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2025.11.13

紅葉登山

 

 

 

今年のくじゅうは、紅葉がマックスの美しさだと何人かに聞いた。

ミヤマキリシマもかなりの美しさだったそう。

山の紅葉は、待ちくたびれて痺れを切らしそうなタイミングあたりで、一気に1週間ほどでピークを迎え、あっけなくフィニッシュする。

タイミングを合わせての紅葉登山はなかなかである。

 

くじゅうには行けないが、南九州も今週がピークなのでは?

ということで、夏に屋久島へ行った同級生を誘って、急遽、霧島連山の韓国岳へ。

 

堪能して参りました!

山頂では、ちょうど雲が通過中とあって、背景真っ白。

しかもじっとしていると寒い。

ルートを変えて下山は大浪の池方面へ。

高度が下がるとガスもクリアになり、おそらく紅葉も楽しめるだろう。

ということで下ると、6合目辺りから右に左にとぐるりな紅葉に包まれました。

 

 

 

 

 

 

 

時折り吹く風に立ち止まり、木を仰ぎ見てあちこちで舞い落ちる葉を見届ける。

落葉が積もり土が見えない登山道を、かさかさと踏みしめながら歩く。

日常では仕舞われているゆったりとした深い時間に出会える。

そう、この感覚がたまらなく好きなんだよな。

 

山頂から眺めるもゆるような紅葉の山もよいが、山の中でまさに秋の色の妙を味わいながら歩き進めるのも秋山の魅力である。

 

ああ、あんな色のグラデーションのセーターが欲しい…

この角度から見える景色の一部が、我が家の庭ならどんなにいいだろう…

 

私の呟きに同級生は、クスッと笑った。

 

でも、私は本気でそう思っているんだけどなあ。

 

来週からぐっと気温が下がる模様。

山も冬山に向かう…

 

 

 

 

2025.11.10

壺中の天

 

 

昨日をもちまして無事に愛知展、終了致しました。

お運び頂きました皆様、心より感謝申し上げます。

 

さて、漸く秋の気配が感じられるようになりました。

先日、古いものが好きだという友人と、霧島で開かれていた骨董市に出かけてみました。

 

ツウな知識があるわけではないが、福岡在住時からお気に入りの古道具屋に定期的に出かけたり、出張に紐付けで京都の骨董市に行ったり、旅先でも見つけたらよく立ち寄っていました。鹿児島では今回、初めて。

オープン時間に入場して間もないタイミングで気になるものに出会ってしまった。

 

 

なんと、火鉢!

20年以上前に東京のクリエイター宅にお泊まりさせて貰った際に陶器の火鉢があり、みんなでその周りに集まって好きなお酒を片手におしゃべりした夜が、とても印象的で記憶の片隅にずっと残っていた。

マンション住まいでは、火災報知器がすぐに反応しそうだし風情がそぐわないよな。

和風の家に住むことがあったら、火鉢はいずれ欲しいなあと思っていた。

 

見つけた時にはびっくりしました。

お茶道具の火鉢だったそうで、同じものが2つあったが昨日ひとつ売れたそう。

今ではなかなか見ることができない一本の桐の木をくりぬいた中に銅がはめ込んだもので、大きさも手頃だった。

にこやかな店主が持ち主のお手製と見受けられるカバーも添えて下さった。

明治の文字が…

 

 

持ち帰ると早速、しっかりふきあげて家具用のオイルを補給し念入りに磨きあげましましたら、大胆な柾目が現れて堂々たる迫力となりました。

 

 

 

店主が丁寧な説明をしてくださった。

夏は、来客時に氷を入れてビールを冷やしておくのもいいよ。

ワインクーラーにしてもいいし、花を投げ入れして床の間に飾るのもいいね。

わあ!楽しくなってきました!ちょうどいいあんばいのお皿を乗せると、広縁でカフェテーブルにもなりますね。

店主も終始にこやかに対応してくださり、火鉢として使う時の、適切な灰の量や灰が手に入らない時の灰の作り方、換気には充分気をつけること。色んなことを教えて下さった。

炭はバーベキュー用は勧めないよ。ちょっと高いけど国産を使ってね。

 

骨董市や古道具屋では、かつての日本の職人の凄まじい仕事や豊富な素材、美しい手技を支えた道具たちに触れることができる。

 

現代の便利さに慣れている頭で生きている自分などは、学びやヒントに溢れている。まさに温故知新の真骨頂である。

加えて、骨董を長く扱っている方の話もすこぶる興味深い。

 

願いは叶うものなのだなあ。

いつか欲しいなあと思っていたもの。

まさか、今日、出会うとは思ってもみなかった!

