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2017.07.16

心の入った手仕事

 

 

毎日、ぐったりなるほど暑い。

毎年のことながら、ぐっしょり汗をかきながら制作をしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

毎日、二回のシャワーと一回のバスタイム。

仕事を終え汗を洗い流し、エアコンの効いた部屋で過ごす時、ああ、今日も充実した1日を過ごせたと、充足感が体中をめぐる。

 

こういう瞬間、やはり白い花やさわやかなグリーンが室内にあるだけで、涼し気な気持ちになり心底リラックスする。

 

 

これは、山梨のガラス作家さんのテトラというタイトルの花器。

一目惚れだった。

ところどころを模様のようにクリアーに磨きをかけてあり、この季節に見ると水中の茎の部分が風に揺れているように見え、なんともいえない涼感を得られる。

 

目の前をさわさわと風が通り過ぎていくような感覚になる。

 

冬は冬で、雪でけむる空の下にキリッと咲いているように見える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花器は好きで、卓上の小さなものから、窓辺に置ける大きさ、床置きほどの大きさと気がつけばちょっとしたコレクション?というくらい集まってしまった。

 

どんなにフォルムが気に入っても花を挿し込む口の部分が程よい細さ加減でなければ、花を美しい姿でさすことができない。

花器の中に収まる茎の先端のスペースもいい塩梅に確保されそうか。

その時の花の角度が複数とれるなら尚良し。

 

買いあつめながら失敗しつつ、自分なりのポイントをやっと心得て判断できるようになってきた。

 

この花器は、作品のディスプレイとしても重宝するだろうと即決した。

ボディに見立てて、ほっそりとした首の部分にチョーカーを展示したり、ブレスレットを何連も展示したり。

 

いつも思うのだが、クリエイターの作ったものは、用途がひとつではおさまらない表情がある。

 

 

常に使い手に語りかけてくれてる。

 

それが、心の入った手仕事である証しなのだと思っている。

 

 

自分の作ったものも、そんな風に誰かの元で時におしゃべりしてほしいものだ。

 

 

 

 

 

2017.07.10

自家製の食卓

 

 

 

先週土曜日をもちまして、北九州個展が無事に終了いたしました。

北九州でもかなりの雨量だったようですがどしゃ降りの中、遠方県外よりお越し頂けたお客様もいらっしゃったということで、心より感謝申し上げます。

今回、実際にお会いできなかった方々も、いつかどこかでお会いできる日もとても楽しみに致しております。

 

 

 

 

 

 

 

 

閑話休題。

 

先月、個人的に親しくさせて頂いているギャラリーオーナーさんと、毎年恒例となってきました梅狩りに佐賀へ行き梅ジュースを漬け込み中。

この頃、自家製にはまっている。

きっかけはあるレシピ本との出会い。

新生姜のハチミツレモン漬けや昆布の佃煮、オレンジピール、季節の果物のジャムなどは、最低でも3種類は常備。

やりだしたら楽しくて、粒マスタードやケチャップ、マヨネーズ、白花豆の白餡、マグロのオイル漬けいわゆるシーチキンなどなど。

自家製というだけでおいしく感じる。

そのおいしいというのも自分基準なのだが。

まあ、それでいいのだろう。

 

週に一度3種類ほどのスープストックをまとめて作っているのだが、季節の野菜のコンビネーションと彩り、食感を考えるのが気分転換になり、八百屋さんでの食材探しが楽しくなった。

 

今は、お金を払えば、便利で珍しい輸入調味料や保存食が1年中手に入る。

美味しいのだが、何かが違う。

どこかホッとしないのだ。

おそらく微妙に自分好みの味付けでないからかもしれない。

貸し衣裳を着て生活しているような感覚といえば良いだろうか。

 

 

できる範囲で自家製を目指している。

母親がそのような食卓をつとめていたことを舌が記憶しているのだろう。

 

作ってみて驚くことが多い。

思う以上に砂糖の多さや防腐剤の存在、それらは販売するにあたってはどうしてもやむを得ないものであることも事実だ。

 

あまりに神経質になり、あれはダメ、これでなければ、というのは息がつまり長続きせず性に合わないので、

ほどほどに!

を、モットーにあれこれ自家製にチャレンジ中。

料理の過程に起きる食材の色の変化や、形の変化、盛り付けなど、作る人にしか見せてくれない食材のストーリーを味わうことが独り占めできる。これは、料理の醍醐味のひとつではないだろうか。

それら全てを愉しむ。が、何よりも身体が一番おいしいと感じてくれる。

 

そうやっていろんな保存瓶が並ぶ様を眺めながら、ひとり悦に入っているのだ。

 

漬け込み中の完熟梅のエキス、なんとも綺麗な色ですよね。

夏が終わり秋へと向かう夕刻。

沈みきった夕陽が名残惜しく空を染めているような色だ。

 

まだ、夏も来てませんが。

 

 

 

2017.07.03

北九州個展の様子!!

 

 

1日から始まっております北九州での個展に行って参りました。

 

では早速一緒に伺ってみましょう。

森の小道のアプローチがとっても素敵なギャラリー、さん手さんです。

 

 

 

 

 

小さな看板が案内してくださいます。

左ですね。

 

 

 

 

 

 

 

あ!モンシロチョウ!

 

 

 

懐かしい匂い。

あ、建物らしき影が見えてきた!

 

 

 

 

 

いらっしゃいませ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

梅雨とはいえ、雨には降られずのスタートでしたが、かなり蒸し暑い天気でした。

 

初日には、なんと北九州在住のサラリーマン時代の同僚が突然現れ、15年ぶり以上の再会にとても感激しました。

住所がわからなくなってしまってずいぶんと音信不通だったのですが、私のブログを定期的に見てくれていたらしく、私の個展が北九州地元であると知り、

超多忙な中、なんとか時間を作って来てくれました!

