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Daily blog

2016.05.01

仕事観

 

 

5月1日。

本日は素晴らしい皐月の陽気だった。

 

先日、人生の再出発を始めることになった知人に、これからの参考にしたいと、これまで経験した仕事についてあれこれと尋ねられた。

若い時分から仕事は一生続けたいと決めていたので、当時から真剣に一生続けられる仕事を探し求めていた。語るほどの経験ではなかったが、思わず熱く語ってしまった。

と、同時に、他人に話すことで自分のこれまでと自分自身について少し整理する機会を貰い、逆に有難い質問という形になった。

 

 

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模様替えの好きだった母親の影響か、いつしかインテリアに興味をもつようになった。

就職活動では、航空会社で働きたいという願望からあっさり落第し、脇道にそれ、結局、旅行会社に就職した。それでもずっと気になっていたので、後に思い切ってインテリア会社に転職した。25歳の時だった。

 

しかし、勤めだしてすぐに大きな問題が自分の中に立ちはだかり、思いは打ちのめされた。

商談を進める相手はエンドユーザーであり、お金を実際に出すクライアントだ。

提案はあくまでも提案であって、最終的に決定権はクライアントにある。そこにたちはだかるものは、クライアントの嗜好というものが絶対である。クライアントの嗜好を満足させることがいい仕事として評価される。たとえ、どんなに納得がいかなくとも、それがよしなのだ。

 

この部分に、どうしても馴染めなかった。

何かしらの違和感がつきまとっていた。

正体不明の違和感。

ずっと興味はあったが、自分には向かない仕事だとよく理解できた。

 

そうこうしているうちに、自分がつけるためのアクセサリーを自分で作り始めた。身につけていたものを見た自分の全く知らない方が、買いたいと言ってくださった。衝撃的だった。雑誌で見かけるような有名なブランドやメーカーしか、モノを売ってはいけないと思っていたからだ。

どこに行けば買えるのかと尋ねられるようになった。

うちのお店で委託販売をしてみませんか。という話を貰った。

うちで個展をしてみませんか。と言われる方に出会った。

右も左も分からなかったが、作りたいという気持ちのままに時間を費やし、お金を費やし、更に時間を費やし、お金を費やし、気がつくと仕事になっていた。

 

インテリアの仕事を通して違和感を感じたもの。

今は、その正体が分かる。

 

自分にとって、発信の仕方が重要だったのだ。

自分を少しでも満足させる仕事、それでいて自分がした仕事に対して喜んでお金を払って下さる方々が存在し、その方々はこれまで出会わなかった自分の全く知らない方々であること。

発信する自分と受信する他人との一体感が欲しかったのだ。

 

今は、自分の住まう空間に自分の思うように手をかけながら暮らしている。かつてのインテリアの仕事への憧れを自分の部屋で十分消化している。消化というよりは、むしろ今の仕事への肥やしとなっている。

結局、人は自分が本当に望むことをして生きていくものなのだと思う。

真に望むことでなければ、長続きはしない。

 

 

どんな仕事にも、上下はない。

自分の満足感が得られなければ、他人への満足感も与えることは難しいだろう。

感謝の念がなければ、感謝されることも減ってゆくだろう。

自利利他。

仏教のこの言葉は、生きるそのものの基本を伝えているのだと、今更ながらに深く感銘している次第だ。

 

 

 

2016.04.22

リセットカメラハイク

 

 

 

毎日、震災に関する新着ニュースが入ってくる。

自分にも何かできることはないか、それがおしつけ的な自己満足の善意とならないか。

考え出すとスパイラルにはまる。

あれから一週間が経ってしまった。

 

どことなく、気分は自粛モードで、外に出かけてなかった。

友人と気分をリセットしようという話になり、朝いちばんで映画鑑賞したあと、ひとしきり映画の感想、意見で盛り上がりながら、ちょっと遠出のカメラハイクに出かけることにした。

 

 

向かった先は、個人的にもとても好きな湖。

20年以上ぶりに訪れた場所だった。

湖畔では、姿は見えないが鳥の声が響き、新緑のそよぐ音も深呼吸を誘い、心が安静していくのを感じた。

 

 

 

水の中の森。

 

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色を知る世界。

 

fune

 

 

 

色を知らない世界。

 

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Bridge of rain .

 

P4130053

 

 

気分転換は、人間には必要だ。

気になることや心配事は手放し、頭の中を全く別なことで埋め尽くす。

映画や音楽鑑賞、読書、軽い運動でもよいだろう。

 

 

撮った写真をカメラの画面で再生してみる。

はああ~、たいした写真撮ってないなあ。

 

毎回、がっかりする。

 

まあ、なかでも気に入ったショットが2,3枚あるかな。その程度。でも、自分なりに楽しいからよいのだ。

帰りにはちょっと明るい時間からスーパー銭湯につかり、食事をして帰宅した。

リセット。

チャージ完了。

 

自分が、やらなければならないことがある。

そのことに関しては、代わりにやってくれる人もいない。

その断続的なモメントにまた意識を集中させようと思う。

 

それが生きるということなのだろう。

 

 

 

2016.04.12

佐賀個展のご案内は、ひとつ戻ってね!