そんなことを思いながら、家路へついた。

 

さあ、この火鉢を正しく火鉢として使うべきか、どうするか。

まさしく壺中の天。

壺中楽ならぬ、鉢中楽?

あれやこれやと妄想をしばし楽しもうと思う。

 

 

 

 

 

2025.10.26

庭での学び

 

 

 

拠点を移して全ての季節を過ごし一年が過ぎた。

 

戸建て生活は、これまでのマンション暮らしとは全く異なるものである。

特に庭。

この家の購入時点から不安だった手に余る広さの庭。

この管理をどうするか、これは一年経った現在、かなりの重要な問題として感じている。

 

 

10月の初旬から2週間程で、ひとつの種類の草が庭全面を覆ってしまった。

昨年は生えなかった名も知らぬ草。何故だ。

恐ろしい程の勢いだった。

しかし、個展の準備と暑さ、とても草を取る気力がなかった。

今週、気温が落ち着いてきたので、父の手を借りて4日かかって全て取り終えた。

たかが雑草取り。

いえ、今回、自分にとって大きな気付きががあったのです。

思えば、まだ私は庭の仕事をする装い、小道具、準備すらできていないと痛感。

父の持っている道具を借りて、コツを聞いて、それぞれのエリアに別れて作業を始めた。

程なく、遅々として進まず気が滅入りそうになり、庭の全体を見て、陽当たりの良い部分で大きく育っている草を取り周っていたら、父にすぐに指摘された。

素人はそういう風に大きな目立つものに最初に手を出し、あちこち掘り返す。夜に雨が降ったら、翌日やりにくくなるぞ、取り損ねた草を埋めてしまうことになる。

決めた場所から順序よく取っていかなきゃだめだ。

 

ちぇっ。だって目障りなものは早く取りたいじゃん。

草に覆われて土が見えなくなっている庭を見ながら、ため息が出た。

 

2日目、その意味がよく理解できた。

ハーブ畑にしてるコーナー、紫蘇を植えていたコーナー。

マスを決めて取り掛かると、見たこともない小さな虫が慌てて動き出す。他にも色んな種類の生き物の存在を見る。

いったい何種類の生き物がいるのだろう、皆んな必死に生きているのだ。

小さなマスの中での作業は、おのずと丁寧になる。

そして終わった後、きちんと土が見えると気持ちがよくすっきりする。

マスの中に集中しながら、同時に庭全体を見ることはできない。

全体を見る時、人は作業が雑になってしまう。

たとえその日、済ませた部分が小さくても、今日はここが確実に綺麗になった。と、寧ろ潔い気持ちで次回に持ち越せる余裕ができる。

一人の人間が全体を見て作業を早く完遂させようとすると、必ず雑で散漫になる。そうなると仕上がりは中途半端になり、納得できずにやり直しをせざるを得なくなることもある。

人の集中力はそう続かない。

連携プレイや集合になるとそれが可能になる。会社の起源、組織ということか。

ああ、日々の仕事、アクセサリー制作の過程でも同じことがある。

確かに、工程を急ぎ仕上がりが気に入らず、作ったものを壊し銀を無駄にしたことが何度もあった。

 

これって、結局、日々の生活と同じだ。

1日というマスの中でまずは精一杯生きる。

あまりに先を見ようとすると楽しめなくなり、行動にためらいが出て身動き取れなくなる。

とはいえ、たまには立ち止まって全体を見ることも必要。

 

庭には人生哲学があるとは、よく耳にするが、思えば含蓄のある言葉だ。

 

年齢を重ねたタイミングで庭や盆栽を始める。

理解できる気がした。

 

3日目。

先月まで早朝には、必ず鳥たちが庭に遊びに来てチュンチュンと鳴いていたのに、草が覆ってしまってからそういえば来ていないと気付いた。

父に尋ねた。

 

そうだよ、地面が草に覆われると鳥は降りて来ないものだ。

木には来るけどな。

 

土の面積が増えた3日目。

作業している側から鳥たちがあちこちからやって来たのだ。

4日目の朝。朝食をとっていると庭の澄んだ空気に鳥たちの声がよく響いた。

ほんとだ。土が恋しかったんだ。

鳥だけでなく私も。

 

蚕食という言葉があるらしい。

蚕が桑の葉を端から食べ尽くすように、他の領域を侵略してゆく様子を表している言葉だそう。

 

人が土地を持ちそこに暮らすということは、日ごろ意識していない生命たちと、せめて共存できる程度の土地の手入れを怠ってはならない、その覚悟を持つことなのだと思った。

それが所有する人間の責任なのかも知れない。

何かを所有するということは、そういうことも含まれているのだろう。

 

 

 

 

 

2025.10.08

 

 

