2019.05.27
鹿児島個展のお知らせはふたつ戻ってね!!
自分の足で立ち、歩くこと。
味わった感覚を体中に染み込ませること。
触れた感触を心で感じること。
日々の生活の中で何度となく巡ってくるこの体験は、全く同じものはないというのにどこか気もそぞろになり、ないがしろになりがち。
全てに意味づけを求め無駄を省きたがる現代では、ただシンプルにその行為を味わうことを忘れがちだ。
正確には、どこか損をしているいうような気分になり、更に何かを盛り込むことでしか充実感を得られなくなっているほどの気忙しさだ。
リラックスするべき入浴時も美味しい食事の前でも、ともすれば睡眠前のベッドの中で目を閉じてさえも、頭の中は閉じることはなくせわしく別なことに意識がとらわれていることにふと気付く。
頭の中の幾つもの扉を開けっ放しで日常を過ごすことを 、少しの瞬間でもよいから手放さなければ。
そう改めて感じることを体験した。
先日、沢沿いを歩きながら流れる水の音が耳に心地よく、水の在り処まで近づいてみた。
水があまりにも綺麗で、触ってみたくなった。
ひんやりして気持ちよかった。
掬って口に含んでみた。
顔を洗いたくなった。
靴を脱ぎ、足を浸してみたくなった。
水はびっくりするほど冷たくて、身体中をのろのろと進んでいた血が一気に快活に流れ出し、まるで血そのものが入れ替わったような気分になった。
なんて、気持ちいいんだろう。
頭の中まですっきりした。
うぅうー、きもっちいい!!!
早く、早く、やってみて!
友人に半ば強制するかのように、思わず声を張り上げていた
慌てて靴を脱ぎ始めた友人の顔は、期待でほころんでいた。
そこら中にきゃあきゃあと黄色い声が鳴り響く。
気温は30度近い。
それから車に乗り込んでも1時間近くは、体中がシャキッと気持ちよくそのくせ、頭の中はめったにないほどリラックスしていた。
行き交う車は全てエアコンをかけているのか、窓はきっちり閉まっていた。
身体中に行き届いた冷たい沢の水を味わっていたくて、車の窓を全開にした。
犬がよくするように車の窓から顔だけを出し、目を細めながら顔を撫でる風をいつまでも感じていたいそんな気分になった。
こんな体験をした日は、即物的なものへの価値が落ち、これ以上の贅沢はないと思えるほどの満たされた気持ちになる。
ただ、沢の中の水に触れただけなのに。
シンプルな行為に満足感や充実感を得られなくなったら、人はどうなるのだろう。
犬のポーズで茜色の空を見ながら、ぼんやりと考えた。