2019.03.13
北九州個展のお知らせは、ひとつ戻ってね!!
2度目に訪れたスイスでは、ぜひ手に入れたいものがあった。
銀色のシンプルなフォルムで、品の良い繊細な柄の彫りのカランダッシュのペン。
本当は、ずっと万年筆が欲しかったのだが、なかなか気に入るものが見つけられず、字も上達せずでどことなく諦めてしまっていた。
でも、この年齢になってくると、ボールペンでは済まされないシーンが度々出てきて、やはり万年筆に代わるものを持っておかなければと思い始めていた矢先に、スイス製のカランダッシュというペンメーカーのものを知った。
もちろん日本の文房具店でも、ネットでもポチッと購入できる。
でも、私は文房具店そのものがとても好きで店構えが気になる。
購入は次回のスイスの旅まで待つことにした。
チューリッヒで訪れた老舗文房具店は、内装もお客様も店員も全てジェントルマンな雰囲気が充満していた。
大声で話す人は、誰もいない。
子供さえ大人のようなふるまい。
まるで図書館のような空気感だ。
9身頭と思われる抜群のスタイルの販売員の女性は、試し書きをするための机と革張りのゆったりとした椅子のコーナーへと案内してくれた。
なるほど。
文字を書くシーンに忠実な環境で、試し書きをさせてくれるのか。
考えてみれば当たり前だ。
そもそも立ったまま試し書きして購入というのも、おかしな話だ。
100円の使い捨てペンじゃないんだから。
書き味、重量感、たたずまい。
文句なしに好みであった。
繊細な彫りの模様も、迷うほどの種類でどれも魅力的だった。
買い物決断の早い自分にしては、ずいぶん目移りした。
中でもこのメーカーのペンを個人的に高く評価した点は、実はキャップを閉めた時の音だ。
精密な作りに裏付けされたとっても落ち着いた音で、品物の確かさを使う度に感じさせる。
ペンは、文字を書くための道具であるが、その役目を終えキャップを閉めた後、ペンが道具を越えて自尊心を表すような音で少しだけ存在を示す。
それが、ペンを使う者を安寧な充足感とでも言おうか、独特の満たされた気分にさせてくれるのだ。
たとえ字が美しくなくても。
誰かに何かを伝えるためのペン。
そのペンを使い終わった後、余韻に浸れる少しの間。
その間に心地よさと豊かさを与えてくれる。
これは、アナログなものにしか味わうことのできない贅沢な間だ。
ものがたてる音は、品質を如実に表しているように思う。
グラスの縁と縁が触れ合って優しく乾杯をした時の音。
ドアを閉めた時の音。
コーヒーカップを置くとき、テーブルとカップが調和してたてる音。
ソファに腰掛けた時、クッションが身体を受け止め吸収する音。
身につけている衣擦れの音。
どんなに上等な装いでも、そのものが出す音が安っぽいと、品質、いや隠された本質を垣間見た気がして途端にがっかりする。
人は、それ以上にそうであるのかも知れない。
口から出る言葉が、その人が持つ音であるならば、たいそう気をつけなければなるまい。
せめて、醜い言葉は使うまい。
キャップを閉めながら、そう思うのであった。