しばらくぶりのロードバイクサイクリング。

昨年の春のしまなみ海道以来である。

今回は、お隣県の宮崎へ。

我が家から車で2時間弱。

シーガイアホテル、トムワトソンゴルフコース隣接のフローランテ宮崎界隈は、なかなかに雰囲気の良い公園でゆったりサイクリングするには最高のコースである。

 

 

海沿いにあるひとつば駐車場に車を停めて、まずはくるっと海沿いを走ります。

背の高いフェニックスの木が立ち並び、まるで異国のような青い海と広がる青空を背景にジェットスキーやヨットを楽しむ人々。

ザ・宮崎な光景に一気にリフレッシュ。

山のショーパンにモトクロスザック、サイクルジャージにサイクルパンツ、なんだかへんてこミックスな格好ですが、さあ、行ってきます!のポーズ。

 

 

暑かろうと覚悟していたのですが、私のお気に入りだった唐津の虹の松原よりもはるかに長いと思われる松林のサイクリングコースは、車道もかなり広くそれでいて背の高い松の木陰で太陽が直撃することもなく、ずっと微風が吹き渡り、ご機嫌なゆるいサイクリングが楽しめました。

全身の力が抜けてリラックス。

 

 

折り返す前に一旦、バイクを押して公園敷地内に入り、持参したコーヒーでおやつタイム。

サイクリングでは必ずセット行程になっているご当地の道の駅と温泉情報を検索。

予定を決めて折り返しライド。

海沿いの駐車場に戻りバイクを積み込むと、早速〆の残り行程制覇すべく移動。

 

 

本日は、ゆるライドでしたが、サイクリング始めてよかったなあと仲間と語りながら都城の道の駅へ。

 

到着してびっくり。

従来の道の駅とは様子が全く違い、まるでデパ地下のようなおしゃれ感。

しかも、畜産が盛んなので、新鮮で希少な部位のお肉や卵、どんこが、めちゃくちゃ安い!

すっかり長居して温泉へ向かう頃には、茜色に染まった空に桜島が堂々たる迫力でした。

 

よき1日。

よき休日。

これからの季節の休日は、サイクリングか山か悩ましい選択に揺れるのです。

月末は、ご無沙汰しているくじゅう登山予定。

紅葉始まっているとよいなあ。

 

美味しい秋の味覚も楽しみな季節になってきました。

 

次回は、10/30からの愛知県での個展のお知らせを致します!

 

 

 

 

2025.09.25

楽器に選ばれし演奏家たち

 

 

 

先日、個展へ向かう前日、福岡に立ち寄り暫くぶりのコンサートを楽しんだ。

 

音響設備も刷新したアクロスシンフォニーホール。

チェリストのヨーヨー・マのコンサート。

演目はバッハの無伴奏。

 

 

楽器の中でも最も憧れの強いチェロ。

バイオリンの無伴奏のコンサートはしばしばあるのだが、チェロは意外にも初めて。

ステージにポツンと一席だけ用意されている椅子を目にすると、こんなに広いホールで一人で演奏するのだと思うだけで世界で活躍されるプロとはいえ、改めて敬意がホールいっぱいに広がった。

 

ステージに現れたヨーヨー・マ氏は、かなり背が高く、抱えたチェロも弓もコンパクトに見えるほどだったが、着席するとすぐに演奏が始まった。

曲は、チャオ・ジーピンの草原の夏。

まさに広大な中国の草原を吹き渡る風のような伸びやかさで、あたかもそこに立っているかのよう。

心の中に鬱積していたおりのようものを吹きさらってしまい、清涼感がホールいっぱいに広がった。

楽器は、胡弓ではないかと思うような音だった。

インターミッションを挟んで後半は、ジョージ・クラムのチェロのためのソナタ。

この演奏は、凄まじかった。

最近まで存命だったというアメリカの作曲家の初期の重要作品だそうで、今ではこの曲を演奏しないプロのチェリストはいないというほどの定番だそう。

全体的にはジャズテイストだが、楽器を越える程の演奏後はあちこちからのため息がひとつの静かなざわめきとなりホールをいっぱいにした。

 

今回の演奏で特に驚いたのは、ひとつの音を驚くほどに消え入るようにフェードアウトさせて、尚且つ音を確実に出し続ける。

この演奏は、聴いている者の呼吸を止めてしまうほどの小さな小さな音で、弦から弓が離れた直後は、ごくんと息を飲み込む音がホールにいっぱいに広がるような気迫があった。

 

 

 

いろんなものがホールに広がったコンサート。

 

巨匠は恐ろしい。

恐ろしいほどの才能。

楽器に選ばれた音楽家というものは、存在するのですね。

 

来月は、スペインADDA交響楽団と村治香織のコンサートで、再びアクロスシンフォニーホールへ。

秋は、目白押し。

 

 

 

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