2018.06.25
季節の花を愛でて
この時期は花の種類がちょいとさみしい。
たまには地味目な花も悪くない。
元々、来客時のためにと用意していた花も枯れかかると部屋の中が殺風景に感じてしまい、まあ、毎日晩酌をするわけでもないしと自分にもっともな言い訳をしながら、作業部屋以外の部屋やコーナーに飾るようになった。
飾る場所だが、どんなお家の中でもどことなく寂しげな空気を感じる場所やコーナーがあると思う。
そこに生きている花や、ベランダで育てているハーブなどを一輪挿しや使い切った香水瓶や、小さなグラスなどに挿すだけで、いきいきした空気が流れるような気がする。
そして、夜はその辺りに照明が当たるようにすると、昼間の顔と照明の光が当たった夜の顔、そして植物が床や壁に生み出すシルエットがなかなかに落ち着く。
一本の花でも、蕾も付いているし、葉もついている。
百合の花などは、葉脈もストライプが浮き出た模様のようで、一枚一枚の葉がくるっと捻れた表情があり、葉だけをまとめるとかなりサマになる。
一本買った百合でも二箇所に飾れるというわけだ。
せこい?
この時期に出回る紫陽花などは、密集している花の一部分を切って、小さなグラスに入れて洗面所やキッチンなどに小分けして飾ったりする。
やっぱりせこい?
ダイニングテーブルには、これからの季節には床置きしている大きめのガラスのフラワーベースを敢えて使い、座った時の目線あたりにちょうど花が来るように活けて、アクアリウムな雰囲気と涼を感じる気分を楽しんでいる。
ガラスのスクエアフラワーベースには、夏には形の良い石を詰めてその隙間に試験管に挿した一輪の花を石の後ろから覗かせる。
秋には小さなコップに活けた花をコップごとガラスのフラワーベースに入れて、その周りに公園でいいあんばいに紅葉した枯葉をかき集めてきて、ぎゅうぎゅうに詰めたりすることで、額装した絵のような味わいを得られる。
まあ、華道やアレンジをされていっらしゃる方々にしてみれば、ひょっとしたら当たり前や基本のことなのかもしれない。
それでも、毎日、だんだん短くなった花をあっちにこっちにと移動させながら飾っているうちに、自分なりのちょっとした思いつきや発見学習が妙に嬉しかったり、楽しかったりするのである。
最初のうちはフラワーベースもそんないくつもいらないかもと思っていたが、花はそれぞれ色や形、バランスが違っている。
やはりいろんな口の広さや大きさ、高さ、素材、色、のものたちがあることで随分と楽しめるものだということも分かってきた。
勿論、食器でも代用できる。
そうか、結局、アクセサリーと同じなんだ。
どのお洋服にも合うというアクセサリーは、やっぱりありえないわけで、形状シルエット、色、質感、季節、そして花そのものつまりその方の持つ雰囲気とのバランス。
加えて人には、刻一刻と変化する心が求めるものというものがある。
花を飾るようになったことも、なりゆきではないように思えてしまう。
常々、デザインはどこからいつ生まれるかといういろんな方々の問いに対して、生活、生きる時間すべてと答えている自分。
改めて気付きがもたらされる。
ただ、花の名前はあまりにも多すぎてなかなか一度聞いただけでは覚えられない、という残念なワタシ。
行きつけの花屋さんが根気強く花名を教えていただくので、とても感謝している。
庭を望めない街中のマンション住まいの方は、行きつけの花屋さんを作ると生活がとても変わるように思います。
個人的な意見だが、お花屋さんの店構えも気になるでしょうが、何よりも花の鮮度を大切にした仕入れをされているお花屋さんを選ぶことだと思います。
私がここに越してきてからずっとお世話になっているお花屋さんは、花*花さんです。
勿論、鮮度もよく、バリエーションも豊富で、センスもよい!
そして、オーナーのにっこにこの笑顔も大好き!
いつもありがとう!!!
また来週行くけんねっ。