お客様との出会いもとてもうれしいのですが、こんな再会がこの仕事を始めてからしばしばあり、こんな便利な発信ツールがあるおかげでしばらく会えなくても会っているような気持になる。

遠くても近い。

そんな時代になりました。

 

ありがたさと嬉しさでいっぱいのサプライズで始まった北九州での個展となりました。

遠くよりお見えになったお客様方にも改めてお礼申し上げます。

 

 

 

 

 

会期は8日まで。

ぜひ、お運びくださいませ。

ギャラリーから見えるお庭は、ついつい長居してしまいます。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

2017.06.27

北九州個展の案内は、ふたつ戻ってね!

 

 

現代は、モニターを見ることを免れる仕事はとても少ない。電磁波が体に与える負担はやはり相当なもののようで、目や肩、首のダメージを抱えた方々はとても多いようだ。

 

 

 

 

 

 

 

その証拠に私が住む街には、指圧、整体、マッサージ、ピラティス、ヨガ、スポーツジム、ストレッチ、パーソナルトレーニングジム、このような類の看板を100メートルおきくらいに目にする。

 

粉飾気味な話では決してない。

全国でも福岡は街の規模に対して圧倒的に多いと言われているコンビニ。そのコンビニより我が街にはそれらが多く点在している。

しかも、それらの看板が新しく変わることはなく、その数はむしろ増えているのだから、いかに皆さんが病んでいるのかということだ。

 

 

 

 

 

なるべく体を動かしたり、規則正しい生活をすることを心掛けているのだが、ヨガのクラスで得た豆知識を元にマッサージで滞った血流を整えているつもり。の時間が入浴後の日課なっている。

活躍しているのが、マッサージウッド。

女性の手の大きさにちょうどフィットして、かなり気持ちよい。

まるで赤ん坊のガラガラのように、片手に握ったまま本を読んだり、音楽聴いたり、温かい飲み物を飲んだり。

ころころと転がしているだけで、安心する。

先日など、持ったままうとうとしていた。

 

 

身体は素直にメッセージを送っているのです。

現代の病める皆さま、どうぞご自分に適したリラックスタイムを確保してくださいませ。

 

 

というわけで、明日明後日は、北九州個展前のしばしのリラックスタイムに充てようと思います。

そして、チャージフルにして、北九州個展に臨みます!!

 

 

 

 

2017.06.20

北九州個展の案内は、ひとつ戻ってね!

 

 

節目の年齢となったこともあり、中学、高校と同窓会の知らせが連日して届いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

転勤の多い父親の仕事の関係で縁もゆかりもない土地で、私は、中学、高校時代を過ごした。

いわゆる転校生として誰も知らない学校にやってきたのが中学2年生だった。

この年齢になると思うのだが、とっても狭い世界で生きているのが学生というものだ。

当然だ。10年ちょっとしか生きていないのだから。

そんな中でも各々の個性や人となりという根っこの部分が、仕上がってくるのがこの期間ではないだろうか。

 

案内の中に書かれた役員メンバーの中に、当時、親しくさせて貰っていた方の名前があった。

名前を見た途端、私は中学生の私に戻っていた。

笑い出したら止まらなくなり、何がそんなにおかしかったのかと思い出せないこと自体が、更に可笑しくなって、お腹がよじれる位大笑いしたことや、港近くの彼女の家へと下る坂道から見えた海、嫌なこと、落ち込んでいることを打ち明けたら、話終わるまで黙って聞いてくれ、大丈夫よ。気にしない!気にしない!

お母さんみたいな優しい言葉をかけてくれたこと。

授業中にくだらないことを書いて回したメモを、教科書の陰に隠しながらこっそり読んで、くすくす笑う彼女の横顔。

スポーツ万能で必ず優秀な成績を出していたのに、いつも控えめな態度の彼女。

 

とても懐かしく、出欠の返信ハガキの備考欄に彼女宛のメッセージを記入した。

昨日、彼女からお便りが届いた。

懐かしい彼女の文字だった。

とっても嬉しかった。

 

私は、転校生だったので、その土地にはもう帰る家がない。

小さい頃から、引越しを重ねていたので、幼なじみという存在と関係を知らない。

これまで過ごしたいろんな街で親しくさせて貰ってた人たちの顔が途端に浮かび始めた。

 

 

躾は、親、兄姉、親戚縁者によるもの。

知識は、生きている限り努力を続け得てゆく本人によるもの。

学校では大きな社会に出る前の予行演習。

コミュニティにおいてのルールの中で自分と違う他人の存在を認め、人間の尊厳というものを知る。

そして、大きな社会の中では全くの他人様を通して学校生活で得たことに更に厚みをかけ、人としての品性を養い、自他ともに認めあい社会に少しでも役立つ存在となることで、学ばせて貰った社会に恩返しをしてゆく。

なんとも偉そうなことを書いたが、

できているかどうかは別として、そんな風に思っている。

 

 

生きている時間は、どの時間も一様に大切である。

その大切さに気づくのが、いつも渦中の時を過ぎた時である。

それが、人間の脳が持ち合わせた愚かな忘却のメカニズムである反面、生きている限り何度も与えられる希望という新しい時間なのかもしれない。

誰にでも平等に与えられる優しい時間とも言えるのだろう。

 

お便りありがとう!Hさん。

でも、お返事書きたいのに住所書いてなかったよ。

 

 

 

 

 

 

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