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Necklace & Choker

2016.03.20

卵という時間

 

 

11年前の今日、福岡で大きな地震があった。

すっかり忘れていたが、記事を目にして思い起こし当時の自分を取り巻く環境を含め巻き戻してみた。

 

koropen

 

 

あの頃、私は週末だけのお店をやっていた。

3坪の小さなスペースで、テラコッタ色の珪藻土を壁一面に友人と塗り、衝立や展示パネルも手作りで、コストをかけずにできる範囲でメリハリつけた設備投資で店作りをした。

目指すイメージは、ヨーロッパの街はずれにある小さなアクセサリーショップだった。

ちっちゃなちっちゃなお店だったが、とても愛着があった。

今でも当時のお店に足を運んで下さったお客様方が、懐かしんでくださって話題にして下さる。

 

うるうる。

 

そもそも私がその週末だけのお店を始めたのは、当時から親しくさせて頂いていたキャンドルの作家さんの一言だった。

既に週末ショップを始めて成功していたキャンドルの作家さんと、ニューヨークを訪れ7番街を歩きながら、自分もいつか週末ショップを始めたいと、胸の内の思いを語った。

マンハッタンの交差点で信号待ちのために立ち止まると、キャンドルの作家さんから返ってきた言葉がこうだった。

 

「いつかじゃなくて、もう、できると思うよ。」

 

予測しなかった言葉に、今居るニューヨークという街にふさわしい、可能性とチャレンジが体中にパンパンに充満した。

初めて目を開くということを教えて貰い、瞳の中にどんどん光が入ってくるそんな高揚感だった。

帰国してすぐに知り合いの不動産屋さんに話してみると、すぐに好条件の物件が見つかり、3ヶ月後には店をオープンさせることができた。

自分がやるべきことの道しるべは、ほんのすこしの勇気と行動という最後の条件が揃った途端、まるで巻かれていたカーペットが解かれるようにしてスルスルっと目の前に敷かれるものだ。

あとはその上を背筋を伸ばして歩くだけだ。

 

振り返れば、よく見える。

あの頃の私は、卵だった。

 

常に目指す先輩たちや憧れがあるから、成長への一歩を踏み出せる。

 

 

あの頃の私は、卵だった。

10年後の私が、微笑みながら今の私に言う。

そんな10年にしたいと思う。

 

卵ペンダント。

 

 

 

2016.03.13

プリンスチョーカー

 

 

 

 

前回アップのプリンセスチョーカーの対の作品。

プリンスチョーカー。

 

teeth

 

 

 

 

若い頃、漠然と男に生まれてみたかったなんて思ったりしていた。

私服通勤だったため、着たいと思う服と通勤する服を天秤にかけるとオーソドックスなチョイスをしなければならない。出勤前の日々の身支度、クローゼットの前でしきりに思っていた。

 

女のスーツは、どうあがいても男のスーツに敵わない。

ネクタイのせいかな、シャツかな、そもそも女性の胸元の膨らみが、スーツに不適切だ。

 

そんなつまらない理由もひとつだった。

 

今では、歴然と女でよかったと断言できる。

女性には世の中が提案してくれる特典が多い。

レディースランチには、コーヒー、デザート付き。

レディースデーで映画割引。

レディースパックで、お宿割引。

女性専用車両。

 

女子の宣伝力。

本音は商売がしやすいと言ったところだろう。

 

と、こんなことを言ってしまう私は、どこか男子っぽい。かも。

 

プリンスチョーカー。

鎖骨の上にすっと沿うラインで左右の鎖骨が出会う窪みにすっぽりとパールが収まり、とっても首元を綺麗に見せてくれます。

これは、自分仕様も作る予定。

 

鹿児島展でお買い上げ頂いたお客様は、春色ワンピースをお召しになられた巻き髪で色っぽいプリンセスみたいな女性でしたが、ばっちりお似合いでした。

ネーミングには関係ないのです!

 

 

 

 

 

2016.02.28

プリンス&プリンセス

 

 

今年から少しずつ、時間をかけた作品を紹介していこうと思っている。長いお付き合いのクライアントの方にも、いろんな意味でご協力を得ながらの長期的な取り組みをしてみたいと、勇気を出してお話してみた。

 

sqpearl

 

 

もう三年ほどくすぶっていた。

ご理解ある方々の応援のうえに了解いただいた。

信頼してくださったことへの感謝のひとことに尽きる。

気持ちが少し軽くなった。

と、同時に心地よい前向きな責任を感じた。

口に出すということは、最低でも実行しなければならない。今の自分から前に進むためには、まず今の自分を知ることが必須。

 

時代の変移というものをあらゆる分野で感じ取るような年齢になってきた。その変遷のなかで、自分自身が切り替えられる範疇のものは、受け入れ変化するよう努める。それでもどうしても苦手なことや受け入れられず、違和感を強烈に感じるものがある。その部分とどう向き合うか。

このことを何度も突き付けられてきた。

昨今の経済ニュースでも周知だが、同じやり方で半永久的に繁栄し続けることは、なかなかに難しいスピードの時代だ。なにしろ商品価値に加えて価値観そのものが大きくシフトしてきている時代の渦中にある。しかし、こんな時であるからこそ各々が変えてはならない自分なりの信念や精神美学のようなものを、強くもつべきではないかと思う。

