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Necklace & Choker

2018.07.24

 

 

 

少し前にご紹介しました夕霧草のシリーズものです。

 

 

 

 

 

テッセン。

お洋服を引っ掛けてはならないと、ずいぶんシルエットはデフォルメしたところ、別な花のイメージに近づいてしまったような。

 

どちらかというと、百合?

 

ちなみに夕霧草と並べてみますと。

 

 

自然界にある万物たちは其々に美しい。

テッセンも夕霧草も大好き。

 

でも、一番好きな花は実はスミレ。

シルエットもステキだ。

 

よく考えてみればどちらも紫色だ。

そして、改めて考えてみると我が家のインテリアのベース色は、これらの花と同じ紫色と深い深い茜色がメインになっている。

 

幼い頃から不思議とピンクや黄色を好まなかった。

成人式の着物を選ぶにあたって、どれが好きかと母親に尋ねられ、選んだものは裾から腰に向かって濃い紫がだんだんと薄く立ち昇ったようなものだった。

 

私の選んだ着物を見た母親がひとこと。

 

そんな地味な色はダメよ。

おまけにそれは留袖じゃないの。

 

 

振袖には、好きな色がひとつもなく決めるのにとても時間がかかった記憶がある。

 

しかし、今思えば装いに関してはその年齢でしか味わえない色があるのではないかと思える。

 

 

 

 

2018.07.18

 

 

体温とほぼ変わらない気温の日が続いております。

 

暑中お見舞い申し上げます。

 

日本の四季はそれぞれに、誇るべき美を携えていたはずですが、これではまるで亜熱帯地方のようです。

夏の風物詩のひとつ、花火をモチーフにした軽めのチョーカーです。

 

 

 

 

 

 

 

花火に浴衣。

線香の香り。

風鈴。

スイカ。

 

7月に突入したかと思いきや、あと10日ほど。

秋からの個展に向けて、汗びっしょりで制作中です!

 

本日は、花火チョーカーのご紹介でした。

 

 

 

 

 

2018.07.04

 

 

 

水滴ペンダント。

 

表面張力ぷるっぷるの水滴をイメージして、3つの水滴が隣の水滴に吸い取られて、今まさに2つになった瞬間。

 

 

 

 

 

少し長めのペンダントです。

磨きは抑えめなので、ボリューム感の割には主張が過ぎる感じはないです。フォルムラインも曲線なので、量感の割には、やわらか。

 

装いのテイストも偏らずに、カットソー、ワンピース、冬はコート下のタートル、ボタンをきっちり閉じたシャツの上からと、柔軟なスタイルにこなせるのではないかと思います。

 

梅雨もそろそろあけるかな。

 

そんな気分で、水滴ペンダント。

 

 

 

 

 

2018.06.27

 

 

 

雨上がりの早朝。

 

バニラ色の空から地上に顔を出す寸前の朝陽が届く。

葉の裏にぽっつりとたまった朝露。

 

ゆらゆらと揺れる。

近くの景色を全て包み込んで、ゆらゆらと揺れる。

 

息をひそめてのぞき込む。

 

ひとつ。ふたつ。

今朝は、たくさんの朝露の実がなっていた。

 

やがて朝陽は昇り、ここにもそこにも街中全て、それらの裏側にまでも届いていた。

気がつくと、朝露の実は、消えてしまっていた。

 

幻のような実。

また、明日も見れるだろうか。

 

 

 

 

 

朝露チョーカー。

 

 

 

 

 

2018.06.21

 

 

夕霧草。

 

線香花火のように咲く深い紫色した夕霧草。

日本の花の名は誰がいつ頃つけたものだろうか、とても情緒のある名が多く、花の名は和名の方が気になるたちだ。

 

漢字になったものを目にすると、まるでその花の姿そのものに見えてくるものや、音で聞くより生息環境などを理解できるもの、その花の性格までもを表しているように思えたりする。

個々の花、その生き方や物語を感じさせる。

まるで人のようでもある。

 

 

 

 

 

食卓の一輪挿しに飾る夕霧草は、音のない小さな花火のようだ。

花の向こうに茜色の空が見えるような安らぎが漂う。

 

空間を邪魔をしないそのバランスの取れた存在は、洋花にある誰が見ても感じる魅力とはまた異なる。

この花には、夕暮れ時に誰もが感じるあの名残惜しさや寂寥感のようなものが少しだけ混じっている。

 

そこの部分がどこか安寧する故かもしれない。

 

人もそうだ。

いつもいつも元気で前向きで笑っていられたらよいのだが、実際そんな方がいると時に重たく感じるものだ。

寂しさのようなものや不安を垣間見た瞬間、その人のことをより人間らしく近くに感じるもので、ふと寄り添ったような気持ちになる。

 

人が持ち合わせている孤の部分は、生身の人間であるという証しのように思う。

過剰に演じたり、偽る必要はないのではないだろうか。

 

内なる孤を抱きしめる。

そんな気配のするものを無意識のうちに選び、身の回りに置くようになってきた。

 

 

夕霧草。

宵の刻、今日もどこかの食卓で小さな音のない花火があがる。

 

 

夕霧草ペンダント。

 

 

 

 

 

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