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2016.05.04

言葉の向こう岸

 

 

クラシック音楽を楽しむという入り口に立ったのは、つい6年ほど前。

幸運にもいろんなアドバイスや予備知識を貰える指南者が、近くに居たことがきっかけで加速的に楽しみのボリュームが増した。

中でもバイオリンを意識的にあれこれと聴いている。

 

shostako

 

先日、3才からバイオリンを始めオーケストラのメンバーとして演奏していたという鹿児島のお客様が、お勧めのバイオリニストを教えてくださった。

ロシアの若手バイオリニスト。

マキシム・ヴェンゲーロフ。

 

さすが元バイオリニストがお勧めして頂いただけあってどれも素晴らしかった。

とりわけ強烈だったのが、1940年代後半に作曲された巨匠ショスタコーヴィッチのバイオリンコンチェルト第1番の3楽章。

私は、この楽章を聞きながら、あまりに胸を透くような音に体中の細胞が熱くなり、しまいには涙がこみあげてきた。

恐ろしすぎる。

もはやそれは音ではなく、声や言葉の向こう岸を越え、更には想念となってどこまでも天へ天へと続いていく。

それは、ひとりの言葉や想念ではなく、多くの共感者たちを引き連れて光となって天へと昇り続けていくようだった。

その光景までもがまるで見えるようだった。

なんという表現だろう。

 

 

感激のあまり、興奮さめやらぬ思いをご紹介頂いたお客様にメールをつらつらと打たずににはいられなかった。それだけではまだ消化できずに、クラシックを聴く友人たちを捕まえては盛り上がっていた。挙句、ブログにも書こうというしつこさ。

 

クラシックビギナーである私には、なかなか難解な不協和音が主体となったショスタコーヴィッチやプロコフィエフ、バルトーク。

ここは近づきたいという意志とは裏腹に、自分なりの明快な良さというものを見出せず、気が付いたら遠ざけている界隈。

しかし、心の底から作曲家ショスタコーヴィッチの恐ろしいほどの巨匠さを思い知ることになった。

きっかけとなったのは、演奏家マキシム・ヴェンゲーロフ。

元バイオリニストであるお客様にこのうえなく感謝感謝。感謝至極。

 

少し前に観たノンフィクション映画「ブリッジ・オブ・スパイ」の中でも、ショスタコのバイオリンコンチェルト第1番のこの3楽章がラジオから流れるシーンがあった。そして、ショスタコの音楽が当時のソ連の国民の支えであったことがセリフの中にも含まれていた。

 

私は、当時の弾圧された政治背景や、激動のユーラシア大陸の歴史は、教科書程度しか知らない。

一流の芸術家たちは、無知なものにも頭脳に呼びかける理解さではなく、もっと肉迫たる直接的な表現力を持っている。

限られた人たちのために恭しく鎮座しているのものが芸術ではなく、如何なるものにも生身の平等さでおおらかに在る。

それが真の芸術の居場所。

 

なのではないか。

 

と、いうことで本日も早々に仕事を終えて、白昼堂々の赤ワインなどを片手に、大音量にしてヘッドフォンでベランダから青空を眺めながらしみじみと聴くのです。

あ。画像はショスタコのアルバムですが、マキシムの演奏アルバムではないですので。

今月は、マキシムの来日コンサートの予定があるらしいです。

なかなか九州までやってきません。

 

そこは、九州で最も大きな街だというのに非常に辛い事実なのです。

 

 

 

 

 

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