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2023.01.14

おむすびのためのお皿

 

 

圧倒的にお米派の私は、炊飯器をやめて土鍋で炊き始めて10年くらいになるだろうか、食す度に日本人でよかったと思う。

新米の季節には、あまりの美味しさにお米は世界一の食の神に君臨すると疑いの余地なくそう思うのである。

 

ところでおむすびは皆さんどんな形に握りますか。

これは、面白いもので同じ家族の人間でも握り方が違ったりする。

人生で初めて食べたおむすびはおそらく母親かおばあちゃんの握ったものではないでしょうか。

我が母のおむすびは俵型でちょっと変わっているのがサイズがばらばらなのが特徴だ。

最後に握ったであろうものは、まるで寿司ネタのないシャリみたいなかぼそさ。そんなばらばらなサイズのおむすびたちは、お皿に盛られるとなんだかたよりなげで映えない感じ。

なぜサイズがばらばらなのか一度も尋ねたことはないのだが、いざ食べ始めると胃袋に合わせて家族みんながそれぞれちょうどよいサイズを選びながら食べれるので、お皿は決まって空になる。

長年家族の健康と台所を仕切ってきた母親なりの無駄を無くす知恵なのだろうと推測している。

亡くなった祖母は厚みのある丸型でふたつ食べることは難しいほどのずっしりとしたおむすびだったが、不思議とやわらかくていつも両手で持ってふわふわと食べていた。

私自身はと言いますと、気がつくとさんかくむすびが多い。

 

 

 

 

お米が好きならば、おむすびは大好きなわけで我が家にはおむすびのためのお皿が何種類かある。

大きめの塩おむすびに海苔を巻いた時には、さんかくむすびで三角皿。

小さめの俵型の塩おむすびに梅干しや昆布の佃煮などを添えるときには耳のような形をしたお皿。

 

 

 

 

おむすびがふたつの時には富士山の形のお皿。

五穀米や赤米のおむすびの時には、柄入りの丸皿。

 

器で様子が変わる。

おむすびのテンションも上がっているのではないだろうか。

 

今は器を替えて楽しんでいるのだが、幼い頃しばらく住んでいた鹿児島県の島の家には、ブーゲンビリアやモンキーバナナ、月桃の花が敷地内に咲いていた。

日曜になると庭先の月桃の葉におむすびを包み、趣味の釣りに出掛けた父親の元へ母親と弟と3人でお散歩がてら届けに行き、家族で食べたことを覚えている。

あの葉っぱはとてもいい香りがして、広げると瑞々しい緑に真っ白のおむすびがきらきらと光り特別感があり、まるで高貴なおむすび様といった感じだった。

確か、殺菌作用もあるとかで暑い島での生活の知恵としてどの家庭でもやっていたように記憶している。

いくつも皿を替えておむすびを楽しむよりも、月桃の葉のお皿の方が数段豊かであるように感じるのは、物質過多な今という時代ゆえだろうか。

 

今となっては容易に再現できないのが寂しいものである。

 

 

 

 

2023.01.12

漕ぎながら学ぶ社会科

 

 

 

「積もった雪」

 

上の雪

さむかろな。

つめたい月がさしていて。

 

下の雪

重かろな。

何百人ものせていて。

 

中の雪

さみしかろな。

空も地面も見えないで。

 

童謡詩人 金子みすゞ 作

 

 

 

 

昨年末から取り組んでいる完成までに時間の要する作品がひとだんらくしたので、昨日はサイクル県山口へリフレッシュライド。

 

陽が昇り辺りが明るくなった頃到着したのは山口県の日本海側、金子みすゞの故郷、仙崎。

今回は、仙崎から青海島のかつて捕鯨が盛んだったという通近くまでの海上アルプスコース。

連続でロードバイクの話で、あまり興味のない方にはいささか気が引けますが、途中の景色がとても美しかったもので。

 

 

 

