2018.03.21
愛知展開催中!詳細は3つ戻ってね!
作法は何にも知らない。
ただ、自分のためにいっぷく。
道とつく名の世界のものは、庶民生活にどっぷり浸かって育った我が身としては、敷居の高い憧れの念を持ち続けた習いごと。
少し余裕が出てきたら、いつかやってみたい。
年齢を重ねるごとに度々、頭の中にチラチラと去来する。
そのひとつが茶道だった。
岡倉天心の茶の本や千利休にまつわる書物に触れてみたり、実際に習っていたという友人の話を聞いたり、知人の茶室にお邪魔したり、お客様が主催するお茶とお花のイベントに行ってみたり。
やっぱり、気になる。
始めてみようかな。そんなことをずっと思いながら随分時間が経っていた。
出張ついでに時間を取り、友人宅に泊まった翌朝の朝食のあとのことだった。
出かけるまでちょっと時間あるね。お抹茶飲まない?
甘夏ピールが上手にできたんだ。
あ!いいですね。いただきます!
甘夏ピールの作り方をにこやかに説明しながら手元はシャカシャカ。
はいどうぞ。
出されるいっぷくのお茶が出来上がるまで、おしゃべりしながらずっと傍で見ていた。
目の前に出されたお抹茶が、今までの私の目線をガラッと変えてくれた。
道を学ぼうと構えていたお茶の世界。
チャンスはいくらでもあったのになぜか一歩踏み込めない自分自身も気づかない理由。
出されたいっぷくのお茶が、まるで締め切っていた窓を開けるように私の中に新しい空気をどっと取り込んでくれた。
生活の中に入り込んだ気取りのないいっぷくのお茶。
私が望んでいるのは、そんな位置付けのものだ。
そうか。これでいいんだ。
道を学べば、作法の意味、道具の使い方、しつらえの愉しみ方、時間感覚、多くの気づきや新しい世界が見えることだろう。
それは、相当に興味深いことでもある。
でも、自分にとっての機とまだ噛み合ってないように思えた。
日本でも屈指のお茶処であるという友人の郷では、日々頂くお茶としてどこの家庭にも馴染みのあるものとして生活に入り込んでいるという。
気構えしなくても、いいんじゃないかな。
煎茶もお抹茶も一緒よ。
コーヒー、紅茶は気軽なのにお抹茶には気軽さが持てないでいた私には、まるでつきものが落ちたような感覚だった。
でもね、お茶の先生が点てたいっぷくというものは、やっぱり本当に美味しいのよ。
そこが、やっぱりお茶と茶道の違いなんだろうね。
それからというもの私の生活の中に私流で入り込んだいっぷくのお茶。
今では、1日よく働きゆったり夕食を取れた後にシメとして、気分転換を図りたい時、季節の麗しいお菓子が手に入った時、いろんな形でいっぷくを楽しめるようになった。
今夜は、伸びやかな枝の雪柳の花に照明が当たり、テーブルには曲線の影を落とし、灯りが透ける小さな白い花たちは名の如く春の雪が枝に積もっているような趣で、まるで夜のひとり茶会のような気分だった。
自分のためにいっぷく。
訪ねてくれた友人のためにいっぷく。
作法は知らずとも、私なりのいっぷくを、日々、愉しんでいる。