2021.07.27
一日一生
予定していた制作スケジュールを急に変更せざるを得なくなったことがあり、1日ぽっかりと空いてしまった。
しばらく行っていないトレッキング。
新調した靴慣らしを兼ねて低山でも登るかな。
調べていたら、井原山のオオキツネノカミソリの花がほぼ満開を迎えているという。
変わった名前の花ですが、植物分類学者の牧野富太郎氏によるとヒガンバナ属の6枚花びらのオレンジシャーベット色した花。
狐のような色した花で、葉っぱは先に出て終わってしまい、後に花が咲くのでまっすぐ伸びた茎の先端にいきなり花だけという姿。
花びらはカミソリみたいな細い形をしている。
まるで狐に化かされたようだ。
そんな諸説よりこんな奇妙な名前になったとか。
いつもよりかなり早い登山口到着。
もう既に帰宅する車もある。
入山した途端に何輪かお出迎え。
そして山の中腹まで来ると、もう登れど登れど右に左に、上に下にとかなりの群生です。
行き交う人々はみんな笑顔。
今日ばかりはと何度も立ち止まり、皆さんなかなか進めない。
あまりの群生に造形ではない美に、沈黙せざるを得ない。
そんな体験でした。
オオキツネノカミソリは、梅雨明けてから7月末から8月始めにかけて咲く夏の花で、ここ井原山は西日本一の群生エリアという。
この短いタイミングを見計らって沢山の登山客が多いらしい。
偶然の仕事スケジュールの変更、天気、そして花の満開の時期。
全てが不思議に揃って前日に急遽決めたトレッキングだったが、こんなに全てが揃うタイミングは意外にも少ないのである。
暑いだろうと覚悟した山は、信じられないくらい涼しくて、四六時中ひんやりした風が吹いていて、数日ここに住みたい!そう思うほどの心地よさだった。
見上げると優しい緑の屋根の葉っぱたち。
ひぐらしが優しく鳴き、遠くには沢の流れる音。
時折美声を放つ姿なき野鳥。
足元にはオレンジ色した海のように群生する花々、
ああ、なんて贅沢なトレッキングなんだろう。
2度と同じ環境、気持ちは体験できない。
人間が居なくても植物は困らず、こんなに咲き乱れる
けれども、人間は早起きしてこうやってきつい思いをしながら登ってでも植物を見たいとやってくる。
地球環境、エシカル、サステナブル、なんて言葉が次々に出てきていますが、原点に戻る時間を持てば自ずとこの世のすべてに物に感謝と敬意の気持ちは生まれるように思う。
人間優位ではないということを、気付かされる。
群生エリアが終わると、山は一気に急登コースへ。
山頂では、360度ぐるりの景観で、雲仙、壱岐対馬、阿蘇、英彦山、そして我が家の近くの小さな鴻巣山、福岡市街一望、素晴らしい眺めだった。
実は、今回のトレッキングは、直前まで決行するか悩んだ。
前日の午後に個人的にとても親しくしている友人の身内の方の訃報が入って
かなりショックで気持ちここにあらずといった状態だった。
当然の如く登るのをやめるつもりで準備もいっさいやめた。
同行者にキャンセルの電話を入れようかとスマホの連絡先画面を出した時、ふと思い直した。
故人は故郷の山をとても愛し、幼い頃から庭のように知り尽くし歩き回っていて、いつかその山を案内してもらおう。
そんな話をしたことがあった。
そうだ。
故郷の山ではないが、私が山で明日見るものを届けよう。
そんな思いになった。
不謹慎な決断だったかもしれない。
でも、入山してから何度も故人を思いながら登った。
頂上の岩の上に立ち、ぐるりと遠くの山々を眺めていたら
故人にとって永遠という時間が始まるということではないだろうか。
そんな考えをしている自分に気付いた。
同行者には下山後もいっさい触れなかったのだが、井原山は私の中でメモリアルな山となった。
全てにありがとう。