漕ぎ始めて1時間もすると、九州ではなかなか見ることができないまるで水墨画のような朝の景色にうっとり。

防波堤に腰掛けてコーヒータイム。

吹き渡る潮風にのって聞こえる鳥の声、ゆらめく海面の光。

足元の海を覗き込むとまるで異国のリゾート地のような透明度に感嘆し、思わず見知らぬ釣り人に声をかけた。

 

 

山口県はサイクル県と名乗っているだけにさまざまなコースがあり名所も数多い。昨年はお正月明けに秋吉台を走りその壮大さに改めて感激した。

2年前には、瀬戸内の周防大島を走り、3年前にはCMロケ地にもよく選ばれる角島を走った。

以前、角島を走った帰りにも見たのだが夕刻が近づく頃の響灘は、黄金色に輝き心底美しく、のちに陽が沈む頃になると果てしなく広がる水平線に溶けるようにして落ちる太陽は、あたりを黄金色からじわじわとオレンジ色へと変化させてその水面はただただ美しく無言になります。

 

 

 

 

 

ロードバイクを始めて思うのだが、これまで本当に常に自分のすぐ側にあったものをあまりよく見ていなかったとしみじみ感じるのです。

 

自分の住む街、となり街、郊外、おとなり県、そこにある歴史とゆかり、町のなりたち、地理、名所、祭り、名物…。

便利な街に住んでいると、生活に不自由を感じないので一歩も街を出ずに済む。

でも、知らない街に行きロードバイクで走るといろんな町の顔が見えてくる。走る前の下調べだけではなく、帰宅後に改めて町のホームページや地図を見ることが随分と増えた。

自転車を漕ぎながらの社会科勉強のよう。

 

人の営為、暮らす、生きるということは、場所が変わっても基本部分は同じである。

でも、その形や見えるものは明らかに同じではない。

それぞれである。

 

みんなちがって、みんないい。

 

金子みすゞの詩のフレーズが心にしみわたるのです。

学んだはずの金子みすゞの詩にも再び触れる機会を与えてもらえる。

大人になってからの学びは遊びから得られるのかも知れない。

そしてその扉はいつでも開けられる。

 

 

 

 

2023.01.02

2023スタート!

 

 

新年あけましておめでとうございます。

 

 

近年、新年はライドに始まり一年の締めくくりは山で終わるというなんとなく決まりごとのようになって参りました。

2023年、爽快な気持ちでスタートさせるべく今年は国東半島にて幻想的な日の出を拝み、黄金色の朝焼けを背に浴びながら海沿いロードを走りました。

 

 

愛車のルーベも昨年後半はなかなか外の空気を吸えなくてごめんなさい。

本日は素晴らしい景色の中を走ることができました。

 

 

 

 

国東半島から伊美港まで走り、フェリーにて姫島に渡り島内一周の予定でしたが、盛りすぎなスケジュールはやめまして宇佐神宮へと初詣に向かい帰路につきました。

 

いつかツールド国東、出場できたらな。

なんて妄想が広がってみたが、己の貧脚という現実に目が覚めるのであった。

 

とはいえ、ロードバイクで走らなければ得られない爽快感を知った今は、山とは違うオンオフのスイッチチャンネルが増えたようで自分レベルでは満足しております。

 

本年も作る時間を味わい、且つ出来上がった作品たちを介して色々な場所で多くの方々の笑顔にお会いできますように。願いを込めて。

今年もよろしくお付き合いくださいませ。

 

 

お詣りした宇佐神宮では、二礼四拍一礼。

だそうです。

 

 

 

2022.12.29

ありがとう2022年!

