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Ring

2017.09.26

 

 

 

 

5本の指の中で一番長い指、中指。

この指は、第2関節が発達している割りに指の根元は細い。

これは殆どの方がそうであろうと思う。

 

 

 

 

リングはどこにはめたらよいのですか?

という質問をしばしば受ける。

人の手が持つ表情は、千差万別、同じリングでも収まりのよい場所というものはそれぞれだ。

案外、人の隠れた内面が手には表れているような気がする。

そういったものをまとった手とはめた時の全体のバランスでアドバイスさせて頂いている。

私のリングをはめる定位置は、右手の人差し指と左手の小指か人差し指、ごくたまにくすり指。

 

個人的には、あまりつけることのない中指のためのリングというものを考えてみた。

 

 

 

邪魔じゃない?

 

これが隣の指となる人差し指とくすり指の上下の動きとのバランスで案外邪魔にならないと分かり、仕上げてみました。

 

紐タイプのペンダントトップでも楽しめる。

 

本日は、変わり種の新作リング、タイトルは結ぶ。のご紹介でした。

お目にかかれる機会ございましたら、ぜひご試着して遊んでくださいませ!

 

 

 

 

2017.07.17

 

 

 

初めて訪れたその街の交差点。

シグナルが青になるまで立ち止まると、深呼吸をし、大げさなほど視線を上げてみた。

 

 

 

 

 

 

頭上には摩天楼に絡まる5月の真っ青な空。

現代アートの幾何学模様さながら。

 

この街に初めて立つ人は、きっと感じるだろう。

踏みしめる足の根元から湧き上がってくる何かが、背骨をすっと通り天へと抜ける。

 

今、マンハッタンに立っている。

ただそのことだけでも、自分の可能性に強く訴えてくるような街。

 

 

学生の頃、寮生活で親しくしていた友人の部屋に、いつ訪れても貼ってある決してはがされることのない大きなポスターがあった。

飾り気のない部屋にひときわ目立っていたそのポスターは、ブルックリンから撮影したマンハッタンの煌めく夜景だった。

 

深夜まで話し込んだある時、彼女がポスターを眺めながら私にポツリと言った。

 

私は、あの夜景のひとつになりたいんだ。

 

彼女の強く秘めた思いを聞いた私は、彼女の口からはおそらく2度聞くことがない言葉のような気がして、ポスターへ向けた視線を彼女に移し、ただうなずいただけだった。

 

初めて私がマンハッタンの交差点に立った時は、あのポスターを2人で眺めた時から15年が過ぎた時だった。

 

 

 

 

そして、今、更に15年が過ぎた。

 

今でもマンハッタンに立つと、足元から背骨を通り天へと通り抜ける何かを感じることが出来るのだろうか。

 

なんとなくそのことを知るのが怖い気がする。

人は、時間とともに見える景色が変化してゆく。

それに伴い、感じる心も変化してゆく。

 

若いうちに1度はニューヨークを訪れろと先輩が言ってくれた言葉。当時より深く理解できる。

 

 

15年目のリメイク。

マンハッタンリング。

 

 

 

 

 

 

2017.05.16

 

 

 

気分。

 

 

 

今日は、こんな気分。

ちょっとそこまでだけど、これをつけて行こう。

うちの中のやるべきことを全て済ませて、一息ブレイクのお茶。

出かけてまでするお茶はちょっとな、お天気も良いしお家のベランダに椅子を出して青空を仰ぎながらうちカフェ。

そうだ、これつけてベランダカフェ。

 

そんな風に使うアクセサリーがあっても良いと思う。

 

 

 

まさしく、気分をシフトするアイテム。

アクセサリーの中では、自分も見て楽しめるリングがベスト。

リングをはめた手を眺めながら、少しマニキュアを塗ってみようかな。

そんなこと思ったり。

香りのいいハンドクリームを塗ったり。

 

女性は、そんなちょっとした行為と隙間な時間で、気分を楽しめる生き物。

 

あまり作らない極細ラインのピンキー。

思わず自分仕様も作っちゃいました。

 

そう。

今日は、こんな気分だったのよね。

 

 

It is today’s feeling!

feeling!

feeRing    !!

 

 

 

 

 

 

 

2017.05.10

 

 

 

 

 

 

お母様から譲り受けた思い出の石という事で持ち込まれたアメジストをベースに、フルオーダーの依頼を受けていました。

 

 

 

 

ずいぶんとお待たせしましたが、石のカットがとても面白かったのでそのカットと形をなるべく生かしたデザインで仕上げました。

 

 

 

 

腕の部分も石のカットと連動するような彫りを入れ、指のサイドからチラリと見えるデザインで、石の重さの負担が指にかかり過ぎないように、なるべくつけ心地が楽な腕の幅でまとめました。

 

私が石をほとんど使わない理由のひとつとして、カットが好きなものが少ないからである。

石を拒絶、否定しているわけではない。

 

石ものはデザインと石自体がきっちりマッチしてるという声を聞かないと、作り始めないようにしている。

誰の声?

石の声です。

勿論、実際に聞こえるわけではないが、伝わるんです。

石がデザインを認めてくれないと動けない。

そんな気配を感じる。

 

生き続けているんでしょうね。

石がデザインを選んでいるのだろうと思う。

石にも意思がある。

あ!ダジャレのつもりではありません。

 

銀という最も普遍的な素材を使って仕事をさせて貰っているのだが、やはり素材に助けられながら、ひとつひとつが完成してゆくようにこの頃強く思う。

たかだか20年そこそこやったところで、素材を操るなんてとんでもないことだと、改めて思うのである。

鉱物が生きている年数や時間軸に比較すると、あまりにも浅すぎる。

 

しばらくぶりにカットや色味、質感のバランスが好みのターコイズをこの頃仕入れられた。

近く形になってご紹介できますように、石に選ばれるデザインをじわじわと考えようと思う。

 

 

 

 

 

2017.04.17

 

 

ここのところ、翔ぶことがテーマになっているものが多いかもしれない。

 

 

 

鳥の巣の中に希望という命あり。

そんなイメージのリング。

 

実はこのリング、定期的に同じデザインソースで作っているものだ。

駆け出しの頃、そして、今から8年前。

今回で3回目だ

残念ながら、過去の画像は壊れたパソコンの中にあり引き出せない。

 

同じデザインソースのものを今のフィーリング作ると、過去と何が変化しているのか客観的に知りたい。

且つ、どれくらいの時間を要して、全体をまとめられるか。

そんな目的もある。

 

 

 

毎回、一点だけ作っている。

 

 

答えはいつも自分の中にある。

賢者たちが表現するこの言葉。

個人的には、答えまで到達できず、開眼するような思いは経験できないが、自分の中に潜り込みそこにあるものたちを引きずり出すことで、さまざまな感情と出会う。

いつもの寝具にくるまれているような安堵感であったり、うごめく挑戦への温度を感じたり、変調の兆しであったり、毎回、完成するまでの時間の間に答えのたまごなるものを捕まえて這い出す。

 

 

デザインは、生き物だ。

取引先のオーナーがよく口にされるとても感慨深い言葉が、ふと頭の中をよぎる。

 

潜り込んだそこが虚空でないことの確認は、

鳥の巣の中に希望という命あり。

私にとってまさにこのリングそのものだ。

3度目の今回、そのように思った。

 

これが、賢者のいう答えなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

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