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2016.05.23

バカンスピクチャー!!ハンガリー編!

 

 

 

 

チューリッヒからウィーンへと飛んだ。

今回はウィーンがメイン。7カ国ほど隣接している地理が魅力的で、滞在を長めにとった。気が向けばお隣のどこかの国に足を延ばせる。選択肢は7つだ。

選ばれたのは、ハンガリー。荷物はホテルに置いたままブダペストへと一泊2日でエクスカージョンの旅へ出ることにした。

急遽ネットで宿の予約をして、列車のチケットを買いに出かけた。

 

 

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ドナウの真珠と言われる街自体が世界遺産に登録されているというブダペスト。

ずっと行きたいと思っていた街だ。

起伏に富み緑が多い山の裾野には閑静な住宅街が広がるブダ地区。

商業地帯、官庁、劇場が並ぶ平坦なペスト地区をはさんで南北にドナウ川が流れる。そしてそれらをつなぐくさり橋。

この橋はロンドンのテムズ河の建設と同じ方の建設らしい。

橋の向こうには王宮の丘。

 

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夜のライトアップされた景色も美しい。

 

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ハンガリー帝国の都としてブダ地区に城が建設されたのは13世紀。

その後、オスマン帝国の侵攻、ハプスブルク家の支配が繰り返され苦難の歴史を乗り越え、2つの街をつなぐくさり橋が完成されたのは1849年。

 

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ブダペストのこれまでにない蒼く深い夜は忘れられない景色のひとつとなった。

 

 

 

2016.05.23

バカンスピクチャー!!スイス編!

 

 

 

 

 

昨日、バカンスより帰国。

ここのところずっと一人旅だったが、今回は10年ぶりの親友との旅。てんこ盛りに楽しかった!!

訪れたのは、スイス、ハンガリー、オーストリア。

 

それでは早速おすそ分けな写真たちを。

 

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まずは、スイス、チューリッヒ。

 

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チューリッヒ湖で釣りをする女性。

 

ショートステイしたチューリッヒはまだ肌寒かったが、チューリッヒ湖クルーズを楽しんだ。湖のほとりにはヨット付きの別荘がずらりと並びます。スイスは、敬虔なクリスチャンが多い。日曜日には朝9時半頃から教会の鐘が街中に鳴り響き日曜礼拝へと促します。

鐘は10時の音で鳴り終わる。

どんなに目ぬき通りの観光客相手のお店やカフェであっても、日曜日はお休みです。徹底してます。

日曜の静かな街を散策するのもなかなか風情があった。

 

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夜はご多分にもれずのチーズフォンデュ。お店の外までチーズと白ワインのブレンドした匂いがたちこめていた。

 

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雨に濡れた石畳と街灯がロマンティックだった。

 

 

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公園にあるル・コルビジェハウス。

 

 

のんびりと公園をぶらぶら。新緑と芝生が美しい。

ゴミひとつ落ちていない住民のマナーと管理力に感服。

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2016.05.08

ひとり遊びの時間

 

 

今年はなんとなくカレンダーに沿った休日というものをとってみた。

 

5月は湿度も少なく、気温も心地よく、風もそよぐし、移り変わる時間の空も奇麗。

1日は、徹底した大掃除をやった。

1日は、お菓子やジャム、保存用ハーブや香辛料、ふりかけつくりにチャレンジした。

そして、2日ほど仕事。

もう一日は、休日メニューのヨガクラスに行き、友人の誕生日だったので、我が家で食事会。

今回、一番はまってしまったのが刺し子。

 

 

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刺し子でおしぼり作り。

もともとは東北の方で農作業着に施す刺繍のひとつとして生まれた刺し子。

現在のように丈夫な布がなかったために、麻や綿に刺繍を施し布の強度をあげることや防寒がそもそもの目的であったらしい。

農作業をする女性たちは、いろんな模様を施して自分だけの農作業着として楽しんでいたようだ。

 

日本人は古くから、こうやって日々の生活の中から必要と楽しみがひとつになり、芸に発展させていったものが多い。

さかのぼること縄文時代の縄文土器は、近代芸術をはるかにしのぐ素晴らしさだ。

 

