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2018.02.15

京都展の様子!!

 

 

一昨日に京都より戻りました。

 

天候運のよさに我ながら驚いた次第だが、京都では前週はどか雪。

そして、福岡に戻りましたら前日は市内は積雪でタクシーも殆ど捕まらずの大パニックだったとか。

 

まあ、まあ、それはさておき。

 

 

 

 

 

個展の様子です。

 

2年ぶりのパルさんでの個展でした。

 

今回は、連休祝日よりスタートでしたので、

これまで作品をお買い上げ頂いていたお客様方に、やっとお会いすることができた方々が何人かいらっしゃってとても嬉しかったです。

 

le fleuve の上垣シェフのショコライベントも同時開催しておりましたので、シェフやお客様方を交えてのお茶の時間はショコラやアクセサリー、いろんなお話で盛り上がりました。

 

個展の方は今週日曜日まで、お時間ございましたらぜひお運びくださいませ!!

 

私は、こつこつと来月の愛知展の準備に勤しんでおります。

 

 

 

 

2018.02.04

京都展のお知らせ!!!

 

 

画像が次回とちびと遅れました。

といっても、既に案内が遅いのですが京都展のお知らせです!!

 

 

 

 

 

フォンテスキー

銀とパールの世界

2月12日(月)   –   18日(日)

AM 10:30 – PM6:00

 

ライフスタジオ・パル

京都府福知山市南本町267

0773-22-8713

http://www.lifestudiopal.com

 

私の在店日は、初日です。

初日の在店日には、13:30から、全国のショコラティエ上位入賞をされたle fleuveさんが、ご来場頂き、お客様を交えてのお茶会の催しも組まれております!!

 

長いお付き合いになって参りましたパルさんでの個展。

新作多数準備致して参りたいと思います!

 

寒い日が続きますが、ぜひお待ち申し上げております。

 

 

 

2018.01.28

菓子の想い出

 

 

菓子はな、想い出なんだ。

子供の頃に、一生心に残るようなおいしい菓子を食べていれば、その子の心は豊かになる。

そんな想い出をたくさん持つ人間は、強い。

 

この頃読んだ、真山仁氏の小説の中の言葉だ。

 

 

 

 

消費期限切れの材料を使用しているという内部告発文書により世間を騒がせたのは、子供から老人まで知らぬ者はいない大手菓子メーカー。

リークしたのは、創業以来、匠と言われた伝説の菓子職人。

菓子職人は、自分に託された創業者の前だしのこの言葉を心に刻み、情熱をかけて菓子を作り続けてきた。

大手菓子メーカーとしての矜持が、彼に裏切りとも見える一大決心をさせる。

内部告発、そして同時に辞職。

 

数年前に起こったニュースをベースにした、社会派メッセージ色の強いあらすじだった。

お菓子には夢や安らぎ、平和が含まれている。

 

幼い頃のお菓子の想い出は、誰しも幾つかあるだろう。

 

まだドルがバカ高い頃、ハイカラな叔母がヨーロッパ旅行に行ったと、訪れた数カ国のチョコレートとそれぞれの国の通貨コインを土産に持ってきてくれた。

初めて見る洒落た色の薄い包み紙にくるまれたチョコレートは、食べる前から美味しさを約束してくれる香りが漂っていた。

そのチョコレートの美味しさと言ったら、たまらなかった。

おいしすぎて黙り込んでしまった。

叔母の話では、向こうの子供たちは食べるだけではなく温めて飲んでいるという。

「これを飲む?」今度は驚いて黙り込んでしまった。

 

 

あれから40年近く。

次々に世界中のお菓子メーカーが進出し、見ているだけで食べたような気になり、個人的にはもはや飽和状態。

 

人間はある一定の情報を超えると、欲することが極端に減るようだ。

正確には興味が薄らぐとでも言うべきか。

 

そのせいか、2、3年ほど前から、和菓子への魅力が高まっている。

そのせいではない。

単に年齢のせいですな。

 

和菓子に多くの美を感じる年頃になりましたで候。

 

 

 

 

2018.01.22

親しみのある出会い

 

 

あ!

私の作った雲のブローチに似てる。

これは買わなきゃ!

