2019.05.18
鹿児島個展のお知らせはひとつ戻ってね!
この頃しばしば話題にする山譚。
他人に登山と言ってよいのかどうか躊躇する、まだまだトレッキングな域であるのだが、初めての山はどんな出会いがあるのかという楽しみと同時に無事に登山道を辿り下山することへの緊張感がある。
山道には曲がり角にコンビニがあるわけでもなく、横断歩道や標識があるわけでもない、交番もなければ道を尋たい人と都合よくすれ違う保証もない。
季節が変わると目印になるほど繁っていた木も、ガラリと様子を変えてしまい方角が不確かになる。
雲がたちこめてくると前方の視界も悪くなる。
雪山などは、想像しただけで恐怖だ。
当たり前じゃない。だから遭難事故が起こるのでしょ。
そう思うかもしれない。
頭で理解できていても、実際その場に身を置くと全身でその事を感じ、改めてぞっとする時がある。
遭難は、山の高さや経験値に関係ないと経験豊富な方が語る。
私はまだ低山ばかり選ぶようにして登っているのだが、地図が読めるようになりたいと思い始めた。
読図というらしい。
登山学校のクラスに参加するつもりだったが、タイミングが合わず今回は見送り、とりあえず一番わかりやすそうな本を手に入れてみた。
現代は山に特化した地図アプリを何社も出している。
山でスマホを出してみる事に最初は抵抗があったが、使ってみると山先輩達の助言通りなるほど確かに便利で優秀だ。
この頃では、地図や方位や高度、気圧、気温、脈拍、全てをスマホではなく腕時計で管理。
スマートウォッチへと進化推移している模様。
これらを使うことで安全確保にも繋がる仕組みとなっている。
真っ向からアンチテーゼをふかすのは、あまりスマートではないと思い始めているところだ。
しかし、これらはスマホやスマートウォッチが正しく機能することが大前提。
つまり、充電は必須。
万が一。
を意識すると、やはりテクノロジーに完全に頼るのはキケンだ。
というわけでまずは本にて、読図の下勉強開始した次第である。
早速、大型書店に出向き、過去に登った山エリアを探し、国土地理院の作った地形図なるものを、地形図専用の棚の抽出しからするりと一枚抜き取ってしげしげと眺めた。
本屋に行ってもこの棚の横を通ることはあっても、開けたことなどなかった。
渋い。
集めたくなる。
地図好きな私、棚の前で座り込みひとりこっそりと悦に入っていたら、小学生くらいの男の子と父親らしき男性やってきて、どこかの地形図を探し始めた。
パパ、あったよ!
よし、一枚取って。
さ、行くぞ。
親子の背中を見送りながら、今まで意識もしなかった世界の片隅に自分がいることを確認した思いだった。
読図は、慣れてくると地形図を見るだけで3Dで山の形状が読めてくるのだとか。
それは、さぞ面白いだろう。
頭の中でイメージしたものを体を動かしながら実体験とあわせてゆく登山は、それが出来るものにしか解らない愉しみとなるのだろう。
早くそうなりたいものだ。
と念じつつ、読図の本を開き少しずつページを読み進めるのであった。