自力で立つことができなくなっても、助けを得られる規模やステイタスのあるものは内情は別として形としては幸運だ。

では、自分のようなものが窮地に立たされたとき、果たしてどうなのか。

朽ちない精神美学を自分の中に持つとき、最も幸運を感じるのではないだろうか。

何かを得るために何かを捨てなければならないという考え方ではなく、何かを決意選択することで、バランスをかじ取りし、自分自身の中にスペースを得る。

 

そんな考え方が自分らしいように思えてきた。

働くことの目的意識。これは、時間の経過とともに案外ないがしろにされがちだ。

 

少し、立ち止まって自分の今を探ろうと思っているところだ。

 

sq pearl2

 

まずは、今の自分。ここからスタートだ。

という一作目となった、プリンセスチョーカー。

下がりパール取り外せますのよね。

 

なんだか個人的な固い話になってしまいました。

 

対の作品、プリンスチョーカーを次回ご紹介したいと思います!

 

 

 

2016.02.16

コインパール

 

 

この仕事をしていると、生業としてものを作っている方々にお会いすることが多い。

そうなると必然的に魅力的なものに沢山出会う。

気がつけば、食器棚には20年ほどかけて集めた作家さんの作品たちが思い出とともにひしめき合っている。

それだからか洗い物の途中で、派手に器を割るということは殆どない。うっかり縁が欠けたりしても、研磨したり、接着したりして使い続けている。

 

 

coin choker2

 

 

 

クリエイター同士がお互いの作品が気に入った場合は、物々交換という形で支払いを精算することが常である。

このシステムはお金でやりとりするよりも独特の満足感と喜びでいっぱいになる。

お金で買うよりも二重の喜びが得られるような気がするのだ。

先方もきっと似たような気持ちなのだろうと思うことが度々ある。なぜなら上がったテンションがこちらにも伝播してくるのを感じるから。

 

 

いつもの私の買い物スタイルはこんな感じだ。

もしも自分にとって魅力的でそばに置きたいと思うものに出会ったとき、なんとなく値段を予想してみる。その後、初めて値段を記してあるタグを見る。物価としての値段は自分が支払えるかどうかという個人的な数値でしかない。

そうすると、ほんとうに必要なのか欲しいのか、という隙間な目線が自分に冷静さを与えてくれる気がする。

 

ただ、作家さんとの物々交換のお買い物は、このお買い物スタイルとは別なものだ。

何しろ、それを作ったご本人に会えているということに加え、同じ作ることを生業としているという意味においても時間的な共有をしているような気持ちになり、深い満足感を得られるように思う。

 

お金で買えるものには、ときにお金で買えないものがくっついてくることがある。

 

それが商品を通して生まれる縁というものではないだろうか。

円を使って縁を得る。

 

円が発生しないお買い物スタイル、物々交換。

クリエイターたちは、わらしべ長者的お買い物を楽しんでいるのです。ふふふ。

 

 

本日は、コインパールを使ったシンプルチョーカーのご紹介でした。

 

 

 

 

 

2016.02.11

バロックスタイル

 

 

このバロックパールを初めて目にしたときは、思わず声が出た。

驚いた。

大きさ。照り。肉厚でフォルムも奇麗。

裏も表もないほどに美しかった。

 

big barouque

 

 

このボリューム感だから、一歩間違うとこんなにバランスのよい自然美という価値を、下品なランクに一気に落とし兼ねない。生かすも殺すもデザイン次第かと思うと、素材に試されているようで、形にすることにそれなりの決意が必要だった。

 

制作の過程で、今回のように素材に試されていると感じることは多々ある。

出したいシャープさやなめらかさ、柔らかさ、銀であるならば表現が可能であると知っているのに、それがうまくまとめられないときのもどかしさ。

力量を淡々と突き付けられる瞬間だ。

少しくらい続けてきたからと言って、慢心してはならない。

素材に叱責されているようで、厳粛な気持ちになるものだ。

 

首元からデコルテへと優しく包むようなラインの先端に、銀色のヘタが溶けかけて絡みついている。

大きなバロックパールがどのあたりにおさまれば、身に着けたときしっくりとくるか。

人が身に着けてこそアクセサリーだ。

着ける人ご自身よりも奇抜なデザインだけが先行したり、素材だけが前に出るようでは、私が作りたいアクセサリー観に反することになる。

その落としどころで、形になるまで一年を要したというわけだ。

 

バロックパールが顔と少し離れ、優しく流れるイメージの線で視線を誘導し、女性の胸元にちょうど収まるよう配したので、バロックパールの大きさが主張しすぎて、嫌みな感じが表に出ることがないように気を配ったデザインにした。つもり。

 

どんな方に嫁ぐのかが個人的にとても気になるアクセサリーのひとつとなりました。

 

それだけ気を配ったというバロックパール、いったいどのくらい大きいのか。

ものさしを眺めて想像してみてください。

縦が4センチほど、横が3センチで、厚みが2センチほどある。

ね。

思わず声が出る大きさでしょ。

 

バロックパールの前留めスタイルチョーカー。

 

 

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