 

 

 

 

やはり、周囲とのバランスもあり12月はせわしくなってしまいます。

本日やっと予定していた仕事が終了致しまして、仕事納めになりました。

 

 

 

マスク生活からなかなか抜けられない時間も3年が過ぎようとしております。

振り返ると今年は、出張先での新しい出会いや体験、発見、そしてショウルームへお越し頂いた方との出会いもたくさんありました。

加えて懐かしい再会や新しい世界への決意と一歩もたくさんありました。

 

心残りは思うように山へ行けなかったこと。

 

でも、マスク生活が始まってから越してきた今の場所は、リビングから大きな空と山々が日々見える。

そのことは、とても私にはよい影響を与えてくれている。

せかせかと慌てている時、気持ちがささくれ立っている時、ふと顔を上げると見える同じ光景が2回とない空と山々の様子。

そうだ。

ちょっと場を離れてひと休みだ。

こんな時、椅子が変わると不思議と気持ちのスイッチが変わるのです。

その時の気分に合う椅子に座って眺める。

たった5分のその時間はまるで1時間に等しいほどに伸びる。

ゴムのように伸び縮みする時間。

 

この景色は、休憩なしに一気に仕事をやってしまう性分の私には、ほんとうにありがたい。

景色を眺めているとしみじみと、生きているという実感が湧いてきます。

 

今年も無事に終われそうです。

いろんな場所で、出会えた皆様心より感謝申し上げます。

どうか、来る年も笑顔でお会いできますように。

 

沢山の感謝を添えて、2022年ありがとう。

 

 

 

2022.12.21

冬の日本の贈り物

 

 

 

 

10年以上前のこと。

福岡へ遊びにやってきた母親と共に地下街をショッピング兼ねて歩いていた時だった。

「そういえばあなたがお父さんに贈ってくれた半纏、あれねすごい気に入ってるみたいで、いっつも冬になると着てるわよ。もうあちこち外側の生地が破けちゃってね。何度も繕いながらまだ着ているわよ。あれ高かったんじゃない?」

「もう金額は覚えて無いけど、私が当時買えた金額だからそうでもなかったんじゃないかな、でも久留米絣とお店の人に言われたよ」

「あなたは持ってるの?」

「持ってないよ」

「福岡は寒いじゃない、買ってあげるわよ」

まだお店は同じ場所にあるだろうかと思いながら、父のために半纏を買ったお店を訪ねた。

 

 

可愛らしい赤の久留米絣の半纏を見つけると、

「これ、ちょっと羽織ってみて」

羽織った私の姿を見た母は、すぐにお店の方に

「じゃ、これをお願いします」

と、さっさと会計を済ませてしまった。

それから、何度か母に着ているかと尋ねられたことがあり、暖冬を理由にしたりしていたが、そのうち母自身もかさばるしフリースの方が便利よね。

私も今はフリースばっかりよ。

と、言ったのが最後でもう聞かれることもなくなっていた。

 

実は買って貰って10年以上経つのに、一度も袖を通していなかったのだ。いつも衣替えの度に目には入っていたのだが、とっても寒い時に着ようと思い、つい手軽に羽織れるフリースをパジャマの上に着て過ごしていたので、

母から尋ねられる度にうしろめたい気持ちになっていた。

 

昨年あたりからだろうか、なんだかフリースを着ていると首や肩が凝るように感じ始めていた。

うまく説明できないのだが、着心地がリラックスできない。

年齢のせいだろうか、ガウンを探しに行こうかな。

今年の衣替えの時半纏が見えた瞬間、

そうだ!これがあった。フリースを辞めて、これを着よう!

 

先週から雪模様の福岡。

なるほど、羽織るとほんとに温かい。

明らかに重さはフリースより半纏の方が重いはずなのに軽く感じる。

袖が短いから寒くないだろうかと思ったが、動きやすくちょっとした洗い物やハンドクリームを塗るのにもむしろちょうど都合がよい。

ちょうどよい位置に大きなポケットもある。

衣類と衣類の間の空気層と中綿の空気層のせいか、まるでお布団の中にいるみたいな気分なのだ。

 

今では、すっかり気に入ってしまい愛用している。

 

母は確かあの時、自分のものは買わなかった。

今度、母のものを買って送って驚かせよう。

 

冬の日本の贈り物。

江戸時代、庶民の間では家族のために手縫いしたちゃんちゃんこが贈られたのだろうな。

 

 

 

 

 

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