 

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ねばり強さがない私は、小さなサイズでいろんな文様にチャレンジ。

こちらは、お茶用のちっちゃなおしぼり。

 

最初は、その文様がどのようにして生まれるのかがほとんど検討がつかなかったが、刺し子には基本のルールがあるということがなんとなくわかり、何度かやるうちに新しい柄も一本の糸を刺す順番がなんとなく見えてくる。

 

やってみる前は、とても複雑に考えていた。

この文様を出すには、裏はぐちゃぐちゃになるんじゃないか。

だまし絵を見ているような気分。

できるのか?私に。

しかし、ひとたびコツをつかむと文様が浮き出てくる。

これは、ものの考え方にも通じるかもしれないなあ。とちくちくな時間を楽しんだ。

 

 

チャレンジした文様。

上から順に。

クロスつなぎ。

金平糖。

柿の花。

干し網。

沙綾型。

丸毘沙門。

角亀甲つなぎ。

 

 

さて。

ゴールデンな休日は、実はまだ続きまして今週よりバカンスのためブログはしばらくお休みです。

お問合せなど返信がしばらく遅くなることを予めご了承くださいませ。

 

では、行って参るのです。

帰国後、張り切って写真アップいたします!!

アウフヴィーダーゼン!

 

 

 

 

 

 

 

2016.05.04

言葉の向こう岸

 

 

クラシック音楽を楽しむという入り口に立ったのは、つい6年ほど前。

幸運にもいろんなアドバイスや予備知識を貰える指南者が、近くに居たことがきっかけで加速的に楽しみのボリュームが増した。

中でもバイオリンを意識的にあれこれと聴いている。

 

shostako

 

先日、3才からバイオリンを始めオーケストラのメンバーとして演奏していたという鹿児島のお客様が、お勧めのバイオリニストを教えてくださった。

ロシアの若手バイオリニスト。

マキシム・ヴェンゲーロフ。

 

さすが元バイオリニストがお勧めして頂いただけあってどれも素晴らしかった。

とりわけ強烈だったのが、1940年代後半に作曲された巨匠ショスタコーヴィッチのバイオリンコンチェルト第1番の3楽章。

私は、この楽章を聞きながら、あまりに胸を透くような音に体中の細胞が熱くなり、しまいには涙がこみあげてきた。

恐ろしすぎる。

もはやそれは音ではなく、声や言葉の向こう岸を越え、更には想念となってどこまでも天へ天へと続いていく。

それは、ひとりの言葉や想念ではなく、多くの共感者たちを引き連れて光となって天へと昇り続けていくようだった。

その光景までもがまるで見えるようだった。

なんという表現だろう。

 

 

感激のあまり、興奮さめやらぬ思いをご紹介頂いたお客様にメールをつらつらと打たずににはいられなかった。それだけではまだ消化できずに、クラシックを聴く友人たちを捕まえては盛り上がっていた。挙句、ブログにも書こうというしつこさ。

 

クラシックビギナーである私には、なかなか難解な不協和音が主体となったショスタコーヴィッチやプロコフィエフ、バルトーク。

ここは近づきたいという意志とは裏腹に、自分なりの明快な良さというものを見出せず、気が付いたら遠ざけている界隈。

しかし、心の底から作曲家ショスタコーヴィッチの恐ろしいほどの巨匠さを思い知ることになった。

きっかけとなったのは、演奏家マキシム・ヴェンゲーロフ。

元バイオリニストであるお客様にこのうえなく感謝感謝。感謝至極。

 

少し前に観たノンフィクション映画「ブリッジ・オブ・スパイ」の中でも、ショスタコのバイオリンコンチェルト第1番のこの3楽章がラジオから流れるシーンがあった。そして、ショスタコの音楽が当時のソ連の国民の支えであったことがセリフの中にも含まれていた。

 

