2020.01.29
迷子
先日、東京行きのフライトで機内誌に掲載されていた伊集院静氏のエッセイを読み、思い出したことがあった。
2年ほど前のこと。
そうか今日はクリスマスか。
夕刻、外出先から帰宅途中に気がついた。
ということは今年もあと1週間で終わりなのか。そんなことを思いながら自宅マンションの近くの小さな横断歩道の手前を通り過ぎようとした時、ふと視界に小学生位の女の子と目があった。
女の子は、私と目があった途端、顔をくしゃくしゃにして今にも泣き出しそうな顔になった。
どうしたの。
今まで我慢していたのだろう。
大人に声をかけられてほっとしたのか、一気にしゃくりあげながら泣き出した。
おうちはどこ?
お母さんがいない。
ここで待ってなさいて言われた。
妹が熱が出たから、病院に行った。
バレエのレッスンが終わったらここで待ってなさいって。
女の子の断片的な話をまとめると、彼女は自宅マンションの駐車場で母親と待ち合わせをしていたようだ。
妹が熱が出たので3人で病院に行ったけど、順番が回ってくる間に彼女の習い事バレエの時間になり、ひとりでレッスンに行き終わったら、病院から戻った母親と妹がマンションの駐車場で待っている予定だったようだ。
しかし、病院が長引いたのか母親も妹もいなくてマンションの鍵がないから部屋にも入れない。
おうちの電話番号も母親のケータイ電話番号も分からないという。
冬の夕刻、あたりはどんどん暗くなっていた。
さぞ心細かった事だろう。
病院にもう一度一緒に行くことにした。
女の子は少し落ち着きを取り戻した。
象さんの絵の病院だよ。
道は分かる。
女の子が歩きだした。
病院に着いたが、母親も妹も居なかった。随分前に帰ったようだった。
病院の受付の方に自宅や母親のケータイに連絡してもらったが、電話に出ない。自分のケータイ番号をとりあえず知らせて病院を後にした。
あたりは真っ暗だった。
もう一度待ち合わせ場所に戻って、しばらくして来なかったから、寒いから我が家で連絡があるのを待った方がいいかな。
そんなことを考えながら女の子を最初に見かけた近くまで来たら、女の子がちょっと落ち着いた小さな声で
あ!お母さんだ!
と、呟いた。
小さな横断歩道を渡ると、妹をベビーカーに乗せたお母さんが
ああああああ、ごめんね。ごめんね。もうどうしようと思ったのよ。
母親は女の子と私を交互に見ながら、泣きだした。
胸が張り裂けそうなくらい心配して心配して、我が子を見た途端、力が抜けるほどほっとしたのだろう。
声もうわずりながらしどろもどろで私にお礼を言う母親の顔を見ていると、母親の経験はないが、なんだか分かる気がして思わずもらい泣きしてしまった。
機内誌のエッセイの内容は、伊集院氏の子供の頃、父親の仕事が終わるまで動物園で時間を潰し閉園になったらベンチで待っているように言われて待っていたが、なかなか父親が迎えに来なかった。
なぜか、自分は捨てられたのかもしれない。
そんなことを思った。
そんな内容だった。
子供の時分には、不思議とそんなふうに思うことがあるものだ。
きっと、女の子もそんな気分になっていたのだろう。
自分が待っていることに誰も興味を示さず通りすがるひとたち、あたりは日が暮れてどんどん暗くなる。
子供にとって、夜、暗くなってくると不安は倍増だ。
街のマンション暮らしとなると、お隣さんで子供をみててもらうと言うわけにもいかないし、マンションもオートロック、自宅玄関にも辿り着けない。この頃の子育てもなかなか大変なものだなあ。
子供は子供で、知らない人についていかないようにと言われているだろうし、私もあのまま母親と会えずに自宅に連れて行ったら誘拐犯として疑われたりしたのかも。
子供だけではない、大人も不安や心配、面倒さが溢れる世の中で生きている。
迷子の多い時代になったのかもなあ。