2022.11.11
共に暮らす呼吸する家具たち
快晴の日が続いている。
暑くもなく寒くもない。文字通り爽やかな秋の午後だ。
こんな日は家具のメンテナンス日に最適である。
無垢材の椅子やテーブル、チェストに念入りにオイル補給。
若い頃からインテリアがめっぽう好きだった。
当時は、家具といえば高価なものばかりで福岡の街にも3店舗くらいしかなかった。休日になると家具屋を訪れこのテーブルとあの椅子で張り地はもっと明るめで、その横にあのソファで、クッションカバーは質感を変えてカーテンはどの色がいいだろう。
そんな空想をしながら買える財力がないのでお店の方になるべく接客の声を掛けられないように、かわしながらぐるぐると店内を回っていたものだった。
いわゆるちゃんとした家具をやっと買えるようになったのは随分引っ越しも重ねた後のことだった。
その頃には自分の好みも把握して住んでいる空間に対してのバランス、動線パターンなども暮らしながら理解した上で、家具屋に足を運ぶようになっていた。
気に入るものは、なぜか60年代のものが多かった。
そして、素材は圧倒的に木のもの。
一気に買える財力はあいかわらずなくて、少しずつ、少しずつ揃えていった。
そんな時間をかけたインテリア探しは、私にはとても楽しくてお気に入りの家具屋に定期的に顔を出しているうちにお店の方と親しくなった。
初歩的な質問やデザインや構造の話し、工程の話し、時には世界情勢にまつわる話し、いろんな面での詳しい情報を教えて貰いながら購入していく。
ひとつずつ増えてゆき、それらに合わせたメンテナンスをしながら生活をしているとじわじわと気づいてくることがあった。
木のものは用途を持った家具に変身しても明らかに呼吸しているのです。
生き続けている。
少し膨張していたり、きゅっと縮んでいたり、なんだかかさかさと乾いていたり。
頭では知ったことでも、手入れをしながら使うと手を通してそのことを感じることができる。
そのことは、部屋を掃除することとは違った感覚で一種独特な時間なのです。
メンテナンスの途中に見つける気付かぬうちにできていた傷、どんなに気に入った家具でもそれを見つけてもさほど落ち込むわけでもなく、それがむしろ味わいや風格にさえなってゆくようで、それらを気付けば自然と受け入れている。
こんな風にして自分の人生も棚卸しをしながら確認作業をして、全て受け入れるようになったらどんなに楽だろう。
メンテナンスしながらそんなことを考えていると、塞いだ気持ちも晴れやかになってくる。
先日、長年お付き合いのある家具屋の方が納品に我が家に来られた際に、10年前に担当者から購入した椅子を見て喜んでくださいました。
え、うちの店舗のものよりいいあんばいの木の深みが出てます。
定期的にメンテナンスされてるでしょう。
少し、気分がよかった。
ものもそこに住む人と同じ時間を一緒に生きて暮らしている。
そんな気がしてならないのです。