 

 

週末、佐賀個展の制作準備が終わり時間がとれたので、近くに引越してきた陶芸家の友人に連絡しお手伝いを申し出た。

築80年という貫禄あるお家には、自分の仕事とは違うモノ作りの環境が垣間見れて楽しかった。私は、図書コーナーの整理を担当。

 

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同じモノ作りでも、扱うものが違えば、便、不便がある。

どんな仕事でもそうだが、メリット、デメリットが存在しているからこそ、商いが面白くなるのだと思う。

工房には、興味深いモノたちがいっぱい溢れていた。

 

 

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重たい土が水でこねられて形作られ、火の力が加わり器や花器が出来上がる。今から焼かれる前のモノたちが並んでいる作品たちを眺めながら、改めて思った。

 

人の手で時間をかけて作られたモノたちに囲まれて過ごすことの豊かさを。

 

形になって出来上がったモノたちが整然と並べられ、晴れの場、個展で拝見するものとはまた違った視点を感じることができてなんとなく得した気持ちになった。

手作りって、やっぱりいいな。

自分もその端くれに属していることが、嬉しく思えた。

 

 

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今週、金曜からの佐賀個展の作品群を発送済ませひと段落。

友人宅の図書コーナーを整理しながら物色して借りてきた本でも読もうかな。

 

 

 

 

 

2016.03.31

働くということ

 

 

 

ふううー、3月が今日で終わる。

今月は、めちゃめちゃ働いた。

世の中には、自分なんかより天文学的スケールで忙しい方々があまたいると分かってはいるが、自分の能力レベルで語るならば過去、記憶に残るレベルの多忙さだった。

 

いつものペースに戻れそうな目処が立ち、気持ちにスペースができてきた。

 

 

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昨年、サルヴァトーレ・サルガドというフォトグラファーのドキュメンタリー映画を観た。

監督は、ドイツの鬼才、ヴィム・ヴェンダース。

写真を趣味にしていらっしゃるお客様の薦めだった。

恥ずかしながら、映画を観るまでこの写真家のことを知らなかった。

 

社会的メッセージの強い写真を撮り続けてきた写真家としての半生を、出版された写真集とともに構成された映画だった。

写真がここまで人の心を揺さぶるのかと、胸が苦しくなった。

業界のことに全く知識のない人間にどれだけインパクトのあるメッセージを伝えられるか。

これが本物なのだと、クラクラする思いだった。

 

数多く出版されている写真集の中でも、とても興味深く感じたのが、WORKERS というタイトルの写真集だった。

世界の経済を動かしている人々をテーマとした写真集。

解説ともに紹介された写真集の被写体の数々。

 

意外だった。

と、同時にとても嬉しい気持ちになった。

 

私は、てっきりウォール街でキリッと決めたエリート集団や、時の経済に関わっている著名な方々かと思ったが、被写体として選ばれ写真集に掲載された人々は、土と同化するほど汗みどろの筋肉質の体を持った鉱夫たち、油田爆発の消防に幾日も幾日もあたる、目だけしか認識できないほど全身油まみれの消防士たち、潮風に刻まれたかのような深いシワと白い歯が印象的な漁師たち、とてつもない広さの綿を手摘みする女性たち、だった。

 

「この世の経済を動かしているのは、肉体労働者だ。」

サルガドの物静かで力強い言葉が、頭の中を幾度もリフレインしていた。

 

カメラに出会う前、サルガドは大学では経済を専攻し、そのまま経済に関わる仕事をしていたという。その中でサルガドが見てきた経済の正体というものはとても強烈に心に留まっていたらしい。

後にカメラに出会い写真家になることを決意した時、このテーマの写真集の出版は時期を待ち温められ形になったのだと語られていた。

 

働くということ。

自分の中にも、どこか肉体労働への崇高さのようなものを感じるところがある。もっともそれは、体感的なレベルの個人的なもの。

その共通観念に、サルガドのメッセージと同調できたような気がして自分が嬉しく思ったのだ。

 

体を動かし働くこと、これは神が人間に与えてくれた贈り物ともいえるのではないだろうか。

 

 

明日から、新年度。

 

今日も、おつかれさまでした。

 

 

 

次回は、佐賀展のご案内致します!

 

 

 

 

 

2016.03.24

明日の太陽

 

 

 

青空の下でテントを張って営業している八百屋が、我が家の食材を支えている。

新鮮な芽キャベツやしっかり詰まった小ぶりなトマト、元気のいいクレソン、丸々太ったアスパラガス、ピッカピカのいちご。

八百屋にも春満載。

なんだか野菜たちを見ているだけでウキウキするね。

 

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明るいうちに食事の準備を始めたら、どうにもワインに合いそうなメニューになってしまった。

お祝いに頂いていた赤ワインの栓を抜くことにした。

滅多にうちでは飲まないが、ここのところずっと立て込んでいて息をつく暇がなかったし、たまにはいいっか。

夕刻近くになると、気温がぐっと落ち込む。カーテンレースを引くために部屋を移動したら、日没前の光が壁一面に射していた。

 

まだ、こんな時間だったのか。

 

こんな時間に聞く音楽は、聞き馴染みのある曲だというのに、ずいぶんと違って聞こえる。

 

季節がまた巡ったなあ。

 

今日の太陽、さようなら。

明日の太陽、絶対来てね。

 

3月もいよいよ終わる。

 

 

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