2021.02.24
ケルン
もしか或る日、
もしか或る日、私が山で死んだなら、
古い山友達のお前にだ、
この書置を残すのは。
おふくろに会いに行ってくれ。
そして言ってくれ、おれは幸せに死んだと。
おれはお母さんのそばにいたから、ちっとも苦しみはしなかったと。
親父に言ってくれ、おれは男だったと。
弟に言ってくれ、さあお前にバトンを渡すぞと。
女房に言ってくれ、おれがいなくても生きるようにと。
お前が居なくてもおれが生きたようにと。
息子たちへの伝言は、お前たちは「エタンソン」の岩場でおれの爪の跡を見つけるだろうと。
そしておれの友、お前にはこうだ。
おれのピッケルを取り上げてくれ。
ピッケルが恥辱で死ぬようなことをおれは望まぬ。
どこか美しいフェースへ持って行ってくれ。
そしてピッケルの為だけの小さいケルンを作って、その上に差し込んでくれ。
フランス登山家 ロジェ・デュプラ
初めてこの詩を知ったのは、井上靖 著の「氷壁」でした。
ひらがなを交えた表記にしていますが、小説の中では漢字以外は、旧カタカナの表記となっていました。
胸がつかえて、涙が盛り上がるようにして瞬く間に溢れ出し、読みなれない旧カタカナ混じりの文字が涙で滲み、流れるように読み進められなかったのを今でも覚えています。
フランスの登山家が遭難し、そこで書き残した詩が事実上遺稿となったもので、登山家たちの中ではとても有名な詩とされていて、小説「氷壁」の中でも引用されていました。
ケルン。
登山の経験はない方でも、登山のドキュメンタリーなどで登山ルートや頂上に積み上げられた石を見たことがあるのではないでしょうか。
ケルンには、意味がふたつあると言われているらしい。
ひとつは、登山ルートに間違いはないという道標の意味。
そして、もうひとつはこの詩の中に出てくるように、慰霊碑の意味。
ケルンの石の下には亡くなられた方の慰霊の品などが埋めてある。
この辺りは危険です。注意してください。そんなメッセージを含んでいる。
何度となく山を歩きながらこのルートであっているのかと不安にあることがあるのだが、ケルンを見つけた時は物言わぬ友を見つけたようで、ほっとするものである。
私は危険な山を登るほどの実力と経験がないので、ふたつめの意味を示しているようなケルンには出会ったことはない。
いや、低山でも危険なことはたくさんある。
どんなにベテランでも一瞬のことで危険と化す。
既にふたつめの意味のケルンを何度となく目にしたのかも知れない。
この詩は登山家ロマンとしてうつりがちだが、どこかで現実に起こることだという緊張感をぴんと走らせながら、敢えて登山パートナーとテントの中で詩を暗誦するもののようだ。
視界もよく迷いそうなルートとは思えない場所で機嫌よく歩いている時、不意に出会う立派に積み上がったケルン。
その時、
もしか或る日。
の詩を思い出すのである。
平和であり続けた日常、足り過ぎた日常。
この1年間、我々に幾つものメッセージを携えたケルンが、誰の心にも積み上がっているのではないだろうか。