2021.06.05
満足という豊かな循環
どんより天気や雨の続く湿気の多い季節、梅のさっぱりした酸味が恋しくなる。
そうそう。
昨年漬け込んでいたアルコールなしの梅ジュースが飲み頃になっているはずだ。
保存瓶陳列棚から下ろしてみることにした。
梅の果肉は取り出してコトコトと煮詰めて、少しだけ蜂蜜とブランデーを入れてみたところとってもいい感じのバランスになり、思わずにやり。
これは、カマンベールと相性よさそうだ。
もしくは。
白ワインのゼリーにソースジャムとして載せて、ベランダで培養中のミントの葉を飾り程度ではなくたっぷり盛り付けよう、さっぱりとした食後のデザートシメになりそう。
ならばこのデザートのためのメインは何がふさわしいか。
メニュー会議を始めてみた。
食べたい。作りたい。
頭の中の空が、一気に青空に変わったような気がした。
巷では、時短家事目的の便利調理器具があふれている。
便利な器具を使い時間を確保し、やるべきことやりたいことに集中するのもよかろう。
私自身はというとフリーランスの特権を活かして、なるべく行為自体の時間も含めて楽しもうと思うタイプなので、レンジも炊飯器も電気ケトル、トースターも全て処分した。
キッチンはびっくりするくらいすっきりなった。
キッチンのスペース以上に明らかに心の中の空間が広がったという感覚が衝撃的だった。
テレビのない生活は気がつけば10年に。
だからといって不自由さを感じた事はない。
自家製なるものを少しずつ増やしてゆくと味覚が冴えてくる。
正確には、区別がつきやすくなると言った方がよいだろう。
たまに気分を変えたくてできあいのものを購入することもある。
?ちょっと違う…何が違うのかなあ…
裏面の賞味期限の日付を見ながら、期限内に消費してしまう自信のなさが充満してくる、次に食品ロスの言葉がよぎる。
買ったその日にのうちに気分で買ってしまったことを後悔するという結末になる。
決して自家製が美味しいという自慢話しではなく、ただ食して自分の安心する味であり、満足感が得られるということだけ。
この満足感というものは、きっと時間をかけて作ったというところが大きいのではないかと思う。
満たされるには、手間と時間を惜しまないということが基本ではないだろうか。
それはあらゆることに通じているように思う。
簡単に手に入るものには、気持ちの置き所がなく簡単に捨ててしまいがちだ。
全ての時間には奥行きが内在している。
そこは、気持ちや心が寄り添う最適の場所だと思う。
誰かが誰かのために使った時間。
その時間を味わうことができる豊かさが人を真に満足させる最大の力。
満足という豊かさの循環が途切れない、そんな世の中であり続けて欲しい。
モノ作りの端くれがそんな願いを心に思ふ、水無月の今宵も曇り空。