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2015.12.27

2015年最後の作品ご紹介!!

 

 

今年も残すところ1週間を切った。

ほんとにほんとにいろんなことがあった1年だったが、終わってみると月並みの言葉だがかなり充実していた1年だったように思う。

 

いろんな意味でメモリアルなことが沢山あった。

長年の念願がかなったこともあった。

新しい世界を知る機会も得た。

憧れだったことへの一歩を踏みしめることもできた。

kafs wood

新しい挑戦の扉を開いたことで、多くの方々の励ましと更なる深いおつきあいの次の扉が開いたように思った。

 

 

 

この世には人と人がつながりあって、絡み合って触れ合って共存している。

この至極当たり前のことへの度重なる気づきを、今年は仕事を通してなんども経験した。

 

対面すること。

それは、人と人がかかわるうえで絶対的な条件である。

対面なくして、かかわっているとは言えない。

通信のやり取りだけ。

その段階では、未だ、架空の関係である。

 

相手と対面し、その対面したときの自分と対面し、そして更には相手の心の前に立つ、機会を得てその時の自分の心を知る。

そんな見えない対面も含めて、関係が深まっていく。

扉はずっと開かれ続ける。

 

ただ、踏み入ってはならない扉を人それぞれに持っているということを、決して忘れてはいけない。

 

 

2015年、沢山の方々にお会いできました。

沢山のわくわくにも。

沢山の喜びにも。

本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 

本日は大掃除とともに、今年を静かに振り返った1日でした。

 

 

真っ白なおろしたてのシャツに袖を通す気持ちで、新しい1年を迎えたいものです。

装いを正した後に、自分らしいアイテムを加える。

その行為がとても楽しくなるようなラインナップを、来年も沢山提案できるように精進したいと思います。

 

カカオ豆のカフスボタン。

 

 

 

 

2015.12.17

 

 

突如、雪が舞った1日となった福岡です。

 

忙しいという言葉は口にしたくないが、今月は本気で慌ただしい。

段取りを組み間違えると、周囲に迷惑をかけてしまう。今週は非常にスリリングなスケジューリングでハラハラしていたが、本日、なんとか目処が立った気配。

suiteki ring

 

ほっとひと安心。

 

先日、東京のお客様と電話で話していて、電話の切り際にとても気遣いのあたたかいお言葉を頂いた。

「年内とても忙しそうですね。そういう時は、くれぐれもケガに注意してくださいね。」

 

!!!

そう!こんな時は本当にケガに注意しなきゃいけない。

張り詰めていて、次にこれをしてその次があれで、そして今日中にあれまでやったら、明日が動きやすい。途中にあそこにも顔だしておかなきゃ。じゃあ、ついでに今日、あっちまで足を伸ばしておくかな。

 

そんなことで頭がいっぱいになりながら、横断歩道を渡ったりしていると、 まるでマンガのように転んだりし兼ねない。

路上コントさながら。私なら、大まじめにやってしまいそう。

そうよ。気をつけなきゃ…

 

思い出したように突然、雪が風に舞い始めた。

暖かい部屋から眺める雪景色は、とても美しくみえるもの。

手を止めて、顔を上げそっと体中の力を抜いて、深呼吸をしてみた。

 

せかせかと頭の中で急いで思いを巡らせても、時間を稼ぐことはできない。

 

窓ガラスいっぱいに舞う雪景色を見ながら思った。

この雪もどこかで時の経過と共に水滴へと変化する。

 

少し前にご紹介したピアスの水滴シリーズのリングたち。

suitekiring3

3年ほど前にご紹介した隠れ人気のトイパールリングと重ね使いを意識して作りました。

 

 

 

 

 

 

皆さんも、この時期言わずもがなの多忙さに圧倒されていることだと思います、くれぐれもケガや事故に注意してくださいませ。

 

本日は、雪ではなく、水滴リングのご紹介でした。

 

 

 

 

2015.12.06

 

 

 

初めて香港を訪れた時は、まだイギリスの統治下にあった頃だったと思う。

take

 

 

 

印象的だったことが2つあった。

 

 

 

まだ日本でも殆ど見ることのなかったケータイ電話を使っている人を街中でよく見かけたということ。

当時のものは、今頃の若者が知ったら笑いのネタにし兼ねないほど大きな箱型のケータイ電話だった。

それでも、まだ日本ではポケベルが主流だったので、ケータイという言葉も定着していなくて移動電話と呼んでいた。

高級外車の中で使える車電話によく似ていたのを記憶している。そもそもこの例え自体が若者を更に混乱させるかもしれない。

 

もうひとつが、建築ラッシュが続いていたその頃の香港で、あちこちで建築現場を目にしたのだが、その足場がなんと竹でできていたのだ。

 

竹ですか!

