2019.10.12
道しるべの術
道しるべ。
人が興味を持つこと。
それはその人にそのことそのものへの能力と可能性が与えられている証であるらしい。
行動をひとつ進めるために、やってみようかという湧き起こるわくわくした感情、いったいどんなことなんだろう、知りたいという欲求、それらが能力や可能性への導きのサインとして表れているらしい。
そこを一歩踏み込むことから、全てが始まる。
全く才能の見込めないものに関して、人は興味を抱くことはないのだとか。
なるほど、それなりの時を生きてきて思うのだが、ふに落ちる言葉であるように思う。
ただ、その時機というものは人それぞれであり、生まれ持った気性も起因しているのかも知れない。
様々な条件や環境が整い勢い行動に移せる時と、気持ちの整理もつかぬまま駆け出して気がついたらその世界に居たり、すっかり忘れてしまうほどに現在に忙殺されているふとした間に入り込んだ過去の自分が切望していた様子が可視化してきたり。
様々な時機の中でも再びサインを得る。
イメージができることは、可能であり、それは叶う。
目を開けていても見えるほどにイメージすること。
そのことが、未来を作る。
そんな言葉もよく耳にする。
啓発めいた言葉であると思われるかもしれないが、実はこれも事実であると私は思っている。
寧ろ、極々ささやかなこととはいえ私も何度か体験したことがあるので、事実である。と、言い切ってもよいかもしれない。
道しるべ。
それは、私たちが生まれた時からずっと裡にもっているものであるようだ。
外にあるものは、サインへの気づきの更なるヒント。でしかないようだ。
サインの更に裡にあるもの。
道しるべが伝えるファーストインプレッション。
その瞬、私は何をどう感じたか。
蔑ろにしてはならない。
封じ込めてはならない。
私が私にサインを発している。
それを留めるようにしよう。
理屈や論理で説明できなくてもいい。
だからこそ確かであり、疑う必要がない。
それが人が心の裡に持ち合わせた道しるべであるのかもしれない。