2018.04.28
食卓の美
数年前のこと。
古道具屋で、3寸にも満たない可愛らしいサイズ感の塗りのお椀を、びっくりするくらいの破格で手に入れていた。
輪島の昭和50年くらいのものだろうとお店の方は話していたが、既に縁が少し剥げかけていたこともあり、安価な設定にされていたのだろう。
子供茶碗だったのだろうか。
今は、なかなか見ない珍しいサイズだ。
現代の輪島はなかなか手に入れられないが、これだったらいずれ漆職人に塗り直しをして貰えば遜色ないものになるだろう、ちょっと珍しい木地を安く手に入れたそんなつもりでしばらく愛用していた。
そろそろ塗り直しをどなたかにお願いしたいなあと思っていた折、陶芸家の友人に誘われて、後輩であるという関西出身の漆作家さんの個展に行った。
驚いたことにこの作家さんの作品を、すでに私は持っていた。
しかも、作家さんにお会いして気付いたのだが、ずいぶん前に兵庫県での大きなイベントに一緒に参加していたことも発覚し、人と人の不思議なご縁と世の中の狭さにほんとにびっくりした。
そこで、作家さんご本人とは何の縁もないのだが、このお椀の塗り直しをお願いできるかと尋ねた所、快く引き受けて下さったという、そんないきさつを経た昨日。
欠けや割れ、下地の補修、中塗り、上塗りと、すぐに剥げないようにととても丁寧な仕事をして頂けて、完全なる新品になって手元に戻ってきた。
こんなに変身するものなのかと、驚き、そして、お願いしてよかったとしみじみ嬉しかった。
色味も落ち着いた感じになって、益々愛着が湧いてきた。
塗り物は、扱いが難しいと敬遠されウレタンで代用されがちだが、しっかり拭きあげるだけで、何も特別、面倒なことはない。
使えば使うほど艶を増してくる。
どこか銀と共通しているように思う。
何よりも、日常に使いながら改めて思うのだが、料理がとても美しく見える。
家庭料理の献立でも、塗り物に盛って出すと決まってお客様は喜ばれる。
日本人は、食事の時に箸を使う。
この事は、両手でナイフとフォークを使い、テーブルの上のお皿は置いたままで食すことが基本の西洋とでは、食卓に並ぶ食器たちに大きな影響を与える。
これは、何を食べるかというよりも最も重要な違いではないだろうか。
一方、お箸の国日本では、器を手に持ち食事をするシーンが多々ある。
その時に、器も持ちやすく、軽く、たとえ料理が熱くても器が必要以上に熱くなることもなく頂ける漆器は実に優秀だ。
心なしか箸使いも美しく見えるもの。
日本の食卓に洋食器が果たしてどの位必要なのだろうか。
私自身、もちろん洋食も作るのだが、我が家には洋食器が殆どない。
書物、陰翳礼讃の中にも漆の椀の吸い物の色と灯りの関係が生む、日本独特の美について記されているが、実にうなづける話であったのを記憶している。
夜の柔らかな照明の下で見る漆は、中塗りの色がふんわりと浮かび上がり、なんとも奥行きのある美を見せる。
昼間には、見せない表情だ。
磁器には、見出せない奥行きではないだろうか。
このように欠けや塗り直しをしながら代々使うことができる器。
改めて先人たちの知恵と技術に敬意を感じる。
我々が日々の生活で使い実感することで、継承されてゆく伝統技術のひとつだと思う。
気に入ったものを長く使うことは、とても気分がよいものです。
生活の目線、ひいては生き方の目線へと広がり、与えられるものは計り知れない。
手仕事のものたち。
やっぱり、私は大好きなのです。
お世話になった漆作家 林 源太さんのhp