中国には竹はいっぱいあるとはいえ、そのことが近代化されていないことのように無知ながら勝手に思っていた。

しかし、この頃知ったのだが、有名な建築家の本によると竹の足場はとても理にかなっているということだった。足場は命を預かるもの。そんな足場を竹で組めること自体が凄いことである。今では随分と減ってきたことも触れていた。

 

建築は、宗教が大きく影響しているという考え方があるらしい。

日本の建築は、仏教建築というよりは、伊勢神宮や桂離宮の茶室などが日本らしさの姿勢を表していて、軽く軽く、何の重みも感じられないような、あっさりとしたものが感じられる。

 

日本人の美の理想。

万葉のさやけさ。

中世の数寄。わび。物のあわれ。

江戸のいき。

さらさらと流れる水のような美しさがよろこばれれる。

しずかに、軽く、宇宙の今とここに静まりかえっている。

 

それが、日本人独特の美感である。

 

中井正一 著 「美学入門」より。

 

西欧に行くとなんとなく必ず足を運ぶ教会。

訪れると落ち着くというよりは、堪える、塞がれたものをえぐられる。懺悔の気持ちを呼び覚まされる。そのような気持ちになる。

濃厚な食事の後に更にディープなコーヒーを飲み、外に出ると雲が立ち込めた暗曇な天気で、食傷気味な胃袋が気になり、空と同様すっきりしない。そのような感覚に似ている。

 

教会建築が持つ重厚感や圧迫感は、宗教観の違いから生まれた結果として出来た空間であると聞けば、なんとなく説明のつく感じがした。

なるほど。

神社を訪れた後は、食後の煎茶を味わったような清涼感とともに、外は冷たい空気が頬に気持ち良い。

そんな感覚をいつもイメージする。

 

静が、自分の中に佇み、生まれる気持ちになる。

まぎれもなく自分は、日本人だ。

 

全てはそれぞれの教典へと通じる。

音楽のルーツも同じように各々の宗教教典へと通じてるようだ。

 

竹。

ちょっと遠回りな話になりましたが、本日は南洋黒真珠を使った、大人インパクトの風にしなる竹のネックレスのご紹介でした。

 

しなやかな竹のような大人でありたいですね。

 

香港も随分と変化したのだろうなあ。

 

 

 

 

 

 

2015.11.27

 

一気に寒くなった。

昨日、夕刻には雹がガラス窓にぱちぱちと音をたてて降ってきた。

 

suiteki p

ぷるぷると震えながら表面張力でもってぎりぎりの状態で形を保っている水滴たち。

 

少しでも衝撃が加わると、一気に形が失われる。

そんな寸前を表現してみた銀色の水滴ピアス。

小さい水滴と大きい水滴。

 

日々の営為の中で、いつもの今を保てているのは、見えない絶妙なバランスが働いているから。

相手や全く関係ない他人を通して、やっと見える自分自身のバランスというものがある。

自分が経験したことを巻き戻して見せてくれる八ミリビデオが、ひとつの感情というメッセージを付加して、今度は早送りされて現在の自分の立ち位置を見せてくれる。

 

今年もかかわった様々な方々を通して、自分を知ることができた。

人は、自分の経験値でしかイメージや感情整理をできないもの。

自分自身の経験値が果たしてどれくらいのものかは分からないが、どうしてもダメだ、苦手だ、苦痛に感じてしまう。そんな理屈抜きの感情を、一番大切にするようにしている。

若い頃は耐えなければならなかったことも、ある程度の年代になってくると、それが許されてくるときがやってくるのではないか。

そう思っている。

努力を怠る、成長を止める、それとは違うように思う。

 

それを無視し続けていると、自分自身の中の見えない絶妙なバランスが或る日一気に崩れて疲弊しきってしまい、元に戻すのに倍以上の精神的労力と時間を必要とするように思う。

 

好きな形を保ちながら、ここちよくぷるぷるっと揺れるくらい。

 

そんなバランスで生きていきたいものだ。

 

水滴シリーズは、リングとカフス、ピンバッジも展開予定です。

 

 

2015.11.19

ブローチか?ペンダントか?

 

 

悩んでいる。

これをブローチにするか、ペンダントにするか。

brooch namidanamida

かなり大きめのモチーフで、ブローチになればコートの襟元をぐっと引きしめてくれそう。

 

ペンダントになれば、華やかな演出を一役になってくれそう。

 

私がなるべく気を配るようにしていることが、つけた時の重さと動きが女性の所作にどんな影響を与えるか。

である。

 

コルセットで体を締めあげていた女性のファッションが、ココ・シャネルを台頭にどんどん開放的になっていった時代。

女性は随分と楽になったことだろう。

 

私は日本人であり、日本が好きであると云うのに、恥ずかしながら自分できものを着ることができない。

成人式と短大の謝恩会以来、着たことがない。

つまり、人生で二度しか着ていない。

 

先月の個展に、渋い黒とグレーの紡ぎ風のきものをおめしになって、やって来られたお客様がいらっしゃった。

毎回、福岡個展にお見えになられるお客様である。

敢えて磨いていないと云われた銀の帯どめはかれこれ10年ほど前に作ったものだったか、きものの色といい感じにマッチングしていた。

お客様は、きものも洋服もどちらもおめしになられるのだが、洋服の時は微塵のいやらしさのない女性の香るような色気を感じさせる。

きもののときは、所作がとても美しく感じる。

会話にも知性と品性が伺われる、私の憧れの女性のイメージを持たれた大人の女性のひとりである。

 

今日は、きものにしようか。

洋服にしようか。

 

選べる装いはさぞ、楽しいことだろう。

 

ブローチになるべきか、ペンダントになるべきか。

こちらについては、どちらのバージョンも作ってしまおうかということで納まりそうである。

 

 

 

 

 

 

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