2020.01.15
ポルトガル旅譚その3
街のあちこちで目にするアズレージョも素晴らしかったです。
こちらがポルトのサンベント駅。
ぐるりのアズレージョは圧巻でした。
駅に着いたのに、あまりに素晴らしくなかなか駅から出れずにポルトの滞在時間がどんどんおしてしまったという。
こちらは、教会。
そしてガイヤ地区にあるかのポートワインのワイン畑。
できたポートワインの樽をかつてはこの船で向こう岸に運んだらしい。
スイーツはどれも甘すぎずとってもホームメイドに近い味で、信じられないくらい安い!
ポルトガルは基本がオーガニックなものばかり。だから安心して食すことができるものばかり。
しかし、ボリュームが半端ない!
こちらはエッグタルト、ナタで超絶有名な創業1837年のリスボンのベレン地区のパステル・デ・ベレンのパステル・デ・ナタ。
すぐ近くに鎮座するジョロニモ修道院からの配合と作り方を守り続けているナタ。
ここは、人生で訪れたカフェで未だかつて知り得ないほどのおそろしく広いスペースで、座席数も半端ない。店内は迷路のようでした。
しかも、観光シーズンでもないのにほぼ満席!
夏のバカンスシーズンは道路はぐっちゃぐっちゃにごった返すそうだ。
確かに、よそのナタとは全く違ったのです!
通訳業の友人はにこにこしながら私は2個食べるわと注文。
納得。これ、2個は全然平気。外はパリッパリッで中は焼き立てであったかいのです。そして、甘すぎない!
当店にナタはございません、パステル・デ・ナタでしたらございます。
と、パステル・デ・ベレンのスタッフが言ったとかなんとか。
そして、こちらはジョロニモ修道院です。
こちらもかつてヨーロッパのあちこちで見た修道院の中でもすごいスケールで驚きました。
この修道院の前には、かつてポルトガル歴史の黄金時代、大航海時代にエンリケ航海王子率いる数々の船が出航した場所、発見のモニュメントがあります。
モニュメントの広場には、足元に世界地図のモザイクがありました。
大航海時代に発見された多くの大陸の年代が記入してありましたが、日本は1541年となっていました。1543年と覚えたような気がするんだけどなあ。
サバ読んでるのかなあ?私の記憶が間違っているのかなあ?
ここから出航した船のひとつが我が故郷鹿児島県の種子島に漂着したというわけですね。その頃、日本は戦国時代。この時、種子島に鉄砲なるものが伝来されて、戦いのスタイルが一気に変わったというわけですね。
加えてキリスト教も布教されていき、統率ができなくなり、鎖国、開国、明治維新、といった流れになったわけですね。って、これ正しいかな?汗。
手前の教会には、教科書でお勉強しましたバスコ・ダ・ガマが眠っています。
以上、ポルトガルの旅譚でした。
さあ、今月も月半ば。
ポルトガルで体験した諸々を咀嚼していつか形になってくれますように。
と、私が私に願う次第である。