 

 

 

北欧のユーズド雑貨で葉っぱモチーフであると、買いつけたオーナーさんは話してくれたが、私にはどうにもマツポックリにしか見えなかった。

葉っぱと聞き、あ、そうか、確かに大半の方はそう思うよな。

時々、人とずれた見え方をする傾向にある私だ。

 

形の捉え方は人それぞれで、相手が現物を見ていないものを他人に説明するときの形の表現の仕方は、なかなか興味深いものがある。

 

場所の説明をして貰うと、血液型や右脳型か左脳型かがおおよそ分かると聞いたことがある。

 

私は、口頭での説明が苦手だ。

というより下手だ。

はっきり言うなら、下手くそだ。

でも、文字にして下さいと言われると気分が楽だ。

相手に伝わりやすいかどうかは、また別な話だが。

 

 

何かを説明するにあたって、上手に絵に描いて分かりやすく説明する人や、細かな描写をイメージさせるような説明の仕方をする方、ポイントだけを短く説明する方、身ぶり手ぶり、スマホの画像や手元にあるもの全てを使って説明する方。

相づちを打ちながら、人それぞれでなかなか面白いなあと思うことしばしば。

 

人って面白いなあと、妙に親しみを感じるのである。

 

そうやって、この木のプレートを通してデザインして作った方にも妙に親しみを感じたのである。

女性だったのだろうか、それとも男性だったのかな、どこに住んで今、何をされているのだろうか。

 

 

 

 

ほら。

マツポックリ、いや葉っぱの木のプレートに、

なんとなく似てると思いません?

 

やっぱり、そう見えるのは、私だけ?

 

 

 

 

 

 

2018.01.14

ここに生きる

 

 

 

初めて北欧スウェーデンを訪れた時は5月の後半だった。

飛行機を乗り継いでやっとホテルの部屋に辿りつき荷物を解放すると、ほっとしたのかベッドの上でガイドブックを読みながらうとうとしてしまった。

はたと目が覚めて部屋のカーテンを開けると、空が白く明るかった。

 

!!え?

あのまま夜が明けたのか?

時計を見ると9時過ぎだった。

太陽がいない朝。

ナイトテーブルのデジタル時計の数字は、21:20と点滅していた。

 

 

 

 

白夜か。

 

九州にしか住んだことのない私にとって、寒い国の生活を垣間見るのは、とても新鮮で当たり前への問いかけの連続だった。

長い長い極寒をしのぎ、春が訪れるのを極限まで待ちこらえていたかのように噴き出す新緑たち。

ほとんど絶叫に近い鳥のコーラスは、もはや喋っているのではないかと思えるほど。

春の陽射しは、こんなにうっとりするような匂いを含んでいただろうか。

 

強烈に、春を感じた瞬間だった。

 

それでも暖かい上着がないとまだ街を闊歩という、爽快な日本の5月には程遠い。

 

湖が多いこの街は、あるエリアに行くと小さなサマーコテージが点在している。

コテージのデッキでロッキングチェアを揺らしながら、ぼんやり空を見上げている人。

風が吹き渡る芝生の上に大きな布を広げ、寝そべって新聞を読んでいる人。

湖畔際の大きな石の上でもくもくと読書をしている人達などを多く見かけた。

中には、サングラスをかけた半裸の男性もいた。

しかも、ほとんどみんなひとりで過ごしている。

 

みんな、外で何してるんだ。

読書するには、太陽の光はしんどい気がするけどな。

 

 

後に知ったのだが、太陽を何ヶ月も見ることができない冬が終わると、この国の人々は1日でも長く太陽の光を浴びたくて、天気のよい日はみんな外で過ごすのだという。

 

日向ぼっこというやつだ。

 

ストックホルムを訪れてやっと理解できた。

北欧のインテリアデザイナーたちが歴史に残るほど多くいるのは、自然派生的な結果でしかなかったということだ。

 

それほどに恋しい太陽を思い照明器具をデザインし、長い冬を過ごすのに肌触りのよいフォルムの温かみのある木調家具や、長時間座っても疲れない座り心地のよい椅子。

家の中で過ごす時間が長いから生まれた機能美。

 

 

日本でも、北の方には優れた家具メーカーや民芸品が沢山ある。

それは単に素材が多く手に入ったからではなく、気候や風土、食生活と、慣習。

そこで生きてゆくことを受け止める時間が生んだものなのだ。

改めてそう思った。

 

同じ国でも、気候が違えばしつらえも変化する。

 

自分が住む街のよい面、苦手な面。さまざまな面々。

それらを全て受け止めて、楽しむ。

慈しむ。

愛しむ。

 

それらを愉しむ術を知らなければ、例えそこに住んでいても、胸をはってそこで生きているとは言い難い気がする。

ここに住むこと。と、

ここで生きていることは、全く意味が違うのではないか。

 

そう。

ストックホルムの湖畔にいた人々は、あの時、まさしく太陽を愛おしむ時間を満喫していたのだ。

 

日向ぼっこを誰にも邪魔されずに満喫する時間。

なんだか、贅沢な時間の使い方を知っている人々に思えて、ちょっぴり羨ましいような気持ちになったのを今でも覚えている。

 

 

 

 

 

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