2018.04.08
たたずまいに惹かれて
大分県別府の竹細工は、これまで見て知る限り日本でも誇るべく素晴らしい技術だと思う。
数年前に、別府に住む友人に連れて行ってもらった竹工芸館に展示されていたものは、ものつくりの端くれのわが身には、身の締まる思いのするものばかりだった。
手に入れるとなると、それなりの値がする。
しかし、訪れた竹工芸館で国産竹の材料確保や作業工程、技術の丈を知れば、当然のことだと思えた。
九州の人間としては、いつか大分の竹細工は手に入れたいと密かに思っていた。
先日、全く別な用事で出掛けた先で、偶然出会ってしまった。
小ぶりで、かなり丈夫に作り込まれた亀甲編みの白竹の籠。
籠としてはもとより、室内のしつらえ、収納、花かご、幅広い用途が期待できそうだ。
何よりも、たたずまいがよかった。
輸入緩和に伴い、一気に欧米化した生活や食変化。
しばらくの間、日本のものは古くさい、そんな風にして片隅に追いやられて居場所が小さくなっていた。
欲しくてもどこで現物を見れるのか、どこに売っているのか、誰が詳しいのか分からない。
インバウンドツーリストが増えてきた今、また改めて注目を浴びている日本の伝統技や民藝のあれこれ。
私にとっては、有難いタイミングである。
私は、日本人だというのに、知らない事が多すぎる。
かつての生活様式にどのようにして利用されていたのか、メンテナンスの仕方、素材の特徴。
竹とひとくちに言っても、ものすごい種類があるらしい。
気候の違う九州と東北では、作られているものも違うようだ。
道具が道具として機能を果たすには、扱うものがそれ相当のやるべきことを怠ってはならない。
そんな責任のようなものを感じつつ、自分なりに楽しもうと思う。
少し残念に感じたのが、販売する方が、そんな何も知らない私の持つ素朴な疑問や質問のどれにも答えられなかったことだ。
尋ねる度に、作者や卸先に連絡をとっていた。
しまいには、尋ねるのが申し訳ない気持ちにすらなってしまった。
九州に住んでいてもなかなか目に触れることのできない九州の民藝はたくさんある。
使い手が居てこそ、廃れることのない技術。
継承されるか否かは、第三次産業者の力にかかっているように思う。
ただのブームで終わって欲しくない。
そう思うのは私だけだろうか。