして飾ったりする。

やっぱりせこい?

 

ダイニングテーブルには、これからの季節には床置きしている大きめのガラスのフラワーベースを敢えて使い、座った時の目線あたりにちょうど花が来るように活けて、アクアリウムな雰囲気と涼を感じる気分を楽しんでいる。

 

ガラスのスクエアフラワーベースには、夏には形の良い石を詰めてその隙間に試験管に挿した一輪の花を石の後ろから覗かせる。

秋には小さなコップに活けた花をコップごとガラスのフラワーベースに入れて、その周りに公園でいいあんばいに紅葉した枯葉をかき集めてきて、ぎゅうぎゅうに詰めたりすることで、額装した絵のような味わいを得られる。

 

 

まあ、華道やアレンジをされていっらしゃる方々にしてみれば、ひょっとしたら当たり前や基本のことなのかもしれない。

それでも、毎日、だんだん短くなった花をあっちにこっちにと移動させながら飾っているうちに、自分なりのちょっとした思いつきや発見学習が妙に嬉しかったり、楽しかったりするのである。

 

最初のうちはフラワーベースもそんないくつもいらないかもと思っていたが、花はそれぞれ色や形、バランスが違っている。

やはりいろんな口の広さや大きさ、高さ、素材、色、のものたちがあることで随分と楽しめるものだということも分かってきた。

勿論、食器でも代用できる。

そうか、結局、アクセサリーと同じなんだ。

どのお洋服にも合うというアクセサリーは、やっぱりありえないわけで、形状シルエット、色、質感、季節、そして花そのものつまりその方の持つ雰囲気とのバランス。

加えて人には、刻一刻と変化する心が求めるものというものがある。

 

花を飾るようになったことも、なりゆきではないように思えてしまう。

常々、デザインはどこからいつ生まれるかといういろんな方々の問いに対して、生活、生きる時間すべてと答えている自分。

改めて気付きがもたらされる。

 

ただ、花の名前はあまりにも多すぎてなかなか一度聞いただけでは覚えられない、という残念なワタシ。

 

行きつけの花屋さんが根気強く花名を教えていただくので、とても感謝している。

 

庭を望めない街中のマンション住まいの方は、行きつけの花屋さんを作ると生活がとても変わるように思います。

個人的な意見だが、お花屋さんの店構えも気になるでしょうが、何よりも花の鮮度を大切にした仕入れをされているお花屋さんを選ぶことだと思います。

 

私がここに越してきてからずっとお世話になっているお花屋さんは、花*花さんです。

勿論、鮮度もよく、バリエーションも豊富で、センスもよい!

そして、オーナーのにっこにこの笑顔も大好き!

いつもありがとう!!!

 

また来週行くけんねっ。

 

 

 

 

 

2018.06.17

レモンイエロー

 

 

広島産無農薬の見事なレモンが届いた。

友人の友人の嫁ぎ先が農家であり、どうしようもないくらいなってしまうみかんやレモンを定期的に送ってくださるらしい。

それを、千葉在住の友人が私にも分けてくださるのです。

つまり、広島から千葉経由で福岡に届いたレモンたちなのです。

送って下さる千葉の友人もそうですが、直接お会いしたことのないご友人にもこの場を借りて改めて感謝です。

 

 

 

 

 

レモンは常備しておくとかなり便利。

しかし、無農薬国産となると殆ど手に入れられないから重宝ものだ。

 

レモンジャムやレモンピール、レモン酒、安心して皮も楽しめるのが醍醐味。

折にふれ私にも送ってくださるので、レモンを使ったいろんなメニューにずいぶんとチャレンジさせて貰っている。

 

レモンジャムは砂糖をかなり控えて作り、薄くカットしたカマンベールチーズの上に乗せると、梅雨の時期のジメジメした気候の夜には、キリッと冷えた白ワインや日本酒と相性がよい。

for a change!

まさに気分転換な味だ。

 

枝付きのレモン。

今回はガラスの大きなフラワーベースにザクザクと入れて、ほのかな香りと色、食す前に目と鼻でも十分に愉しんだ。

 

 

レモンイエロー。

元気になる色だ。

 

 

見よ!市販のレモンとのこの差。

 

 

 

 

でかかあぁ〜!!!

 

今回は、レモンピールとレモンシロップに変身して貰いました。

 

 

 

 

 

2018.06.11

青い風

 

 

 

梅雨の晴れ間。

この時期の風はどことなく冷たさがある。

身体を通り抜けて心に届くとき、きゅっと音が鳴る。

日々夏へと向かうのでこの風を感じる日はとても少ない。

若い頃には感じ得なかったが、きゅっと音が聞こえるようになってからとても好きになった。

 

秋にも似たような風があるが、私には違う音に聞こえる。

 

 

 

 

 

 

 

早朝ヨガクラスを受けたあと大通りへ出ると、街路樹がシャラシャラと唄い心地よい疲れの身体をかすめてゆく。

青い風。

 

梅の季節だなあ。

そんなことを思いながら横断歩道を渡り、老舗和菓子屋の前を通ったら翡翠のような青梅の和菓子がひときわ目を引き、思わず立ち止まり気がつくと財布を取り出していた。

 

帰宅すると、家中の窓を開け放つ。

外で感じる青い風は家の中では感じにくいけれども、空気が流れてゆく気配は気持ちまでもが浄化されるようだ。

梅雨の晴れ間の貴重な時間。

 

 

青梅の色と形があまりにもきれいなので、早々に食べるのがなんだかためらわれ、思わず写真を撮った。

 

いっぷく。

 

ほどなく余韻に浸っていると、インターホンが鳴った。

 

友人からの贈り物。

箱を開けると、こぶりだけどぷりぷりっに元気な青梅だった。

 

青梅頂いたのでおすそ分け。私は梅シロップを作りました。

 

青梅の香りに包まれた友人の一筆箋。

 

食器棚の上の果実酒コーナーの保存瓶たちを見上げる。

保存瓶がひとつ遊んでいるのを確認すると、ジンで青梅酒を仕込んだ。

果実酒瓶の陳列している様は、なかなかに気分よい。

 

そして、ふたたびいっぷく。

 

今度は、メールの新着音が鳴った。

 

開くと、別な友人からのメールだった。

 

主人の実家の梅がたくさんなったので、今年も梅をブランデーで漬け込みます。去年あげたやつお口にあったならまた送るよ。

 

偶然は重なるものだ。

青梅大集合な一日だった。

 

きゅっと青い風。

梅雨の晴れ間の爽風。

こんな貴重な1日があるから、まとわりつくような湿気の時期も趣ある季節になるものである。

 

 

 

 

 

 

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