私は、当時の弾圧された政治背景や、激動のユーラシア大陸の歴史は、教科書程度しか知らない。

一流の芸術家たちは、無知なものにも頭脳に呼びかける理解さではなく、もっと肉迫たる直接的な表現力を持っている。

限られた人たちのために恭しく鎮座しているのものが芸術ではなく、如何なるものにも生身の平等さでおおらかに在る。

それが真の芸術の居場所。

 

なのではないか。

 

と、いうことで本日も早々に仕事を終えて、白昼堂々の赤ワインなどを片手に、大音量にしてヘッドフォンでベランダから青空を眺めながらしみじみと聴くのです。

あ。画像はショスタコのアルバムですが、マキシムの演奏アルバムではないですので。

今月は、マキシムの来日コンサートの予定があるらしいです。

なかなか九州までやってきません。

 

そこは、九州で最も大きな街だというのに非常に辛い事実なのです。

 

 

 

 

 

2016.05.01

仕事観

 

 

5月1日。

本日は素晴らしい皐月の陽気だった。

 

先日、人生の再出発を始めることになった知人に、これからの参考にしたいと、これまで経験した仕事についてあれこれと尋ねられた。

若い時分から仕事は一生続けたいと決めていたので、当時から真剣に一生続けられる仕事を探し求めていた。語るほどの経験ではなかったが、思わず熱く語ってしまった。

と、同時に、他人に話すことで自分のこれまでと自分自身について少し整理する機会を貰い、逆に有難い質問という形になった。

 

 

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模様替えの好きだった母親の影響か、いつしかインテリアに興味をもつようになった。

就職活動では、航空会社で働きたいという願望からあっさり落第し、脇道にそれ、結局、旅行会社に就職した。それでもずっと気になっていたので、後に思い切ってインテリア会社に転職した。25歳の時だった。

 

しかし、勤めだしてすぐに大きな問題が自分の中に立ちはだかり、思いは打ちのめされた。

商談を進める相手はエンドユーザーであり、お金を実際に出すクライアントだ。

提案はあくまでも提案であって、最終的に決定権はクライアントにある。そこにたちはだかるものは、クライアントの嗜好というものが絶対である。クライアントの嗜好を満足させることがいい仕事として評価される。たとえ、どんなに納得がいかなくとも、それがよしなのだ。

 

この部分に、どうしても馴染めなかった。

何かしらの違和感がつきまとっていた。

正体不明の違和感。

ずっと興味はあったが、自分には向かない仕事だとよく理解できた。

 

そうこうしているうちに、自分がつけるためのアクセサリーを自分で作り始めた。身につけていたものを見た自分の全く知らない方が、買いたいと言ってくださった。衝撃的だった。雑誌で見かけるような有名なブランドやメーカーしか、モノを売ってはいけないと思っていたからだ。

どこに行けば買えるのかと尋ねられるようになった。

うちのお店で委託販売をしてみませんか。という話を貰った。

うちで個展をしてみませんか。と言われる方に出会った。

右も左も分からなかったが、作りたいという気持ちのままに時間を費やし、お金を費やし、更に時間を費やし、お金を費やし、気がつくと仕事になっていた。

 

インテリアの仕事を通して違和感を感じたもの。

今は、その正体が分かる。

 

自分にとって、発信の仕方が重要だったのだ。

自分を少しでも満足させる仕事、それでいて自分がした仕事に対して喜んでお金を払って下さる方々が存在し、その方々はこれまで出会わなかった自分の全く知らない方々であること。

発信する自分と受信する他人との一体感が欲しかったのだ。

 

今は、自分の住まう空間に自分の思うように手をかけながら暮らしている。かつてのインテリアの仕事への憧れを自分の部屋で十分消化している。消化というよりは、むしろ今の仕事への肥やしとなっている。

結局、人は自分が本当に望むことをして生きていくものなのだと思う。

真に望むことでなければ、長続きはしない。

 

 

どんな仕事にも、上下はない。

自分の満足感が得られなければ、他人への満足感も与えることは難しいだろう。

感謝の念がなければ、感謝されることも減ってゆくだろう。

自利利他。

仏教のこの言葉は、生きるそのものの基本を伝えているのだと、今更ながらに深く感銘している次第だ。

 

 

 

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